平成19年の8月1日に歌謡作詞家の阿久悠が
腎臓癌転移の尿管癌で死んだ。今日はその
祥月命日、いわゆる七回忌だった。フジTVの子供番組の
「ピンポンパン体操の歌」は同人の代表作である。
……ズンズンズンズン、ズンズンズンズン、ピーンポーンパポーーン……
と、トンキチ・チンペイ・カンタの三つ児みたいな清朝の宦官が
冗談はよしこちゃんとでもいうように
変なオジサンみたいな手巻きの振りをしながら歌い出す。
曲をつけたのは小林亜星である。
昭和46年(1971年)に作られた。
♪ソソ・<ラ>ソ・・<ラ<ド・<レ>ド│
<♭ミー・>ドー・・>ラ<ド・ーー♪
いっぽう、
昭和41年(1966年)に
"大きいことはいいことだ"というコピーで知られる
山本直純がまどみちおの詞に曲をつけた童謡が、
「一年生になったら」である。
♪ソソ・<ラー・・>ソー・<ドー│
<ミー・>ドー・・<レー・●●♪
……ともだち、ひゃくにん、できるかな……
である。
富士山の上でその百人のおともだちと
おにぎりを食べるのを想像したときには
自分の分を数に入れ忘れたので、
自分はたべれないことになるのだが、
作詞者のまどみちおは
そんなことにはおかまいなしである。
それくらい"気にしない"性格だからか、
60代で癌になった阿久悠とは違い、
現在も103歳で健在である。ちなみに、
「一年生になったら」の「一年生」は十中八九
「小一」のことであるが、いまや、
中国共産党の国では、
「愛人」のことを「小三」と言うらしい。
ともあれ、
この二つの"童謡"を頭に浮かべたり、聴いたりすると、
1921年にロシアの作曲家いわゆるプロコフィエフが作曲した
オペラ「3つのオレンジへの恋」の中の「行進曲」が
思い出されてしまう。
♪ソ●・<ラ●・・>ソ●・<ド●│
<♭ミ●・>ドー・・ーー・ーー♪
まどみちおにしても三木露風にしても
新見南吉にしても、童話作家・童謡作家になる者には、
幼少期に母親を(死別、生き別れは問わず)失った人物が多い。
元来は児童文学ではないが、いわゆる「赤毛のアン」の作者である
ルースィー・モード・モンゴメリ女史も、幼い時分に母親を亡くした。
……三つ子の魂、百まで……
本来受けるべき母性愛に欠けてしまった者は、
それを追い求める不毛な人生を送ることになりやすい。
知性と教養と知能に恵まれてると文学者になることも少なくない。
漱石、三島、ツルゲーネフ、ヘミングウェイなども、
母と死に別れたり生き別れになったわけではなくても、
冷たく扱われたり嫌悪されたり、
母親の存在が心情的に遠くにあった子がのちに
大作家となった例である。
ちなみに、
「3つのオレンジへの恋」は、その原作は「童話」である。
私は母に恵まれてしまったので、
大作家への道は閉ざされてしまったのである(※)。
まぁ、「道理で」を「通りで」と認識してたり、
「十中八九」の読みを「ジュッチュウハック」だと疑いもなく信じてるレヴェルのオツムでも
エッセイストになれるご時世である。煎餅焼きを引退した私もまだまだ、
♪ガンバラなくっちゃ~あ、ガンバラなくっちゃっ、ガンバラなくっちゃ~~~っ!♪
である。
(プロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」の「行進曲」の冒頭を
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/prokofiev-the-love-for-three
にアップしました)
る(※)。
腎臓癌転移の尿管癌で死んだ。今日はその
祥月命日、いわゆる七回忌だった。フジTVの子供番組の
「ピンポンパン体操の歌」は同人の代表作である。
……ズンズンズンズン、ズンズンズンズン、ピーンポーンパポーーン……
と、トンキチ・チンペイ・カンタの三つ児みたいな清朝の宦官が
冗談はよしこちゃんとでもいうように
変なオジサンみたいな手巻きの振りをしながら歌い出す。
曲をつけたのは小林亜星である。
昭和46年(1971年)に作られた。
♪ソソ・<ラ>ソ・・<ラ<ド・<レ>ド│
<♭ミー・>ドー・・>ラ<ド・ーー♪
いっぽう、
昭和41年(1966年)に
"大きいことはいいことだ"というコピーで知られる
山本直純がまどみちおの詞に曲をつけた童謡が、
「一年生になったら」である。
♪ソソ・<ラー・・>ソー・<ドー│
<ミー・>ドー・・<レー・●●♪
……ともだち、ひゃくにん、できるかな……
である。
富士山の上でその百人のおともだちと
おにぎりを食べるのを想像したときには
自分の分を数に入れ忘れたので、
自分はたべれないことになるのだが、
作詞者のまどみちおは
そんなことにはおかまいなしである。
それくらい"気にしない"性格だからか、
60代で癌になった阿久悠とは違い、
現在も103歳で健在である。ちなみに、
「一年生になったら」の「一年生」は十中八九
「小一」のことであるが、いまや、
中国共産党の国では、
「愛人」のことを「小三」と言うらしい。
ともあれ、
この二つの"童謡"を頭に浮かべたり、聴いたりすると、
1921年にロシアの作曲家いわゆるプロコフィエフが作曲した
オペラ「3つのオレンジへの恋」の中の「行進曲」が
思い出されてしまう。
♪ソ●・<ラ●・・>ソ●・<ド●│
<♭ミ●・>ドー・・ーー・ーー♪
まどみちおにしても三木露風にしても
新見南吉にしても、童話作家・童謡作家になる者には、
幼少期に母親を(死別、生き別れは問わず)失った人物が多い。
元来は児童文学ではないが、いわゆる「赤毛のアン」の作者である
ルースィー・モード・モンゴメリ女史も、幼い時分に母親を亡くした。
……三つ子の魂、百まで……
本来受けるべき母性愛に欠けてしまった者は、
それを追い求める不毛な人生を送ることになりやすい。
知性と教養と知能に恵まれてると文学者になることも少なくない。
漱石、三島、ツルゲーネフ、ヘミングウェイなども、
母と死に別れたり生き別れになったわけではなくても、
冷たく扱われたり嫌悪されたり、
母親の存在が心情的に遠くにあった子がのちに
大作家となった例である。
ちなみに、
「3つのオレンジへの恋」は、その原作は「童話」である。
私は母に恵まれてしまったので、
大作家への道は閉ざされてしまったのである(※)。
まぁ、「道理で」を「通りで」と認識してたり、
「十中八九」の読みを「ジュッチュウハック」だと疑いもなく信じてるレヴェルのオツムでも
エッセイストになれるご時世である。煎餅焼きを引退した私もまだまだ、
♪ガンバラなくっちゃ~あ、ガンバラなくっちゃっ、ガンバラなくっちゃ~~~っ!♪
である。
(プロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」の「行進曲」の冒頭を
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/prokofiev-the-love-for-three
にアップしました)
る(※)。
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