チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「フィレンツェの思い出/舞踊章」

2005年05月24日 15時25分51秒 | 弦六大地震(花のお江戸の中心グラ
カンツォネッタ章につづいて、この章も、
「A(パン)→B(具)→A(パン)」というサンドウィッチ砂かけ婆形式。
(パン部)
アッレーグロ・モデラート、2/4、無調号。
冒頭2小節、(?)→(?)|→(?)→(?)の導入。
1番ヴィオラがシテ主題を奏でる。
♪ラー<ミー>レーレレ|>ドーーー>シーーー|
>ラー<ドー>ソーソソ|>ファーーー>ミーーー|
>レー<ミー>ラーララ|ラーーー<ドーーー|
<レー<ミー>ラーララ|ラーーーーーーー|♪
ルネサンス期のフィレンツェでは、こんな調べが奏でられてた、
のである。まったくロシアの臭いはしない。そのころのロシアは、
モンゴル人にホーミー唱法をどっぷりと喉に叩き込まれてた、
のである。1番vnが「同音程」でシテ主題を繰り返す。ついで、
♪ラー<シー<ドー>シ<ド|<レーーー<ミーーー|
>ドー<♯レー<ミー>♯レ<ミ|<♯ファーーー<ソーーー|
>ミー<♯ファー<ソー>♯ファ<ソ|<ラーーー<シーーー|
ーー<♯ド<レ<ミー>レ<ミ|<♯ファーーー・ーーーー……♪
イ短→ホ短→ロ短、である。そして、ロ短→ホ短→イ短、と戻る。
モノノホンには「イ短から平行長調に転調」などと書かれてるのであるが、
どこをどう探してもそんな転調は見つからない。まぁ、
哀川翔と浅香光代の顔が区別できない私であるから、見つけれないだけかもしれぬ。
もっとも、ジョニー大倉と志摩紫光の顔の区別くらいはつく。さて、
2丁のチェロが「ユニゾン」で、ついで、1番vnがシテ主題を奏でる。
ハ長の主和音を64分音符刻み。そして、
♪ドー>シー>ラーララ|ラーーー・ーーーー|
ラー>ソー>ファーファファ|ファーーー・ーーーー♪
イ短→変ロ長、ピッツィ。変ロ長→イ短。(パン部)が終わる。
(具部)
♪ド<レ<ミ・<ファ>ミ<ファ・>レ<ソ>ファ・>ミ>レ>ド♪
という3連符の「無窮動ふう」トリオから、
改訂時に全面的に書き換えられたのが、
→リステッソ・テンポ、3♯。
♪ソッ<ドドドッ>♯ファッ・<ソッ<♯ソッ<ラー>ミー|
<ソッ<ラララッ>ミッ・<ファッ<♯ファッ<ソッ>レ<♯レ|
♯レッ♯レ<ミミッ>♯ラ<シ・シッシ<ドドッ>♯ファ<ソ|
ソッ<ラー<シー<ドー・<レー<ミー<ファー<♯ファー♪
という「サルタンド(弾き弓奏法)」で繰り広げられるチャイコ流
「サルタレッロ」である。初稿から改訂までの間に、
チャイコフスキーは「メック夫人からの絶交通知」、
「妹の死」と「渡米」を体験したのである。アメリカでは、
ヴァンダービルトが敷いたJR東海岸の快速にも乗ったであろうし、
ナイアガラの「瀑布(salto)」のシブキも浴びたであろうし、
マンハッタン島からハドスン川を隔てた対岸のホウボウケンで、
オランダ人譲りのニッカーボッカーにソックスという独特のいでたちで、
イタリア移民のシナトラ一家vsアイヅランド移民のオハラ庄助一家が
野球の親善試合をしたあとでくりだすミンストレル・ショウで、
フィドルを擦らせながら歌い踊るのを聴いた、のかもしれない。
♪フィドルあほうにミールあほう。おなぁじあほなぁら、踊らにゃ、そんそん♪
ここで繰り返されるリズムが2番チェロで続けられる中、
(パン部)に回帰。→無調号。
2丁のvnが「オクターヴ・ユニ」でシテ主題を
「カンタービレ」再現。
ほぼ「型どおり」の再現がされて、
イ短主和音を「ff」でピッツィして、終了。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ハゲタカ式食欲旺盛馬券術... | トップ | 「他人のブラでニップル相撲... »

コメントを投稿

弦六大地震(花のお江戸の中心グラ」カテゴリの最新記事