チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「他人のブラでニップル相撲を取る男」

2005年05月26日 17時14分56秒 | 倒錯の世界(嗜好の微調節と微ヒョウセツ
巷で話題の「ピアノマン」。言葉はいっさい発しないとか。
が、紙を与えるとピアノを影附きで描いたそうな。
そして、もうひとつ描いたというのは「スウェーデン国旗」だとか。が、
ピアノは墨一色で描いてるのに、国旗は見せない。では、
なぜ「スカンディナヴィア十字」の「違い」、がわかったのであろうか?
こっちはダーウェントまたはホルバインもしくはステッドラーそれとも
ファーバー・カステルあるいはぺんてるの12色鉛筆でも与えたのか?
私なら色鉛筆よりはエロエンピツ・ゲームのほうが克己できない。
未だにエロい女性らとの合コンを愉しんでるドスケベオヤジである。
そのエロい合コンのときの「行事」のひとつに、「チクビ相撲」というのがある。
凧糸で繋いだ4つの洗濯バサミを2つずつ双方の両チクビに挟んで、
「はい、見合って! 八卦よい、残った!」という合図で始めるギョウジである。
じつは、nipple(チクビ)という語は、赤ちゃんがかあちゃんの
チクビを唇もしくは歯でnip(挟む)というオヤジギャグが語源である。
取り組みは大相撲とおなじく「同部屋どうしは対戦しない」、つまり、
男どうし女どうしにはせず、かならず男対女で勝負するのである。すると、
優勝者と劣敗者が異性どうしとなる。このゲームの優勝者「ご主人様」に対して、
劣敗者の「奴隷」は、その日あらかじめ決めておく「ご命令」に従わなければならない、
という、つまりは「王様ゲーム」の1ヴァリアションである。個々の勝敗は、
チクビに挟んだ洗濯バサミが片方でも最後までとれなかったほうの勝ちである。
が、いくらエロい女の子たちだからといって、
「じかに」挟んだのではシャレにもならない。いちおう、
ブラの上からチクビを洗濯バサミで挟むのである。男性陣もおなじである。が、
男性陣のなかに、「マイ・ブラジャー」を持参してこないやつがいるのである。
我々が「マイ・ブラ」を貸してやるのである。まぁ、
出自がイイので女の子ウケするから我々の仲間に入れてるのでしかたがないが、
こういうタイプにややもすると、
「他人から聞いた話や情報・知識を自分が考えたことのように披露するのが多い」、
ような気がする。ときに、「音楽」の世界でも、そんな連中は少なくない。
他作を自作のように平然と「アウトプット」するのである。
かつて、支配欲求が異様に強いのが営んでたソ連というのがあったが、
野球はロシアで発祥したものだ、などという厚顔無恥なことを言ってたソ連人がいた。
が、そういったむきは、結局のところ、オツムが弱い、憐れむべき民なのである。
ところで、話はまるですっかり変わるが、
ヨハネス・ブラームスの「1番交響曲」はじつによく練られた音楽である。
このブラームスという「大作曲家」は、出自は悪い
(カースト制における「バラモン」だったなら最高階級であるが)が、
勉強家で、じつに知能の高い人物だったように思われる。
「すぐ全裸になる」のが持ちネタのお笑い芸人で、
劣等改造願望からやがてボクシングを身につけ、シェイプアップし、
大画伯となったTVタレントも立派である。モノマネが本業であった。さて、
ヨハネス・ブラームスの「1番交響曲」である。
「第1楽章(主章)」
序奏冒頭がクラーラ・ヴィークの「ヘ短pf協奏曲」冒頭である。
「第2楽章(緩徐章)」
冒頭:♪ミー<ファー<ラー|>ソン>ファ>ミー○○|*♪が
「ベト6」主章シテ主題:♪○ミー<ファー<ラー|>ソー>ファ>ミ>レッソッ♪
まるうつしである。
つづく:♪*レーレレ<♭ミン>ド|ドー>シ♪が
「モツレク」入祭唱途中:♪ランラ>ソー>ファー>ミー|
             >【レー<♭ミ>ド・ドー>シー】|<ドー♪
丸写しである。
「第3楽章(諧謔章)」
15小節からの、
♪【ドン>ソ>ミン<ラ|>ソーーン<ラ|>ソーーン<ラ】♪
は、「ベト7」主章序奏冒頭、1番オボの、
♪【ドーーー>ソーーー|>ミーーー<ラーーー|
>ソーーー・ーーーー|ーー<ラ>ソ・ソー<ラ】>ソ♪
