チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「京の町はどんどん焼け、本能寺の本堂も丸焼け/禁門の変(蛤御門の変)から150年」

2014年08月20日 15時12分39秒 | 歴史ーランド・邪図
京都で次々とヘマをやらかして面目が立たなくなってた長州藩は、
御所守備の任に就いてた会津・桑名藩に刃ならぬ銃を向けた。それが
150年前に起きた禁門の変(蛤御門の変)である。
同じく幕命によって朝廷を守ってた大垣藩、
外様の薩摩藩、そして新撰組も長州藩と戦闘状態になった。
長州藩は口ほどにもなく敗れ、
藩邸(現在の京都ホテルオークラ)を焼き放って逃げた。
その火がおりからの風に乗って、
御所の南側、つまり丸太町通りから南、
現在の中京区・下京区をたちまち焼き尽くしてしまった。
これを京都の人は銃声の「ドンドン」にもかけて
「どんどん焼け」と言ったのである。

本能寺もこのとき薩摩藩の砲撃で本堂が焼けたという。
同寺は「本能寺の変」で知られる有名な寺であるが、
応永22年(西暦およそ1415年)に創建されて以来、
天文5年(西暦およそ1536年)の天文法華の乱で
延暦寺の僧兵による放火で焼失し、
天正10年(西暦およそ1582年)の本能寺の変で焼け尽くし、
その10年近くのちに秀吉の命で現在地に移転してからも、
江戸時代中期の天明8年(西暦およそ1788年)の天明の大火で焼失し、
そしてまた幕末のこの禁門の変で焼け落ちた、
という(種子島)火薬との関係が深かった寺らしく火災が多い寺である。

長州藩士の宿舎となってた嵯峨嵐山の天龍寺も
長州藩士の残党捜しで薩摩藩兵によって焼き討ちされた。かように、
京都の町並みは多大なる被害を被った。ところが、
長州藩のシンパが多かった京の庶民らは、
火災の責任を幕府方に向けた。いっぽう、
騒動の当事者である長州藩はこれでいっそう幕府方、とりわけ
薩摩・会津への恨みを募らせ、
「薩賊会奸」と履き物に書いてそれを常に踏みつけるような
子供じみたまねをしてリヴェンジを夢見たのである。が、
太平洋戦争当初、日本軍に完敗して制空権と制海権を奪われて
"大将討ち死に"が現実のものとなりそうだったために
そんなことになってしまったらアメリカの面目がなくなってしまうと
ルーズヴェルトの命でフィリピンからオーストラリアに逃げざるをえなかったマッカーサーが
「アイ・シャル・ガシンショウターン(おいら、ぜってー戻る)」
と必ずや仕返ししてくれるぞジャップめ、となったのと似てる。

長州藩は倒幕のために憎っくき薩摩藩と薩長同盟という方便を使うものの、
明治新政府において、西郷を下野させ西南の役を起こさせ朝敵として自害させ、
大久保を旧加賀藩士ら不平士族に暗殺させた。そして、
伊藤・山縣の長州閥が優位となり、さらには長州内でも
山縣の奸計で伊藤は初代韓国統監として"飛ばされ"て、
満州ハルビンで始末され、山縣の一人勝ちとなるのである。
いずれにしても、
反幕府、徳川憎し、倒幕、というルサンチマンを抱きながら250年を我慢してきた
毛利の下級武士(伊藤や山縣は下級武士どころか中間)あがりが連なる
明治政府が作った軍や省庁、そして議員制度が、
自分らの利権優先・既得特権独占の不潔な政治体制を形作って
現在に至ってるのである。
それまでの武家政権時には植民地にできなかった英米にとっては、
日本を"脱武士道"にさせることが必至だったのである。
山縣が作った長州閥の旧帝国陸軍が中国(とその属国朝鮮)に関わり、
陸軍の独走で独伊との同盟を結び、その結果として
米英との"非武家戦闘"に引きずり出され、
民間人無差別爆撃(空襲)、大量殺戮兵器原爆投下をされ、
300万人以上が戦死し、結果、その後69年間現在に至るまで、
米英の(実質)経済奴隷=金融植民地とされてるのである。

日本が数々の恩恵(カネ、技術、教育、学校、道路、病院)を与えてやった
民族はそれに感謝するどころかそれが悔しくて、そうした世代に
ウソで固めた歴史を教えこまれてそれを鵜呑みにして、
"正しい歴史認識をしろ。謝罪しろ。誠意を示せ(カネよこせ、という婉曲表現)"
と、ゆすりたかるのである。ちなみに現在でも、
GDPの5パーセントを売春産業が占める売春立国でまさにウリ・ウリだが、
体面に拘る民族ゆえに隠そうとして摘発を続けてきたものの、
桶も作れなかった民族ゆえ他に産業らしい産業もなく売春婦はいっこうに減らず、
海外への出稼ぎということになったわけだが、
性病(梅毒、HIV)に罹ってる売春婦は率先して日本に出稼ぎにやってきてるらしい。
あの性根+ご面相と平気でヤレる男らの神経を尊敬してしまうが、
50年後くらいにはその民族に親戚がいる新聞記者や
日本を貶めることしか頭にないイデオロギー・バカらが
"強制連行・強制労働だった"と書きたて囃したてててキャンペーンを張ることだろう。
すばらしい歴史が築かれること請け合いである。
仮に、そんな悪道な民族がいたら、という芥川賞並のフィクションのお話であるが。
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