この章は「A(パン)B(具)A」という「サンドウィッチ形式」である。
アダージョ・カンタービレ・エ・コン・モート、3/4、2♯。
11小節の導部(終いの1小節は、フェルマータ附きの全休符)は、
副7(?)の和音が懐古情緒で響くとこから始まる。
上音1番vnの♪ファ>ミ>レ >ド >シ>ラ>ソ♪の下降音階に反行して、
2丁のチェロが♪レ <ミ<ファ<♯ファ<ソ<ラ<シ♪と昇る。
3連のピッツィにのって、「ドルチェ・カンタービレ」発想指定の1番vnが、
シテ主題を歌い出す。
シテ主題(前半):♪【ソーーー】>♯ファー|<【ソーーー】<ミン>ド|
<【ソーーー】<ラー|<【ソーーー】・ソ<ド|ド>シラ>ソ・ソ<レ|
レ>ド>ラ>ソ・<ド<ミ|<ソーーー>ファー|>レーーーーー♪
シテ主題(前半):♪【【ファーーー】】>ミー|<【【ファーーー】】>レン<ミ|
<【【ファーーー】】(修飾音省略)<ソン>ファ|【【ファーーー】】>ミ>レ|
>ド<レ>ド>シ・<ド>シ|>ラ<シ>ラ>ソ・<ラ<♯ラ|
<シーーシーシ|シーー<ド<レ<♯レ|<ミー♪
前半は【ソ(a)の2分音符】を、後半は【【ファ(g)の2分音符】】を、
それぞれに「4度」ずつも繰りだすのである。なんという「くどさ」であろう。
感動してしまうのである。
1番チェロがシテ主題(前半)を再呈示。1番vnがオブる。
1番vnおよび1番チェロが奏でるのは、
せつなさで胸がつまりそうなほどのカンツォネッタである。
ピッツィ奏法の弦はさながらマンドリンの伴奏である。
1番ヴィオラがシテ主題後半の、
♪ファーーー>ミー|<ファーーー>レン<ミ|<ファーーー<ソン>ファ♪
音型を2度下げたふうな、
♪ミーーー>♯レー|<ミーーー>ドン<レ|<ミーーー<ファー♪
を繰り出し、一天にわかにかき曇らせるのである。
転調を繰り返し、ト短の♪ミーーー>♯レー|<ミーーー♪から、
嬰ハ短の石切的短命転調を経由して、イ短。
♪ラ<シ<ド<レ|<ミーーー>♯レー|
ミーーー(これを嬰ヘ短のソと置き換えて)ソン>ファ|>
【【【ミー<ラーー>ッソ|ソー>ドーーー|
ドー<ファーー>ッミ|ミー>ラーーー】】】♪
「fff」での慟哭に着地するのである。ときに、この【【【】】】箇所を、
音友社の「作曲家別名曲解説ライブラリー/チャイコフスキーの巻/
室内楽の章/弦楽六重奏曲の項」の担当執筆者の井上和男なるおかたは、
何をおっシャルカと思ったら、
「スメタナの『ヴィシェフラド』の主題と“酷似”してる」
とお書きになってるのである。ちなみに、その「ヴィシェフラド主題」は、
♪ソー<ドー○>シ|ソー○○○○|>ミー<ラー○>ソ|ミー○○○○♪
である。音型はおなじであるが、“酷似”してる、というのはいかがであろうか。
まぁ、キュイーの「オリエンタル」の「主題」が「チャイ5」に似てる、
などという感覚よりは、はるかにましではある。それはともかく、
「我が祖国」は「1879年」に「4手用pf譜」が出版されたそうであるから、
チャイコフスキーは「弾いて」たかもしれない。が、「弦六」の慟哭部は、
「ヴィシェフラド主題」というよりはむしろ、チャイコフスキー自身の
「エヴ・オネ」における「重要な動機」のひとつである
♪○ミ<ラ>ソ|>ド、<レ<ラ>ソ♪
への回顧ではなかろうか。「エヴ・オネ」は「大転換期」である「1877年」、
フォン=メック夫人から援助の手を差しのべられた年に作曲されてた作品である。
チェコの女神がおはした城が「ヴィシェフラド」(いまは墓地だそうである)なら、
チャイコの救いの女神とのセイクリド・ハートな思い出がつまった作品が
「フィレンツェの思い出」なのである。ところで、
在日チェコ大使館からほど近い「東京女学館」が、
広尾日赤が建設をもくろんでるマンション建設にイチャモンをつけてるそうである。
女子校ゆえ、ノゾかれる、からだそうである。それもそうである、
げた箱の上に置かれたままの、リボンシトロンのようなさわやかな
足裏のスエットを吸った上履きだって盗撮されやすいかもしれない。10年前は、
渋谷からの通学路にオウムの青山本部があって大変だったのに、
またさアンリまぁ受難をかけぇてお気の毒さまである。
同学小学部卒業生のあびる優も心配して、るかどうかは知らない。さて、
♪ラ<シ<ドー>シ<ド|>ソーー<ド<ファン>ミ|ミー>レーー<ミ|>ド♪
を繰り返し、やがて鎮静し、サンドイウィッチの「パンの片方」を終える。
