チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「土用の丑の日の鰻と平賀源内/昭和46ー47年のNHKドラマ『天下御免』」

2013年08月03日 23時26分07秒 | 歴史ーランド・邪図
今日は土用の丑の日だった。二の丑である。
……土用の丑の日に鰻……
という"風習"は、
……本日土用丑の日……
「平賀源内コピーライティング説」
が一般に起源と言われてるらしい。

故杉浦日向子女史がNHKの
「お江戸でござる」でも言ってたが、
「ウナギ」の語源の説のひとつは「ムナギ」、つまり、
現在の養殖でない天然の鰻は、
胸が黄色いので「胸黄(むなぎ)」、
というものである。その真偽はともかく、
天然ウナギの胸が黄色いのは確かなことで、かつては
「むなぎ」と言ってたのも、
万葉仮名によって確かである。

【巻16-3853 大伴家持】
[石麻呂尓 吾物申 夏痩尓 吉跡云物曽 武奈伎取喫]
(石麻呂に、我れ物申す。夏痩せに、よしといふものぞ。むなぎ捕り食せ)

ともあれ、
【ウナギ】を【土用】に結びつけた根拠は、その
【黄色】い胸なのである。
土用とは、五行説の「春夏秋冬」のそれぞれのはざまの期間である。
春=青、夏=朱、秋=白、冬=玄(黒)であり、
土用=黄なのである。

さて、
平賀源内(西暦およそ1728-同1780)は、
讃岐国高松藩松平家12万石の家臣だった。
この松平家は水戸徳川家の御連枝の家柄で、
数多くの松平家の中でも上位にあった。
最後の藩主頼聰(よりとし)の八男で跡取りの
頼寿(よりなが)は貴族院議長を務め、
本郷中学(現在は中高)を創立した。
東京バレエ団を設立した佐々木忠次や
平泳ぎの五輪金メダリストの北島康介、
EXILEのATSUSHIなどの出身校であるが、
実は偏差値70ほどのかなりな進学校である。
それらはともかくも、
"罪人"源内の墓は親友杉田玄白の尽力で
浅草橋場にあった総泉寺に建てられた。が、
昭和3年に同寺が移転したとき、ファンの誓願で
源内の墓だけがそのまま取り残された。そして、
昭和5年に前述の松平頼寿が塀囲いをして
墓を整えた。現在も、商業ビルの立ち並ぶ
明治通りから少し入った住宅街の一角に
塀囲いされた墓地がある。住居表示が
台東区橋場2-22-2という2づくしである。

1971年の10月から翌年の9月までの4クール、
金曜夜8時からNHKで放送された時代劇
「天下御免」はこの平賀源内を主人公とした
フィクション・ドラマだった。荒唐無稽な内容だったが、
それなりに面白かった。
源内役が山口崇、杉田玄白役が故坂本九、
田沼意次役が故仲谷昇、それに、
源内を囲む準主役級の架空人物が、
林隆三、津坂匡章(現→秋野太作)、
当時はまだデビューまもない頃で
エキセントリックな政治活動家になる前の
中野良子女史、そして、
ナレイションが水前寺清子女史だった。

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