今年は、イタリア・ルネサンス最盛期の彫刻家、
Michelangelo Buonarroti(ミケラーンジェロ・ブオナッローティ、1475-1564)の
没後450年にあたる。よく対比されるのが、
やはり実質メーディチ家が支配するフィレンツェ共和国生まれで23歳年上の
Leonardo da Vinci(レオナールド・ダ・ヴィーンチ、1452-1519)である。
この二人は反目しあってたらしい。
ともに男色でありながらも、その芸風もゲイの趣味も大きく異なった。
自ら美少年だったレオナルドは美少年に、
自らマッチョだったミケランジェロはアマッチョに、
それぞれ性的に惹かれた。
レオナルドは幼少期に母親と引き離され、
ミケランジェロは幼少期に母親を亡くした。
幼少期における母親の愛情を受けられなかった男児は、
男性的価値観だけを見聞することになるので、
長じて同性愛者になることがある。
レオナルドは解剖実践で得た知識と
超絶デッサン技巧を下敷きにして、
それまでの中世キリスト教の教義から離脱した目で
自然が持つ力(形、美)を
二次元世界(絵画)に凝縮しようとした。いっぽう、
ミケランジェロは母を亡くした幼少期に
石工一家と同居してたこともあって、
そのノミによる力強い砕石行為が
男らしい性的なものという刷り込みを生じさせた。
加えて、古代ギリシャ神話の神々に代表される、
必ずしもキリスト教的ではない神から人間が与えられた
理想像を三次元世界(大理石彫刻)に求めた。が、
当然にキリスト教的にもその名にし負う大天使ミケーレが
大理石をノミで削ってくと自ずと神が示した理想像が現れる。
ミケランジェロはその作業を誰よりも巧みにこなせる
選ばれし者、という自負を抱いてた。だから、
美しい筋肉の動きを出すために恣意的に誇張・デフォルメした形や
ボディー・ビルダーがポウズィングの参考にするような体勢であっても、それは
神のご意志なのだ、というエクスキューズがあるのである。そのいっぽうで、
ミケランジェロもまた卓越したデッサン力を持ってたので、
スィスティーナ礼拝堂の天井画のようなイヤイヤながらの仕事でも、
お見事に仕上げることができたのである。
ともあれ、それまでの中世キリスト教に彩られた
唯一神が創造した左右対称な世界を打破した、
そうしたミケランジェロの芸風は、建築家・画家というよりは列伝作家の
Giorgio Vasari(ジョールジョ・ヴァザーリ、1511-1574)によって、
maniera(マニエーラ=手法、作法)と呼ばれ、理想とされた。そして、
以後のルネサンスはこのミケランジェロの手法がスタンダードとなり、
Manierismo(マニエリーズモ)と呼ばれるようになった。現在(日本で)は、
仏語のManierisme(マニエリスム)という言いかたが一般的である。が
やがてそれは「おきまりの手法」「亜流」「模倣」となった。それが
英語でmannerism(マナリズム=作法主義)、日本語訛りでマンネリズム、さらに
日本人特有の略しかたで「マンネリ」という言葉で、別の
語義に広められて使われるようになったのである。
母からの優しい愛情が欠如してたミケランジェロ少年は、トンガってた。
彫刻を学びに入ったベルトールド・ジョヴァーンニの工房で、
3つ年上の先輩ピエートロ・トーッリジャーノの作品にケチをつけて、
反対に顔を殴られて鼻が一生陥没してしまった。
成人してももちろん喧嘩っ早い性格は変わらず、
しょっちゅう諍いを起こしたらしい。ちなみに、
エコル・ボザルの入試に落第して、室内装飾のバイトをしてたロダンが
そのバイトの掃除人夫をしてた近所のビビという渾名の男をモデルにして
ミケランジェロの没後ちょうど300年の1864年に完成させ、
官展(サロン)に出品されたものの落選した彫刻に、
"L'Homme au nez casse(ロム・オ・ネ・キャセ=鼻のつぶれた男)"
というものがある。これでロダンはまた挫折したが、この題材には、
俺はミケランジェロなみの大彫刻家になってやるぞ、
とでもいうような野心が渦巻いてたのである。そのような、
のちの傑作の数々への礎となった作品だった。が、このとき、
誰もがこのロダンが有名になる人物だとは思ってもみなかった。
God KNOWS、である。
それはともかくも、
ミケランジェロは仕事面でも他人のアホさ加減にウンザリするタイプで、
人に頼らず自分ですべてやるという人格だったから
体も酷使した。結局は
89歳という長寿を全うしたにもかかわらず、
死に瀕するような大病も一度や二度ならず、
といった人生だった。
幼少期に母親の愛情をもらえなかった男児は、
どんなに長く生きても幼少期にすでに
(普通人としての)人生は終わってるのである。
そうした子は芸術に生きるしかない。が、
それは所詮埋めれない母親からの愛情欠如への
補償行為にすぎないのである。ただ、
そうした人物の中には芸術的には大天才で
残したものが一般人にとってはありがたい芸術として
感動を与えられることがあるのである。だから、
死した子を抱くピエタ像を観ては当たり前だが、
雄々しいダヴィデ像を観ても、
怒りに震えるモーセ像を観ても、
感動の中になぜかしら悲しみを覚えて
その感動を増幅させるのである。
レオナルドもミケランジェロも、そうした人たちだった。
芸風は異なっても結局は同じなのである。
