去る20日に、胃癌のためクラ音指揮者の
Claudio Abbado(クラウディオ・アッバード、1933-2014)が死んだ。
同人はチャイコフスキーに関してあまりいい指揮者でなかったのだが、
それでも多くの録音を残したのでそのほとんどは買って聴いた。
ムーソルグスキーが好きだったらしく、
「はげやまの一夜」の作曲者原典版(リームスキー=コールサコフの有名なほうでないもの)
の録音もしてる。他にこれといった競合録音がないので、
同曲の我がベストチョイスである。
アッバードはマーラーが得意だったらしいが、私は
マーラーはあまり好きなほうではないので、
同人の指揮になる録音物は一部しか持ってない。
私が持ってる同人が指揮した録音物では、フィリピン人ピアニストの
Cecile Licad(セスィル・リカード、1961-)女史とシカゴ響との
ラフマーニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」が最高の演奏である。
ことに第18変奏のピアノとオケとのバランスは絶妙である。
10歳のときに私ははっきりとクラ音が好きなことを自覚した。
それ以来、レコードを買いあさったのだが、12歳のときに
ボスコフスキーといわゆるウィーン・フィルのシュトラウス2世のウィンアナ・ワルツ集を聴いて、
このオケを生で聴きたいと思うようになった。
15歳のときに4度めの来日公演があった。
昭和48年(1973年)の3月下旬から4月上旬まで13公演、そのうち、
東京では4公演だった。が、
すでに中三で普段は一人で銀座に行くことはokだったのに、
一人で上野に行かせてはもらえなかった。
東京文化会館での4公演のうち3公演が平日で、
親が時間が取れたのが4月7日の土曜だけだった。
そのときの演奏曲目は、
シューベルト「未完成交響曲」、ヴェーベルン「管弦楽のための5章(op.10)」、
ブラームス「交響曲第2番」、だった。アンコールは、
ヴァーグナー「ニュルンベルクのマイスタジンガー第1幕への前奏曲」、
シュトラウス2世「こうもり序曲」、だった。
ブラームスの「交響曲第2番」の終いと、
ヴァーグナーの「ニュルンベルクのマイスタジンガー第1幕への前奏曲」は、
管をダブらせてたとはいえ、とてつもなく迫力があり、かつ、
オケ全体がうなるようなしなりで音楽の持つ
クライマックスの妙を発揮したものだった。
生で聴くことができなかった
トスカニーニ&NBC響がおそらく最高だと推測されるが、
実際に聴いた中ではこれほどの演奏はのちにも体験したことはない。
公演の演奏の順が前後するが、
39歳のアッバードの指揮に初めて接したのは
シューベルトの「未完成交響曲」だった。そして、そのときの私は、
"Io abbado i suoi movimenti."
状態となってしまった。音楽はそっちのけで
耳より目が釘付けとなったのである。
ウィーン・フィルの音に対して、アッバードの三拍子は、
ほぼ4分音符ひとつ分の先振りだったのである。
後年は右手のタクトで拍を取るような指揮はしなかったみたいだが、
このときのアッバードの指揮はそのように異様なものだった。
ことによると、この当時は、
実質ウィーン・フィルの"自主演奏"だったのかもしれない。
あれで見事にアッバードがウィーン・フィルを操ってだのだったとしたら、
いっこく堂もびっくりな時間差芸だったといえよう。
昨年10月に予定されてた"ルツェルン祝祭管"との来日公演でも
「未完成交響楽」(とブル9)がプログラムに組まれてたらしい。
夏8月の本場の"ルツェルン音楽祭"でも同じプログラムだったのである。
そしてそれが、アッバードの最後の指揮となった。
(シューバート「未完成交響曲」第1楽章提示部を
https://soundcloud.com/kamomenoiwao01/unfinished-symphony-1st-mov
にアップしました)
Claudio Abbado(クラウディオ・アッバード、1933-2014)が死んだ。
同人はチャイコフスキーに関してあまりいい指揮者でなかったのだが、
それでも多くの録音を残したのでそのほとんどは買って聴いた。
ムーソルグスキーが好きだったらしく、
「はげやまの一夜」の作曲者原典版(リームスキー=コールサコフの有名なほうでないもの)
の録音もしてる。他にこれといった競合録音がないので、
同曲の我がベストチョイスである。
アッバードはマーラーが得意だったらしいが、私は
マーラーはあまり好きなほうではないので、
同人の指揮になる録音物は一部しか持ってない。
私が持ってる同人が指揮した録音物では、フィリピン人ピアニストの
Cecile Licad(セスィル・リカード、1961-)女史とシカゴ響との
ラフマーニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」が最高の演奏である。
ことに第18変奏のピアノとオケとのバランスは絶妙である。
10歳のときに私ははっきりとクラ音が好きなことを自覚した。
それ以来、レコードを買いあさったのだが、12歳のときに
ボスコフスキーといわゆるウィーン・フィルのシュトラウス2世のウィンアナ・ワルツ集を聴いて、
このオケを生で聴きたいと思うようになった。
15歳のときに4度めの来日公演があった。
昭和48年(1973年)の3月下旬から4月上旬まで13公演、そのうち、
東京では4公演だった。が、
すでに中三で普段は一人で銀座に行くことはokだったのに、
一人で上野に行かせてはもらえなかった。
東京文化会館での4公演のうち3公演が平日で、
親が時間が取れたのが4月7日の土曜だけだった。
そのときの演奏曲目は、
シューベルト「未完成交響曲」、ヴェーベルン「管弦楽のための5章(op.10)」、
ブラームス「交響曲第2番」、だった。アンコールは、
ヴァーグナー「ニュルンベルクのマイスタジンガー第1幕への前奏曲」、
シュトラウス2世「こうもり序曲」、だった。
ブラームスの「交響曲第2番」の終いと、
ヴァーグナーの「ニュルンベルクのマイスタジンガー第1幕への前奏曲」は、
管をダブらせてたとはいえ、とてつもなく迫力があり、かつ、
オケ全体がうなるようなしなりで音楽の持つ
クライマックスの妙を発揮したものだった。
生で聴くことができなかった
トスカニーニ&NBC響がおそらく最高だと推測されるが、
実際に聴いた中ではこれほどの演奏はのちにも体験したことはない。
公演の演奏の順が前後するが、
39歳のアッバードの指揮に初めて接したのは
シューベルトの「未完成交響曲」だった。そして、そのときの私は、
"Io abbado i suoi movimenti."
状態となってしまった。音楽はそっちのけで
耳より目が釘付けとなったのである。
ウィーン・フィルの音に対して、アッバードの三拍子は、
ほぼ4分音符ひとつ分の先振りだったのである。
後年は右手のタクトで拍を取るような指揮はしなかったみたいだが、
このときのアッバードの指揮はそのように異様なものだった。
ことによると、この当時は、
実質ウィーン・フィルの"自主演奏"だったのかもしれない。
あれで見事にアッバードがウィーン・フィルを操ってだのだったとしたら、
いっこく堂もびっくりな時間差芸だったといえよう。
昨年10月に予定されてた"ルツェルン祝祭管"との来日公演でも
「未完成交響楽」(とブル9)がプログラムに組まれてたらしい。
夏8月の本場の"ルツェルン音楽祭"でも同じプログラムだったのである。
そしてそれが、アッバードの最後の指揮となった。
(シューバート「未完成交響曲」第1楽章提示部を
https://soundcloud.com/kamomenoiwao01/unfinished-symphony-1st-mov
にアップしました)
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