近頃、ノロ・ウィルスが日本で流行りすぎてる。
近隣悪徳国家が東京五輪失敗狙いの細菌ヴァイラス・テロへの
スィミュレイションを行ってるという噂もあるようである。
伊勢詣り(イセマイリ)とイスラエルをいつも聞き間違えてしまうような
拙脳なる私にはその真偽のほどは判りかねるが、
NHKの新会長の真っ当な話を鬼の首を取ったように
また貶日左翼の悪徳ウソツキジデス史観新聞社と
それに煽動される歴史改竄&美容整形術依存症候群民が
やり玉に挙げてることは知ってる。ときに、
ソウルの整形外科病院が手術で切除した1000人分の顎の骨で作った
オブジェを院内に展示して、その様子をネットにもあげてたのが
最近問題になったようである。骨の一つひとつにはご丁寧にも
それぞれの患者の名前まで明記してたとのことである。
そんな中、
ロシアではプーチンがその元KGB強面の面目躍如といった動きを見せてる。
先月末には、北コーカサスのいわゆるピャチゴルスクでもテロがあって3人が死んだ。
かつてレールモントフが決闘死した地である。
(cf;「雷雨の中のレールモントフ惨死/プーシキンになりたかった男(その壱)」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/e0d93d32b70159c7e38c8c72e48a3c58
「サバーキェ、サバーチヤ・スミェールチ(犬には、犬の死にざま)/レールモントフの死に場所(その弍)」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/ca783e179038fa315eec8050ac918d1d )
が、政敵や刃向かう者は、
合法的に打ち破るのでもなく追い落とすのでもなく、
号砲的に殺す、という短絡的ながら成功すればもっとも確実な方法で、
ソヂ輪の安全開催を名目に反ロシアのイスラム勢力を掃討しまくる
措置を取ってる。そのいっぽうで、同じくトリコロル旗の
フランスのオランドは主義主張は社会主義の左翼ながらも
女事となると平等とはほど遠いスケコマシぶりがさかんに報道されてる。
♪おどま、ボン・クラージュ、ボン・クラージュ、ボン・タンから先ゃオランド♪
ロワイヤル女史から奪って今度は捨てられたトリルヴェレル女史の
Trierweiler(トリーアヴァイラー)とは、
フランスとの国境近くのドイツ・ザール地方の町の名である。つまり、
同女史のルーツはドイツなのである。
ともあれ、
「自活できる職業婦人」らを次々に手玉に取り、逆に、
他の女から男を奪った女がまた別の女にその男を寝取られる、
といったさまは、
つい数十年前まで白人の中でも有数の「男尊女卑」国家で
どうせ俺のピピンピンなフランクフルトにメロメロヴィング調なんだろう、
ジュテーム・ジュテーム・御棒の擦り切れ、と、
世界で一番美しい整形媚人は誰?
♪Eigh-go, eigh-go, it's homme from blowwork oui go♪
性上納が常套の糊塗依存症候群民以上に
女性への性暴力があたりまえだったフランス男の本質を
如実に表してる。しかしながら、
ド=ゴール将軍以来の第5共和制のこの国は「エ、アロール?」と、
労働力確保目的で女性の自立と地位向上を名目にして、
ノンがいえナイ女からの脱却を目指させ、
政教分離でも三権分立でもなく、
政性分離・家事分立という愚鈍なモンテスキュー流「法の性身」が尊ばれてる。
40代の職員とか49歳の契約社員とかだけで
名前をなかなか報道しなかったので
精神科通院歴者かと思わせるような、
49歳といういい歳をして「ワンピース」かぶれな幼稚人格の
元古牛乳使用雪印下請け工場マラチオン混入犯は、ともかくも、
「この顔にピピンときたら110番!」
と指名手配される前にとっつかまったようである。
「レモン450個分のヴァイタミンC!」
と聞いてピピンCとくる御仁は私のような
エロキモジジイしかいないかもしれないが、かつて、
♪おっ肌にピピン、お足にピッピーーン。アソコこにもピピン♪
などというエロさ丸出しのCMソングとともに
矢田亜希子嬢時代の矢田亜希子女史がもうひとりと
ミニスカ女子高生制服姿で尻が見える間際まで
ミニスカの裾を上げてたUha味覚糖のお色気TVCMがあった。