Michelangelo Buonarroti(ミケラーンジェロ・ブオナッローティ、1475-1564)の
没後450年にあたる。よく対比されるのが、
やはり実質メーディチ家が支配するフィレンツェ共和国生まれで23歳年上の
Leonardo da Vinci(レオナールド・ダ・ヴィーンチ、1452-1519)である。
この二人は反目しあってたらしい。
ともに男色でありながらも、その芸風もゲイの趣味も大きく異なった。
自ら美少年だったレオナルドは美少年に、
自らマッチョだったミケランジェロはアマッチョに、
それぞれ性的に惹かれた。
レオナルドは幼少期に母親と引き離され、
ミケランジェロは幼少期に母親を亡くした。
幼少期における母親の愛情を受けられなかった男児は、
男性的価値観だけを見聞することになるので、
長じて同性愛者になることがある。
レオナルドは解剖実践で得た知識と
超絶デッサン技巧を下敷きにして、
それまでの中世キリスト教の教義から離脱した目で
自然が持つ力(形、美)を
二次元世界(絵画)に凝縮しようとした。いっぽう、
ミケランジェロは母を亡くした幼少期に
石工一家と同居してたこともあって、
そのノミによる力強い砕石行為が
男らしい性的なものという刷り込みを生じさせた。
加えて、古代ギリシャ神話の神々に代表される、
必ずしもキリスト教的ではない神から人間が与えられた
理想像を三次元世界(大理石彫刻)に求めた。が、
当然にキリスト教的にもその名にし負う大天使ミケーレが
大理石をノミで削ってくと自ずと神が示した理想像が現れる。
ミケランジェロはその作業を誰よりも巧みにこなせる
選ばれし者、という自負を抱いてた。だから、
美しい筋肉の動きを出すために恣意的に誇張・デフォルメした形や
ボディー・ビルダーがポウズィングの参考にするような体勢であっても、それは
神のご意志なのだ、というエクスキューズがあるのである。そのいっぽうで、
ミケランジェロもまた卓越したデッサン力を持ってたので、
スィスティーナ礼拝堂の天井画のようなイヤイヤながらの仕事でも、
お見事に仕上げることができたのである。
ともあれ、それまでの中世キリスト教に彩られた
唯一神が創造した左右対称な世界を打破した、
そうしたミケランジェロの芸風は、建築家・画家というよりは列伝作家の
Giorgio Vasari(ジョールジョ・ヴァザーリ、1511-1574)によって、
maniera(マニエーラ=手法、作法)と呼ばれ、理想とされた。そして、
以後のルネサンスはこのミケランジェロの手法がスタンダードとなり、
Manierismo(マニエリーズモ)と呼ばれるようになった。現在(日本で)は、
仏語のManierisme(マニエリスム)という言いかたが一般的である。が
やがてそれは「おきまりの手法」「亜流」「模倣」となった。それが
英語でmannerism(マナリズム=作法主義)、日本語訛りでマンネリズム、さらに
日本人特有の略しかたで「マンネリ」という言葉で、別の
語義に広められて使われるようになったのである。
母からの優しい愛情が欠如してたミケランジェロ少年は、トンガってた。
彫刻を学びに入ったベルトールド・ジョヴァーンニの工房で、
3つ年上の先輩ピエートロ・トーッリジャーノの作品にケチをつけて、
反対に顔を殴られて鼻が一生陥没してしまった。
成人してももちろん喧嘩っ早い性格は変わらず、
しょっちゅう諍いを起こしたらしい。ちなみに、
エコル・ボザルの入試に落第して、室内装飾のバイトをしてたロダンが
そのバイトの掃除人夫をしてた近所のビビという渾名の男をモデルにして
ミケランジェロの没後ちょうど300年の1864年に完成させ、
官展(サロン)に出品されたものの落選した彫刻に、
"L'Homme au nez casse(ロム・オ・ネ・キャセ=鼻のつぶれた男)"
というものがある。これでロダンはまた挫折したが、この題材には、
俺はミケランジェロなみの大彫刻家になってやるぞ、
とでもいうような野心が渦巻いてたのである。そのような、
のちの傑作の数々への礎となった作品だった。が、このとき、
誰もがこのロダンが有名になる人物だとは思ってもみなかった。
God KNOWS、である。
それはともかくも、
ミケランジェロは仕事面でも他人のアホさ加減にウンザリするタイプで、
人に頼らず自分ですべてやるという人格だったから
体も酷使した。結局は
89歳という長寿を全うしたにもかかわらず、
死に瀕するような大病も一度や二度ならず、
といった人生だった。
幼少期に母親の愛情をもらえなかった男児は、
どんなに長く生きても幼少期にすでに
(普通人としての)人生は終わってるのである。
そうした子は芸術に生きるしかない。が、
それは所詮埋めれない母親からの愛情欠如への
補償行為にすぎないのである。ただ、
そうした人物の中には芸術的には大天才で
残したものが一般人にとってはありがたい芸術として
感動を与えられることがあるのである。だから、
死した子を抱くピエタ像を観ては当たり前だが、
雄々しいダヴィデ像を観ても、
怒りに震えるモーセ像を観ても、
感動の中になぜかしら悲しみを覚えて
その感動を増幅させるのである。
レオナルドもミケランジェロも、そうした人たちだった。
芸風は異なっても結局は同じなのである。
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