丸写しである。いっぽう、
「A-Bー小A形式」の小A部でのクラによるシテ主題再現のあとの1番vn、
♪ミー<ソー>ファー>ミー|【レー<ミ<ファ>ミー>シー|<ド】
<レ>ド>シ<ド<ミー>レー♪および、
「第4楽章(終章)」
シテ主題:♪ドー|<レー<ミ<ファ>ミー>レー|レーーー>ド】が
「ベト9」の「歓喜に」主題:♪【レー<ミ<ファ>ミー>レー|>ド】♪
ほとんどうつしである。が、
この箇所の「類似」を指摘されたとき、ブラームス大先生は、
「そうでごぜぇますだ。敬愛するベートーフェンさまから引用させてもらいますただ」
というようなことを言ってれば、まだ救われたのであるが、
「ごもっともや。せやけどな、さらにけったいなんが、
ロバの耳にはなにかとおなじに聞こえてまうっちゅうこっちゃ」
と言ってのけ、これが「オマージュでない」ことを公言してしまったのである。
いっぽう、この「ブラ1」の節から感化された「音楽作品」も少なくない。
アリクサーンドゥル・バラヂーンの「中央亜細亜の草原にて」(1880年)は、
その稚拙な作りにもかかわらず魅力を持った音楽であるが、そのワキ主題、
♪【ミ<ファ>ミー|<ソン<ラ>ソー|ー】<ラ>ソ>ファ>ミ♪は、
「ブラ1」主章シテ主題部の
♪【ミッ|<ファッ>ミーー|ーーー○<ソッ|<ラッ>ソーー|ーーー】♪である。
また、やはり1880年に作られたドヴォルジャークの「7つのロマ歌」中の
「かあちゃんがおせぇてくれた歌」冒頭、
♪【ドー>シ>ラ|<ドー>シ>ラ】|<ド<ファー>ファ|ファー♪と、
1893年に米国で作った「新世界から」緩徐章中間前部の
♪【ド>シ>ラ・ラーー<ド>シ>ラ|<ド>シ>ラ・ラーー<ド>シ>ラ】
>ソ>ミ<ソ<ラー♪とは、
「ブラ1」主章コデッタの♪【ド>シ>ラ、<ド>シ>ラ】♪を
ローンダリングさせたものである。伊福部昭大先生も、この
♪【ド>シ>ラ、<ド>シ>ラ】♪をあしらった「ゴジラ」によって
大作曲家列伝の「末位」に収まってるのである。さらには、
昭和の名ソプラノ故砂原美智子女史の親戚伊藤咲子女史が歌った
「木枯らしの二人」という歌謡曲にも、「ブラ1」♪【ド>シ>ラ】♪由来の
「新世界から」中間前部主題が使われてるそうである。ちなみに、
「新世界から」緩徐章の中間後部主題
♪【ミ<ファ<ソ>ミ>レ>ド】・<レ<ミ<ファ>ミ>レ>ド・
<レ<ミ<ファ>ミ<ソ・>ファ>ミ>レ<ミ>ド♪は、
♪【ミ<ファ|<ソー>ミ>レ>ドー】ド>シ|>ラ<ファーーーーー♪
(【だれのぉ~ためにぃ~】裂いたのぉ~~~~~)という
伊藤咲子女史のデビュー曲「ひまわり娘」として採られてたのである。
であるから、どちらかといえば「新世界から娘」だったのである。
それらはともかくも、「ブラ1」はチャイコフスキーも感化してるのである。
「ブラ1」終章の「アルペン・ホルン節」は有名であるが、冒頭、
♪【ミーーーーー>レ>ドォ|>ソーーーーーーー】♪が、
「チャイコン」主章序奏冒頭、
♪【ミーーーーー>レ>ド|>ソー】、<ド<レ<ミー<ラ>♯ファ|
<ソー、>ミーーーミー|<ファー>ミー>レー○○|
レーーーーー>シ>ラ|ソー<レーー<ミ|<ソーー>レレ<ミ|
<ソーー>ミ<ラ>ソ|>レーー>シ>ラ>ソ>ファ>レ♪
に採られてるのである。クラランで作曲したから、
「スイスつながり」というチャイコフスキー独特のオヤジギャグのオチである。
ときに、相撲は世界に我が国の大相撲、モンゴル相撲ブフ、韓国相撲シルム、
など、漢人からは夷狄と蔑まれてた諸国に多いのであるが、
スイスにはシュヴィンゲンというスイス相撲があるのである。
力士の四股名には、やはりアルプスの本場だけに何々山(-berg)、
というのが多いそうである。というのはでまかせである。
ちなみに、「アルプス」の語源はラテン語の「albus=白」である。
「白い頂き=雪および雲」である。仏の「モン・ブラン」も同様である。
ケーキのモンブランには白い栗が乗っかってるのであるが、
紋舞らん嬢のほうは、何が白いんだか、私は知らないのである。
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