今年は、フランク王国カロリング朝初代王の
Pippin III(ピピン3世=小ピピン、714-768)
が生まれて1300年の年にあたる。誕生の日付は不詳である。ちなみに、
その祖父にあたるピピン2世(中ピピン)はその年の12月に死んでる。ともあれ、
ピピン3世はフランク王国メロヴィング朝宮宰カール・マルテルの倅として生まれた。
同人は「トゥール=ポワティエの戦い」で、当時イベリア半島を支配してた
イスラム勢力の(現在の)フランスへの侵入の野望を打ち砕いた。ちなみに、
以前、テレ朝の芸能人クイズ番組で、京大という国民の税金に助成されてる
国立大を卒業したくせにそれを国民に恩返しせずに
お笑い芸人(しかもおもろくない)をやってる宇治原史規は、
「イベリコ豚が生まれた国は?」という問題に、
「イタリア!」と答えた。こういう知能がやや高い人間でも、
物事をただ丸暗記して意味立てて覚えることをしないから、
「イタリア語っぽい」という誤った感覚からだけで誤答してしまうのである。
Iberico(イベリコ)とは「イベリアの」という意味のスペイン語形容詞である
(同じくラテン語系のイタリア語でも同じ意味であるが)。
たとえ「イベリコ豚」そのものを知らなくても、
語源から類推すれば「スペイン」という正答が出てくるはずなのである。
それらはともかくも、
イスラム勢力を駆逐したことでカール・マルテルの権威はさらに増大し、
フランク王国の実質的な支配者となったのである。
その跡を継いだピピン3世は他の兄弟2人を出家させ、さらには
751年、根回しを済ませて主筋であるメロヴィング朝の王を廃位させ幽閉し、
スワソンにおいて教皇による塗油の儀式(聖別式あるいは成聖式)を経て
自らが王位に就いたのである。そのように、キリスト教社会では、
教皇や大司教などによって頭に聖油を注がれたのち
神への奉仕を誓わせる儀式を受けた者が世俗的支配者となるのである。
のちにナポレオンも同様の式を経てフランス皇帝となった。その場面が
ダヴィッドによって描かれ、ルヴルに飾られてる。ともあれ、
スワソンでだけでは飽きたらず、ピピン3世は
ソン=ドゥニ(いわゆるサン=ドニ)でも塗油を受ける成聖式を行った。そして、
自分だけでなく息子2人にも塗油を施させた。
それは王位の世襲を意味したからである。
そうして「カロリング朝」が始まったのであり、その息子のうちのひとりが、
ピピンの子だからといってお菓子名だったわけではないが、
「西ローマ帝国」皇帝となるカール大帝(シャルルマーニュ)である。
フランク王となったピピン3世は、そうした
強硬手段を手伝わせた礼に、教皇のローマを攻撃した
ランゴバルド王国を討ち、獲得したラヴェンナを教皇ステファヌス2世に寄進した。
いわゆる「ピピンの教皇領寄進」である。これが
「教皇領」のはしりとなった。のちにはローマを含む地中海側から
ラヴェンナやリーミニなどアドリア海側までに至る
中北部イタリア一帯を占めるまでになる。
768年、ピピン3世はサン=ドニ修道院内で死んだ。歴代フランス王のならわしとして
棺は大聖堂のバシリカに収められた。ちなみに、10世紀に
ユーグ・カペーによってピピン3世同様にカロリング朝は王位を奪われることになる。
カペー朝、その後継ヴァロワ朝、さらなるブルボン朝と、
三度ニわたってユーグ・カペーの血統(ロベール家)がフランス王を襲うのである。
そうしてフランスでは他国がフランス王を奪おうとするのを防ぐために
サリカ法(簡単に言えば男系世襲)を守ってきた。現在でも
ブルボン家の分家であるオルレアン家がカペーの男系を繋いでる。なぜ、
ジャンヌ・ダルクがフランス救国の聖人なのか、それで解るだろう。
伊藤博文は併合反対派で併合後に総督となった後も
数々のインフラ整備や腐敗しきった政治改革を進めた。
そんな人物を射殺しようとした、
二次方程式の一般解の判別式=0みたいな輩を英雄といって崇め
記念館を建てるのは、"正しい歴史認識"にはほど遠い。
そんなに日本が妬ましいのなら、経済破綻したときに
日本が米国に次ぐ出資率第二位のIMFのお世話には
意地でもならなければよかったのに。
日本人が敷いてくれたインフラを全部破棄しちゃえばよかったのに。
嘘つきは泥棒の始まり、とはよく言ったものである。
近隣悪徳国家が東京五輪失敗狙いの細菌ヴァイラス・テロへの
