今日、2014年2月27日は、
ベートーヴェンの「交響曲第8番」が初演された
1814年2月27日からちょうど200年の日にあたる。
そのときのプログラムは、
「交響曲第7番」(初演済み)」、
管弦楽伴奏三重唱曲「不信心者よ、おののけ」、
「交響曲第8番(初演)」、
「ウェリントンの勝利(ビトリアの戦い)」、
という構成だったそうである。なお、
このときの楽器編成は、木管がダブルで、さらには、
「ウェリントンの勝利」で使うから遊ばせとくのはもったいないので、
コントラファゴット(やはりダブルの2管)も
2つの交響曲の演奏に加えられてた。
さて、この「交響曲第8番」に関しては、
「ベト8のアナペスト/(短-短-長)/ベートーヴェン交響曲第8番作曲から200年」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/c4273fcfeef757f1b28d4b0c0a85a738 )
「メヌエットの上のカタコンブ/ベートーヴェンの交響曲のスケルツォと強迫性障害」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/ec107e88153978a1d3182fccac2b3846 )
「Meine Unsterbliche Geliebte(不滅の恋人)へ/ベートーヴェン『交響曲第7番』公開初演から200年」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/329bbb0bb979a0dfcd300b0179e869f7 )
などでふれてきた。
不滅の恋人=アントーニエ(ビアケンシュトック伯爵令嬢→フランツ・ブレンターノの夫人)
とのアツアツの時期に作曲されたものである。
ベートーヴェンは「交響曲」において、実質的には
第8番以外にメヌエットを用いなかった。それは、
メヌエットが元来は高速だったものが
王侯貴族のものとなってどんどん遅く優雅なものに
様変わりしてった舞曲だったからである。
18世紀初頭には「付点二分音符=72」ほどだったものが、
同半ばには「付点二分音符=54」程度に遅めらた。ちなみに、
19世紀前半には「付点二分音符=40」くらいに、
同世紀末には「付点二分音符=20」という認識である。
このベートーヴェンの(19世紀前半の)「交響曲第8番」では、
そのとおりに四分音符=126とメトロノーム指示が附されてる。
ともあれ、貴族出身の不滅の恋人との愛の結晶で、
ベートーヴェンは「高貴な」メヌエットを採用したのである。
この主要主題は、
♪ミ●│<【ソー・ー>ファ・>レ>シ│<レ>ド・<ミ>ド】・>ソ<♯ソ│
<シ>ラ・>レ<ミ・<ファ<♯ファ│♯ファー・<ソ●♪
というものである。この主要動機は、
前年末にオスマーン・トルコとの戦争でオーストリアの経済状況の悪化によって
コンサート収入が減り収入面は逼迫した状況の中で
グルックの死によって低条件でながら
念願の「ハプスブルク家宮廷作曲家」となった
モーツァルトの最後の交響曲(第41番)(宮廷のための作品ではない)の
高雅なメヌエットのトリオの、
♪シー・ーー・ーー│<ドー・●●・>ラ>ソ│
>♯ファ<【ソ・>ファ>レ・>シ<レ│<ドーッ・<ミー・>ドー】♪
から採られてるのである。
しかしアントーニエとの仲睦まじい関係は、結局ほとぼりがさめてく。
焼けぼっくいに火がついた
ヨセフィーネ・ブルンスヴィック(→ダイム伯爵夫人)の妊娠によって破局を迎えた、
と唱えるむきもある。おそらくその種はベートーヴェンだと。そして、
アントーニエもベートーヴェンの子を宿してた、という説もあるのである。
(モーツァルトの「交響曲第41番」第3楽章メヌエットのトリオ部の終いの動機に続けて
ベートーヴェンの「交響曲第8番」第3楽章メヌエットを再現したものを
https://soundcloud.com/kamomenoiwao01/beethoven-symphony8-3rd-mov
にアップしました)
ベートーヴェンの「交響曲第8番」が初演された
1814年2月27日からちょうど200年の日にあたる。
そのときのプログラムは、
「交響曲第7番」(初演済み)」、
管弦楽伴奏三重唱曲「不信心者よ、おののけ」、
「交響曲第8番(初演)」、
「ウェリントンの勝利(ビトリアの戦い)」、
という構成だったそうである。なお、
このときの楽器編成は、木管がダブルで、さらには、
「ウェリントンの勝利」で使うから遊ばせとくのはもったいないので、
コントラファゴット(やはりダブルの2管)も
2つの交響曲の演奏に加えられてた。
さて、この「交響曲第8番」に関しては、
「ベト8のアナペスト/(短-短-長)/ベートーヴェン交響曲第8番作曲から200年」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/c4273fcfeef757f1b28d4b0c0a85a738 )
「メヌエットの上のカタコンブ/ベートーヴェンの交響曲のスケルツォと強迫性障害」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/ec107e88153978a1d3182fccac2b3846 )
「Meine Unsterbliche Geliebte(不滅の恋人)へ/ベートーヴェン『交響曲第7番』公開初演から200年」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/329bbb0bb979a0dfcd300b0179e869f7 )
などでふれてきた。
不滅の恋人=アントーニエ(ビアケンシュトック伯爵令嬢→フランツ・ブレンターノの夫人)
とのアツアツの時期に作曲されたものである。
ベートーヴェンは「交響曲」において、実質的には
第8番以外にメヌエットを用いなかった。それは、
メヌエットが元来は高速だったものが
王侯貴族のものとなってどんどん遅く優雅なものに
様変わりしてった舞曲だったからである。
18世紀初頭には「付点二分音符=72」ほどだったものが、
同半ばには「付点二分音符=54」程度に遅めらた。ちなみに、
19世紀前半には「付点二分音符=40」くらいに、
同世紀末には「付点二分音符=20」という認識である。
このベートーヴェンの(19世紀前半の)「交響曲第8番」では、
そのとおりに四分音符=126とメトロノーム指示が附されてる。
ともあれ、貴族出身の不滅の恋人との愛の結晶で、
ベートーヴェンは「高貴な」メヌエットを採用したのである。
この主要主題は、
♪ミ●│<【ソー・ー>ファ・>レ>シ│<レ>ド・<ミ>ド】・>ソ<♯ソ│
<シ>ラ・>レ<ミ・<ファ<♯ファ│♯ファー・<ソ●♪
というものである。この主要動機は、
前年末にオスマーン・トルコとの戦争でオーストリアの経済状況の悪化によって
コンサート収入が減り収入面は逼迫した状況の中で
グルックの死によって低条件でながら
念願の「ハプスブルク家宮廷作曲家」となった
モーツァルトの最後の交響曲(第41番)(宮廷のための作品ではない)の
高雅なメヌエットのトリオの、
♪シー・ーー・ーー│<ドー・●●・>ラ>ソ│
>♯ファ<【ソ・>ファ>レ・>シ<レ│<ドーッ・<ミー・>ドー】♪
から採られてるのである。
しかしアントーニエとの仲睦まじい関係は、結局ほとぼりがさめてく。
焼けぼっくいに火がついた
ヨセフィーネ・ブルンスヴィック(→ダイム伯爵夫人)の妊娠によって破局を迎えた、
と唱えるむきもある。おそらくその種はベートーヴェンだと。そして、
アントーニエもベートーヴェンの子を宿してた、という説もあるのである。
(モーツァルトの「交響曲第41番」第3楽章メヌエットのトリオ部の終いの動機に続けて
ベートーヴェンの「交響曲第8番」第3楽章メヌエットを再現したものを
https://soundcloud.com/kamomenoiwao01/beethoven-symphony8-3rd-mov
にアップしました)
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