現在、音羽村の一角の大塚警察署は建て替え中であるが、
首都高5号線を挟んでその裏手にはかつて、
「野間道場」という剣道場があった。
講談社創業者の野間清治が大正末期に建てたものである。
野間清治の父である野間好雄は、
上総国飯野藩(保科家)剣術指南役森要蔵(北辰一刀流)の弟子で、
森の長女と結婚した人物だった。
野間氏はもとは尾張国野間荘を本拠とした清和源氏である。
野間は現在の愛知県知多郡美浜町で、
平治の乱に敗れた源義朝が落ちてきて、頼った
長田忠致・景致父子に風呂場で騙し討ちされた地である。
清和源氏の一である八島満政の系統である浦野氏(重長)が平安末期に
三河国足助(あすけ)を本拠にしたことで足助氏を名乗った。
時は流れ、足助重宗が室町第3代将軍足利義満によって
尾張国野間荘を与えられた。そうして、この一族は
野間氏を称することとなったのである。その
野間重能が義満の孫である足利義政によって文安2年(西暦およそ1445年)、
安芸国矢野(現在の広島市)の守護に任じられた。ちなみに、
本日、2013年9月20日は、義政の母である
日野重子の没後550年にあたる日である。ともあれ、
義政によって守護に任じられてから100年あまり、
毛利元就の策略で乗っ取られるまで野間氏は
矢野城(保木城)城主として勢力を張ってたのである。
毛利による野間一族掃討の生き残りの末裔が
飯野藩士野間道明であり、その次男野間好雄であった。
明治になって結婚した好雄・ふゆ夫妻は、それぞれ
剣と薙刀の指南として各地を遍歴したのち、
現在の群馬県桐生市で道場を開いた。なぜ、
この地に居を構えたのかは、
野間清治と貶日民主党の野田佳彦の顔を瞬時に判別できない
拙脳なる私には解らない。が、ともあれ、
現在の桐生市立南小学校の教員住宅で、
野間清治は好雄とふゆの次男として明治11年に誕生した。
清治は教員になるべく勉学を重ねてったが、
沖縄の中学の教員になってから教育行政に携わるようになり、
わずか2年で沖縄から東京に戻り、
「大日本雄弁会」(講談社の前身)を設立し、弁論雑誌を創刊した。が、
大正14年に創刊した大衆雑誌「キング」が大当たりした。
その音楽部門が「キングレコード」である。また、
昭和5年には「報知社」(報知新聞社の前身)を買収した。現在、
講談社は日刊現代や光文社を子会社として持ち、
凸版印刷や文化放送、ニッパン・トーハンの大株主でもある。
この講談社が今日から50年前の
昭和38年(1963年)9月20日に発行したのが、
科学の素人向けに書かれた
「講談社ブルーバックス」スィリーズの第1弾である。現在、
ブルーバックスは1800点を超えてるらしいが、そのナンバー1は、
「人工頭脳時代 頭脳労働の革命が始まっている」
だった。著者の菊池誠は、昨年の11月に86歳で亡くなってる。
のちのソニー専務である。つまり、
今から50年前は、東京通信工業(SONY)がトランジスタ製品の開発で
まさに世界を席巻しようとしてた時代だったのである。
ブルーバックス創刊からずいぶん経った昭和53年4月に、
「四色問題 その誕生から解決まで」(一松信=著)
というものが発行された。
<いかなる地図も(国別を)4色で塗り分けることができる>
かどうか、という、数学上の大問題があった
(証明されて以降は「四色定理」と呼ばれる)。
1976年に、ドイツ出身のヴォルフガング・ハーケンと
今年の4月に食道癌で死んだケネス・アッペルのイリノイ大学コンビによって
肯定的に証明された。ただし、
コンピュータを使ったその証明が、"エレファントな"解法、
と揶揄されたことでも知られてた。
数学の世界では"エレガント"な証明がクールとされる。ともあれ、
「四色問題」を一日四食たべる人の食費をどうするか、
という問題だと勘違いしてたような拙脳なる私でも、