スィミュレイションを行ってるという噂もあるようである。
伊勢詣り(イセマイリ)とイスラエルをいつも聞き間違えてしまうような
拙脳なる私にはその真偽のほどは判りかねるが、
NHKの新会長の真っ当な話を鬼の首を取ったように
また貶日左翼の悪徳ウソツキジデス史観新聞社と
それに煽動される歴史改竄&美容整形術依存症候群民が
やり玉に挙げてることは知ってる。ときに、
ソウルの整形外科病院が手術で切除した1000人分の顎の骨で作った
オブジェを院内に展示して、その様子をネットにもあげてたのが
最近問題になったようである。骨の一つひとつにはご丁寧にも
それぞれの患者の名前まで明記してたとのことである。
そんな中、
ロシアではプーチンがその元KGB強面の面目躍如といった動きを見せてる。
先月末には、北コーカサスのいわゆるピャチゴルスクでもテロがあって3人が死んだ。
かつてレールモントフが決闘死した地である。
(cf;「雷雨の中のレールモントフ惨死/プーシキンになりたかった男(その壱)」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/e0d93d32b70159c7e38c8c72e48a3c58
「サバーキェ、サバーチヤ・スミェールチ(犬には、犬の死にざま)/レールモントフの死に場所(その弍)」
http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/ca783e179038fa315eec8050ac918d1d )
が、政敵や刃向かう者は、
合法的に打ち破るのでもなく追い落とすのでもなく、
号砲的に殺す、という短絡的ながら成功すればもっとも確実な方法で、
ソヂ輪の安全開催を名目に反ロシアのイスラム勢力を掃討しまくる
措置を取ってる。そのいっぽうで、同じくトリコロル旗の
フランスのオランドは主義主張は社会主義の左翼ながらも
女事となると平等とはほど遠いスケコマシぶりがさかんに報道されてる。
♪おどま、ボン・クラージュ、ボン・クラージュ、ボン・タンから先ゃオランド♪
ロワイヤル女史から奪って今度は捨てられたトリルヴェレル女史の
Trierweiler(トリーアヴァイラー)とは、
フランスとの国境近くのドイツ・ザール地方の町の名である。つまり、
同女史のルーツはドイツなのである。
ともあれ、
「自活できる職業婦人」らを次々に手玉に取り、逆に、
他の女から男を奪った女がまた別の女にその男を寝取られる、
といったさまは、
つい数十年前まで白人の中でも有数の「男尊女卑」国家で
どうせ俺のピピンピンなフランクフルトにメロメロヴィング調なんだろう、
ジュテーム・ジュテーム・御棒の擦り切れ、と、
世界で一番美しい整形媚人は誰?
♪Eigh-go, eigh-go, it's homme from blowwork oui go♪
性上納が常套の糊塗依存症候群民以上に
女性への性暴力があたりまえだったフランス男の本質を
如実に表してる。しかしながら、
ド=ゴール将軍以来の第5共和制のこの国は「エ、アロール?」と、
労働力確保目的で女性の自立と地位向上を名目にして、
ノンがいえナイ女からの脱却を目指させ、
政教分離でも三権分立でもなく、
政性分離・家事分立という愚鈍なモンテスキュー流「法の性身」が尊ばれてる。
40代の職員とか49歳の契約社員とかだけで
名前をなかなか報道しなかったので
精神科通院歴者かと思わせるような、
49歳といういい歳をして「ワンピース」かぶれな幼稚人格の
元古牛乳使用雪印下請け工場マラチオン混入犯は、ともかくも、
「この顔にピピンときたら110番!」
と指名手配される前にとっつかまったようである。
「レモン450個分のヴァイタミンC!」
と聞いてピピンCとくる御仁は私のような
エロキモジジイしかいないかもしれないが、かつて、
♪おっ肌にピピン、お足にピッピーーン。アソコこにもピピン♪
などというエロさ丸出しのCMソングとともに
矢田亜希子嬢時代の矢田亜希子女史がもうひとりと
ミニスカ女子高生制服姿で尻が見える間際まで
ミニスカの裾を上げてたUha味覚糖のお色気TVCMがあった。
今年は、フランク王国カロリング朝初代王の
Pippin III(ピピン3世=小ピピン、714-768)
