若い頃はテニスをよくしてた。ゴルフ同様、
テニス自体が好きなわけではない。ゴルフは世渡り、
テニスは女の子と接することができるから、
という算盤勘定ゆえの"たしなみ"である。
本当に好きな野球用具はRawlingsとMIzunoだったが、
フットボールとテニス用具はWilsonを使ってた。ただ、
カナダの富豪の娘の美人選手カーリン・バセット嬢が
Princeのデカ・ラケを使ってたので、
ネタとして持ってたこともあった。ともあれ、
体に悪いテニスもゴルフも私は40歳でやめた。
ボルグ世代の私は、軟式テニスばりに
ドライヴかけまくりでやってたので、
ワン・ゲイムだけでもそのあとの疲労度はとてつもなかった。
ゴルフ用具はみな人にあげてしまったが、
テニスは品川の室内貸切コートでたまにやってる(Wilsonで)。
かつて、たった163cmの身長しかない杉山愛女史が
ダブルズで優勝したことも、
決勝で2度負けたこともある全仏オウプンは、1928年以降、
同年にデイヴィス・カップ開催のために完成された
パリ16区のブロニュの森の中、ある日クマさんに出会わなくても、
スタド・ロラン・ギャロス(ローラン・ギャロス・スタジアム)で行われてる。
このテニス競技場設立にあたって、当時の
フランスのスポーツ協会のお偉方だった
Emile Lesieur(エミル・ルスィユル、1885-1985)が、
三銃士のごとき我らフランスが英雄である
Roland Garros(ロラン・ギャロス、1888-1918)
の名を冠しないなら金は出さない、
と威して附けさせた名称である。まったく、
人を食ったような話ではある。
ルスィユルとギャロスは、ビジネス・エリートを養成する名門、
HEC Paris(Ecole des hautes etudes commerciales de Paris
=エコル・デ・オト・デチュド・コメシアル・ドゥ・パリ=パリ経営大学院)
の同窓生であり、ラグビー仲間でもあった。
本日、2013年9月23日は、
ロラン・ギャロスが地中海単独縦断飛行
(南仏Frejus(フレジュス)からチュニジアのBizert(ビゼルト)までの
約800km)に成功した日から100年の日にあたる。
このギャロスがなぜ"英雄"かといえば、
現在の戦闘機のもとを発案したパイロットだからである。
坂井三郎と坂上二郎のどちらが
「飛びマス、とびマス!」
というネタを持ってたかすみやかには答えれない
拙脳なる私にはギャロス自身の追撃数は解らない。が、
第一次世界大戦中、仏空軍の対独追撃数が
格段にあがったことは確かである。
ギャロスは1915年4月に機が被弾して不時着したところを
捕らえられて独軍の俘虜となった。それでも、
1918年2月に脱走して帰還し、また、
空に飛んでった。そして、
同年10月5日、30歳の誕生日の前日、
仏軍のエイスと目されてたギャロスは、
1918年内半年間で7機を撃墜した
独軍のエイス、Hermann Habich(ヘアマン・ハービッヒ)の
6機めの犠牲となった。
昔のテニス仲間に、
負けそうになると小指を噛む癖のある女子がいた。
♪あなたが噛んだ、小指が痛い(実際は尻肉だったらしい)
さる有名企業の御曹司といい仲だった。
♪今は幸せかい?
テニス自体が好きなわけではない。ゴルフは世渡り、
テニスは女の子と接することができるから、
という算盤勘定ゆえの"たしなみ"である。
本当に好きな野球用具はRawlingsとMIzunoだったが、
フットボールとテニス用具はWilsonを使ってた。ただ、
カナダの富豪の娘の美人選手カーリン・バセット嬢が
Princeのデカ・ラケを使ってたので、
ネタとして持ってたこともあった。ともあれ、
体に悪いテニスもゴルフも私は40歳でやめた。
ボルグ世代の私は、軟式テニスばりに
ドライヴかけまくりでやってたので、
ワン・ゲイムだけでもそのあとの疲労度はとてつもなかった。
ゴルフ用具はみな人にあげてしまったが、
テニスは品川の室内貸切コートでたまにやってる(Wilsonで)。
かつて、たった163cmの身長しかない杉山愛女史が
ダブルズで優勝したことも、
決勝で2度負けたこともある全仏オウプンは、1928年以降、
同年にデイヴィス・カップ開催のために完成された
パリ16区のブロニュの森の中、ある日クマさんに出会わなくても、
スタド・ロラン・ギャロス(ローラン・ギャロス・スタジアム)で行われてる。
このテニス競技場設立にあたって、当時の
フランスのスポーツ協会のお偉方だった
Emile Lesieur(エミル・ルスィユル、1885-1985)が、
三銃士のごとき我らフランスが英雄である
Roland Garros(ロラン・ギャロス、1888-1918)
の名を冠しないなら金は出さない、
と威して附けさせた名称である。まったく、
人を食ったような話ではある。
ルスィユルとギャロスは、ビジネス・エリートを養成する名門、
HEC Paris(Ecole des hautes etudes commerciales de Paris
=エコル・デ・オト・デチュド・コメシアル・ドゥ・パリ=パリ経営大学院)
の同窓生であり、ラグビー仲間でもあった。
本日、2013年9月23日は、
ロラン・ギャロスが地中海単独縦断飛行
(南仏Frejus(フレジュス)からチュニジアのBizert(ビゼルト)までの
約800km)に成功した日から100年の日にあたる。
このギャロスがなぜ"英雄"かといえば、
現在の戦闘機のもとを発案したパイロットだからである。
坂井三郎と坂上二郎のどちらが
「飛びマス、とびマス!」
というネタを持ってたかすみやかには答えれない
拙脳なる私にはギャロス自身の追撃数は解らない。が、
第一次世界大戦中、仏空軍の対独追撃数が
格段にあがったことは確かである。
ギャロスは1915年4月に機が被弾して不時着したところを
捕らえられて独軍の俘虜となった。それでも、
1918年2月に脱走して帰還し、また、
空に飛んでった。そして、
同年10月5日、30歳の誕生日の前日、
仏軍のエイスと目されてたギャロスは、
1918年内半年間で7機を撃墜した
独軍のエイス、Hermann Habich(ヘアマン・ハービッヒ)の
6機めの犠牲となった。
昔のテニス仲間に、
負けそうになると小指を噛む癖のある女子がいた。
♪あなたが噛んだ、小指が痛い(実際は尻肉だったらしい)
さる有名企業の御曹司といい仲だった。
♪今は幸せかい?
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