一松信(ひとつまつ・しん)の解説は解りやすかった。
その2年後、同人の著になる
「暗号の数理 作り方と解読の原理」
というタイトルのブルーバックスが刊行された。
ネット時代になった2000年以降では誰でもが知ってる
「デジタル署名」の「RSA暗号」について解説したものだった。
これも、古代の原始的なものから暗号の歴史を
非常に解りやすくまとめて、RSAについても
素人向けに詳らかに解りやすく執筆されてる本だった。
暗号ということでも、それまで読みあさってた
長田順行の本より面白かった。が、
のちに一松信が統一教会の信者だと知って失望した。
こういう高知能な人間でも真理を見抜く能を
必ずしも備えてないという好例である。
世の中には「権威」と認知されてる者が、実は
まったく道理を知らないなどという例は
数えきれないほどある。私が
"代書"してた「さる大先生」などは、
その専門のことに関してまったく無知であるが、
世間ではその道の大家と思われてる。かようにして、
巷には虚飾がまかりとおってるのである。
グリム兄弟が下層階級の"ドイツ人"女性から採取した、
と自ら謳ってたお噺の多くが、中流・上流家庭の
意外に若い女性から聞いたものであり、かつ、
アンリ4世が発したナントの勅令を廃した
ルイ14世によるフォンテヌブロの勅令で
新教信仰の保障が危うくなってドイツ方面に逃れてきた
ユグノ教徒の子孫である。つまり、
ドイツではなく、フランスの民話なのである。ちなみに、
今日はヤーコプ・グリムの没後150年にあたる日でもある。講談社は、
「グリム童話集」翻訳本やグリム童話関連書を数多く出してもいる。
今宵は、グリム童話の"Der Mond(デア・モント)"を
団子よりも焼き豚、チュウシュウよりもチャーシューを15個食らいながら読むとしよう。
♪出たでた、月が。まあるい、Малый、まんまるい、聖餅のような月が♪
首都高5号線を挟んでその裏手にはかつて、
「野間道場」という剣道場があった。
講談社創業者の野間清治が大正末期に建てたものである。
野間清治の父である野間好雄は、
上総国飯野藩(保科家)剣術指南役森要蔵(北辰一刀流)の弟子で、
森の長女と結婚した人物だった。
野間氏はもとは尾張国野間荘を本拠とした清和源氏である。
野間は現在の愛知県知多郡美浜町で、
平治の乱に敗れた源義朝が落ちてきて、頼った
長田忠致・景致父子に風呂場で騙し討ちされた地である。
清和源氏の一である八島満政の系統である浦野氏(重長)が平安末期に
三河国足助(あすけ)を本拠にしたことで足助氏を名乗った。
時は流れ、足助重宗が室町第3代将軍足利義満によって
尾張国野間荘を与えられた。そうして、この一族は
野間氏を称することとなったのである。その
野間重能が義満の孫である足利義政によって文安2年(西暦およそ1445年)、
安芸国矢野(現在の広島市)の守護に任じられた。ちなみに、
本日、2013年9月20日は、義政の母である
日野重子の没後550年にあたる日である。ともあれ、
義政によって守護に任じられてから100年あまり、
毛利元就の策略で乗っ取られるまで野間氏は
矢野城(保木城)城主として勢力を張ってたのである。
毛利による野間一族掃討の生き残りの末裔が
飯野藩士野間道明であり、その次男野間好雄であった。
明治になって結婚した好雄・ふゆ夫妻は、それぞれ
剣と薙刀の指南として各地を遍歴したのち、
現在の群馬県桐生市で道場を開いた。なぜ、
この地に居を構えたのかは、
野間清治と貶日民主党の野田佳彦の顔を瞬時に判別できない
拙脳なる私には解らない。が、ともあれ、
現在の桐生市立南小学校の教員住宅で、
野間清治は好雄とふゆの次男として明治11年に誕生した。
清治は教員になるべく勉学を重ねてったが、
沖縄の中学の教員になってから教育行政に携わるようになり、
わずか2年で沖縄から東京に戻り、