アダージョ・カンタービレ・エ・コン・モート、3/4、2♯。
11小節の導部(終いの1小節は、フェルマータ附きの全休符)は、
副7(?)の和音が懐古情緒で響くとこから始まる。
上音1番vnの♪ファ>ミ>レ >ド >シ>ラ>ソ♪の下降音階に反行して、
2丁のチェロが♪レ <ミ<ファ<♯ファ<ソ<ラ<シ♪と昇る。
3連のピッツィにのって、「ドルチェ・カンタービレ」発想指定の1番vnが、
シテ主題を歌い出す。
シテ主題(前半):♪【ソーーー】>♯ファー|<【ソーーー】<ミン>ド|
<【ソーーー】<ラー|<【ソーーー】・ソ<ド|ド>シラ>ソ・ソ<レ|
レ>ド>ラ>ソ・<ド<ミ|<ソーーー>ファー|>レーーーーー♪
シテ主題(前半):♪【【ファーーー】】>ミー|<【【ファーーー】】>レン<ミ|
<【【ファーーー】】(修飾音省略)<ソン>ファ|【【ファーーー】】>ミ>レ|
>ド<レ>ド>シ・<ド>シ|>ラ<シ>ラ>ソ・<ラ<♯ラ|
<シーーシーシ|シーー<ド<レ<♯レ|<ミー♪
前半は【ソ(a)の2分音符】を、後半は【【ファ(g)の2分音符】】を、
それぞれに「4度」ずつも繰りだすのである。なんという「くどさ」であろう。
感動してしまうのである。
1番チェロがシテ主題(前半)を再呈示。1番vnがオブる。
1番vnおよび1番チェロが奏でるのは、
せつなさで胸がつまりそうなほどのカンツォネッタである。
ピッツィ奏法の弦はさながらマンドリンの伴奏である。
1番ヴィオラがシテ主題後半の、
♪ファーーー>ミー|<ファーーー>レン<ミ|<ファーーー<ソン>ファ♪
音型を2度下げたふうな、
♪ミーーー>♯レー|<ミーーー>ドン<レ|<ミーーー<ファー♪
を繰り出し、一天にわかにかき曇らせるのである。
転調を繰り返し、ト短の♪ミーーー>♯レー|<ミーーー♪から、
嬰ハ短の石切的短命転調を経由して、イ短。
♪ラ<シ<ド<レ|<ミーーー>♯レー|
ミーーー(これを嬰ヘ短のソと置き換えて)ソン>ファ|>
【【【ミー<ラーー>ッソ|ソー>ドーーー|
ドー<ファーー>ッミ|ミー>ラーーー】】】♪
「fff」での慟哭に着地するのである。ときに、この【【【】】】箇所を、
音友社の「作曲家別名曲解説ライブラリー/チャイコフスキーの巻/
室内楽の章/弦楽六重奏曲の項」の担当執筆者の井上和男なるおかたは、
何をおっシャルカと思ったら、
「スメタナの『ヴィシェフラド』の主題と“酷似”してる」
とお書きになってるのである。ちなみに、その「ヴィシェフラド主題」は、
♪ソー<ドー○>シ|ソー○○○○|>ミー<ラー○>ソ|ミー○○○○♪
である。音型はおなじであるが、“酷似”してる、というのはいかがであろうか。
まぁ、キュイーの「オリエンタル」の「主題」が「チャイ5」に似てる、
などという感覚よりは、はるかにましではある。それはともかく、
「我が祖国」は「1879年」に「4手用pf譜」が出版されたそうであるから、
チャイコフスキーは「弾いて」たかもしれない。が、「弦六」の慟哭部は、
「ヴィシェフラド主題」というよりはむしろ、チャイコフスキー自身の
「エヴ・オネ」における「重要な動機」のひとつである
♪○ミ<ラ>ソ|>ド、<レ<ラ>ソ♪
への回顧ではなかろうか。「エヴ・オネ」は「大転換期」である「1877年」、
フォン=メック夫人から援助の手を差しのべられた年に作曲されてた作品である。
チェコの女神がおはした城が「ヴィシェフラド」(いまは墓地だそうである)なら、
チャイコの救いの女神とのセイクリド・ハートな思い出がつまった作品が
「フィレンツェの思い出」なのである。ところで、
在日チェコ大使館からほど近い「東京女学館」が、
広尾日赤が建設をもくろんでるマンション建設にイチャモンをつけてるそうである。
女子校ゆえ、ノゾかれる、からだそうである。それもそうである、
げた箱の上に置かれたままの、リボンシトロンのようなさわやかな
足裏のスエットを吸った上履きだって盗撮されやすいかもしれない。10年前は、
渋谷からの通学路にオウムの青山本部があって大変だったのに、
またさアンリまぁ受難をかけぇてお気の毒さまである。
同学小学部卒業生のあびる優も心配して、るかどうかは知らない。さて、
♪ラ<シ<ドー>シ<ド|>ソーー<ド<ファン>ミ|ミー>レーー<ミ|>ド♪
を繰り返し、やがて鎮静し、サンドイウィッチの「パンの片方」を終える。
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