が生まれて1300年の年にあたる。誕生の日付は不詳である。ちなみに、
その祖父にあたるピピン2世(中ピピン)はその年の12月に死んでる。ともあれ、
ピピン3世はフランク王国メロヴィング朝宮宰カール・マルテルの倅として生まれた。
同人は「トゥール=ポワティエの戦い」で、当時イベリア半島を支配してた
イスラム勢力の(現在の)フランスへの侵入の野望を打ち砕いた。ちなみに、
以前、テレ朝の芸能人クイズ番組で、京大という国民の税金に助成されてる
国立大を卒業したくせにそれを国民に恩返しせずに
お笑い芸人(しかもおもろくない)をやってる宇治原史規は、
「イベリコ豚が生まれた国は?」という問題に、
「イタリア!」と答えた。こういう知能がやや高い人間でも、
物事をただ丸暗記して意味立てて覚えることをしないから、
「イタリア語っぽい」という誤った感覚からだけで誤答してしまうのである。
Iberico(イベリコ)とは「イベリアの」という意味のスペイン語形容詞である
(同じくラテン語系のイタリア語でも同じ意味であるが)。
たとえ「イベリコ豚」そのものを知らなくても、
語源から類推すれば「スペイン」という正答が出てくるはずなのである。
それらはともかくも、
イスラム勢力を駆逐したことでカール・マルテルの権威はさらに増大し、
フランク王国の実質的な支配者となったのである。
その跡を継いだピピン3世は他の兄弟2人を出家させ、さらには
751年、根回しを済ませて主筋であるメロヴィング朝の王を廃位させ幽閉し、
スワソンにおいて教皇による塗油の儀式(聖別式あるいは成聖式)を経て
自らが王位に就いたのである。そのように、キリスト教社会では、
教皇や大司教などによって頭に聖油を注がれたのち
神への奉仕を誓わせる儀式を受けた者が世俗的支配者となるのである。
のちにナポレオンも同様の式を経てフランス皇帝となった。その場面が
ダヴィッドによって描かれ、ルヴルに飾られてる。ともあれ、
スワソンでだけでは飽きたらず、ピピン3世は
ソン=ドゥニ(いわゆるサン=ドニ)でも塗油を受ける成聖式を行った。そして、
自分だけでなく息子2人にも塗油を施させた。
それは王位の世襲を意味したからである。
そうして「カロリング朝」が始まったのであり、その息子のうちのひとりが、
ピピンの子だからといってお菓子名だったわけではないが、
「西ローマ帝国」皇帝となるカール大帝(シャルルマーニュ)である。
フランク王となったピピン3世は、そうした
強硬手段を手伝わせた礼に、教皇のローマを攻撃した
ランゴバルド王国を討ち、獲得したラヴェンナを教皇ステファヌス2世に寄進した。
いわゆる「ピピンの教皇領寄進」である。これが
「教皇領」のはしりとなった。のちにはローマを含む地中海側から
ラヴェンナやリーミニなどアドリア海側までに至る
中北部イタリア一帯を占めるまでになる。
768年、ピピン3世はサン=ドニ修道院内で死んだ。歴代フランス王のならわしとして
棺は大聖堂のバシリカに収められた。ちなみに、10世紀に
ユーグ・カペーによってピピン3世同様にカロリング朝は王位を奪われることになる。
カペー朝、その後継ヴァロワ朝、さらなるブルボン朝と、
三度ニわたってユーグ・カペーの血統(ロベール家)がフランス王を襲うのである。
そうしてフランスでは他国がフランス王を奪おうとするのを防ぐために
サリカ法(簡単に言えば男系世襲)を守ってきた。現在でも
ブルボン家の分家であるオルレアン家がカペーの男系を繋いでる。なぜ、
ジャンヌ・ダルクがフランス救国の聖人なのか、それで解るだろう。
伊藤博文は併合反対派で併合後に総督となった後も
数々のインフラ整備や腐敗しきった政治改革を進めた。
そんな人物を射殺しようとした、
二次方程式の一般解の判別式=0みたいな輩を英雄といって崇め
記念館を建てるのは、"正しい歴史認識"にはほど遠い。
そんなに日本が妬ましいのなら、経済破綻したときに
日本が米国に次ぐ出資率第二位のIMFのお世話には
意地でもならなければよかったのに。
日本人が敷いてくれたインフラを全部破棄しちゃえばよかったのに。
嘘つきは泥棒の始まり、とはよく言ったものである。
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