「大日本雄弁会」(講談社の前身)を設立し、弁論雑誌を創刊した。が、
大正14年に創刊した大衆雑誌「キング」が大当たりした。
その音楽部門が「キングレコード」である。また、
昭和5年には「報知社」(報知新聞社の前身)を買収した。現在、
講談社は日刊現代や光文社を子会社として持ち、
凸版印刷や文化放送、ニッパン・トーハンの大株主でもある。
この講談社が今日から50年前の
昭和38年(1963年)9月20日に発行したのが、
科学の素人向けに書かれた
「講談社ブルーバックス」スィリーズの第1弾である。現在、
ブルーバックスは1800点を超えてるらしいが、そのナンバー1は、
「人工頭脳時代 頭脳労働の革命が始まっている」
だった。著者の菊池誠は、昨年の11月に86歳で亡くなってる。
のちのソニー専務である。つまり、
今から50年前は、東京通信工業(SONY)がトランジスタ製品の開発で
まさに世界を席巻しようとしてた時代だったのである。
ブルーバックス創刊からずいぶん経った昭和53年4月に、
「四色問題 その誕生から解決まで」(一松信=著)
というものが発行された。
<いかなる地図も(国別を)4色で塗り分けることができる>
かどうか、という、数学上の大問題があった
(証明されて以降は「四色定理」と呼ばれる)。
1976年に、ドイツ出身のヴォルフガング・ハーケンと
今年の4月に食道癌で死んだケネス・アッペルのイリノイ大学コンビによって
肯定的に証明された。ただし、
コンピュータを使ったその証明が、"エレファントな"解法、
と揶揄されたことでも知られてた。
数学の世界では"エレガント"な証明がクールとされる。ともあれ、
「四色問題」を一日四食たべる人の食費をどうするか、
という問題だと勘違いしてたような拙脳なる私でも、
一松信(ひとつまつ・しん)の解説は解りやすかった。
その2年後、同人の著になる
「暗号の数理 作り方と解読の原理」
というタイトルのブルーバックスが刊行された。
ネット時代になった2000年以降では誰でもが知ってる
「デジタル署名」の「RSA暗号」について解説したものだった。
これも、古代の原始的なものから暗号の歴史を
非常に解りやすくまとめて、RSAについても
素人向けに詳らかに解りやすく執筆されてる本だった。
暗号ということでも、それまで読みあさってた
長田順行の本より面白かった。が、
のちに一松信が統一教会の信者だと知って失望した。
こういう高知能な人間でも真理を見抜く能を
必ずしも備えてないという好例である。
世の中には「権威」と認知されてる者が、実は
まったく道理を知らないなどという例は
数えきれないほどある。私が
"代書"してた「さる大先生」などは、
その専門のことに関してまったく無知であるが、
世間ではその道の大家と思われてる。かようにして、
巷には虚飾がまかりとおってるのである。
グリム兄弟が下層階級の"ドイツ人"女性から採取した、
と自ら謳ってたお噺の多くが、中流・上流家庭の
意外に若い女性から聞いたものであり、かつ、
アンリ4世が発したナントの勅令を廃した
ルイ14世によるフォンテヌブロの勅令で
新教信仰の保障が危うくなってドイツ方面に逃れてきた
ユグノ教徒の子孫である。つまり、
ドイツではなく、フランスの民話なのである。ちなみに、
今日はヤーコプ・グリムの没後150年にあたる日でもある。講談社は、
「グリム童話集」翻訳本やグリム童話関連書を数多く出してもいる。
今宵は、グリム童話の"Der Mond(デア・モント)"を
団子よりも焼き豚、チュウシュウよりもチャーシューを15個食らいながら読むとしよう。
♪出たでた、月が。まあるい、Малый、まんまるい、聖餅のような月が♪
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