チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「草上のトリスタン和声/ワーグナー生誕200年」

2013年05月22日 00時26分45秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般
上野では現在、
万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチと
生没同日組のラッファエッロ・サンツィヨという
ルネサンスの巨頭の展覧会が開催中である。
秋にはミケラーンジェロ・ブオナッローティ展も予定されてる。
いわゆるラファエロに代表されるルネサンス絵画以降は、
明暗法と遠近法による
「写実」的な描写が西洋絵画の大前提となった。
いっぽう、
音楽においても15世紀乃至16世紀に
「和音」「和声づけ」が確立されていった。今でいう
いわゆる「コード進行」である。
1-5-1、1-4-1、1-4-5-1、などという
カデンツ(ポップスでは英語的にケイデンス)による
カタルシスが常套となった。そうして、
そのような絵画も音楽も300年以上続くのである。

が、
幕末の開国によって西洋にもたらされた日本の
木版画の2次元性とデフォルメと構図にインスパイアされ、
1862年乃至1863年に制作された
Edouard Manet(エドゥワル・マネ、1832-1883)の
「草上の昼食」は西洋絵画の歴史を大きく変えた。
レオナルド・ダ・ヴィンチがいわゆるスフマートという
フィンガー・テクニックを用いて必死になって
残さないように工夫した輪郭線を、
浮世絵の木版画の生命線である輪郭線さながらに、
マネは数百年の疑似3次元表現に楔を打つがごとく
"黒い縁取り"をくっきりと刻みつけたのである。
ちょうど同じ頃、
マネと同年に死亡することになる
反ユダヤの左翼政治思想かぶれ活動家あがりの作曲家
Richard Wagner(リヒャート・ヴァークナー、1813-1883)が
1857年乃至1859年に作曲し、1865年に初演された
楽劇「トリスタンとイゾルデ」は、いわゆる
「トリスタン和声」によって、昨日までに使い古された
機能和声の限界が……本人にそのつもりはなく、
あくまでも機能和声の範囲と考えてたらしいことも、
あくまでもアカデミックな絵として評価されたかったマネと似てる……
示されることになった。

今日、2013年5月22日は、
いわゆるリヒャルト・ヴァーグナーの生誕200年にあたる日である。
アニヴァーサリーだからといってそんなに
さわーぐなーと叱られてしまうかもしれない。
故内藤陳とヴァークナーの顔を瞬時に判別できないこともある
拙脳なる私のミーハー気質はいかんともしがたく抑えれない。ともあれ、
「ニュルンベルクのマイスターズィンガー」はヒトラーがこよなく愛した。
反ユダヤという同類項だけではない共感があったかもしれない。
ヒトラーは私生児で、父親がユダヤ人だった可能性が大ということである。
ヴァークナーも実父はユダヤ人の養父だったと推定されてる。ともに、
父親の欠如、つまり、"どこの馬の骨だかもわからん"不安感に
さいなまれてたのである。だからこそ、
彼らはともに女性関係にお盛んだったのである。ことに、
"上流のご婦人"、"著名人の娘"への異様な食いつきは、
血筋劣等感があわれなほど如実に表れてる。それはさておき、
ヴァークナーの"文化的"功績はたくさんある。が、やはり
一番は"トリスタン和声"である。
♪ラ│ファーー・ーー>ミ│<【♯ソーー・ーー】<ラ│<♯ラ<シー・ーー●●♪
というふうに開始されるこの楽劇の前奏曲の
最初に現れる【和音】が【】の箇所であり、それが
【f(ファ)-h(シ)-dis(♯レ)-gis(♯ソ)】
という、後世【トリスタン和音】と呼ばれるようになるものである。

この【和音】自体はヴァークナーの発明でも専売でもない。
「トリスタン和音のinnovator/源はやっぱり楽聖ベートーヴェン」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/d20a409cce894fa940cb1d97093a7eb2 )
で言い及んだとおり、ベートーヴェンも用いてる。そして、
ショパンもこの和音の官能的ながら悲しい結末を予想させる響きに、
のちの「トリスタンとイゾルデ」の「愛=死」という意味を
本能的に内包させて使ってたのである。それから、
「真夏日の夜の夢/メンデルスゾーン『結婚行進曲』のトリスタン和音」
( http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/42aea5a038c1d4d7ed4630c4d1dfa27e )
でふれたように、皮肉にも、
ヴァークナーがあれほど目の敵にしたメンデルスゾーン(ユダヤ人種)の超有名な
いわゆる「結婚行進曲」の主要主題のしょっぱなの【和音】が
【トリスタン和音】だったのである。ヴァークナーはこの
"従来の機能和声の定義ではやや解析が曖昧になる【和音】自体"と
半音階的進行を使って、その前後を、
音楽学者がそれぞれさまざまに解釈してしまうような曖昧な
【のちにトリスタン和声と呼ばれる和声】(コード進行)を配したところが
"目新し"かったのである。そして、
旧来型のカデンツのように気持ちよくきっぱりとは解決させない、
じれったくいつまでもグズグズとひっぱる、かつての
「クイズ・ミリオネア」のみのもんたのハシリだった、
というだけにすぎない。実際には、
イ短調の主音単音で開始され、【トリスタン和音】を経由して、
[e(ミ)-gis(♯ソ)-d(レ)-h(シ)]
というイ短調の属7(ポップス的にはE7)に進むだけの
単純なものである。ただ、
この【トリスタン和音】を同時代以降の他の作曲家たちが
取り憑かれたかのように多用するようになって、
ヴァークナーの「革新性」が浮かび上がってきた、ということなのである。
ヴァークナー嫌いだったチャイコフスキーも、その実、
愛憎こもごも、アンビヴァレントな感情を抱いてたので、
バイロイトこけら落とし観劇以後、
「トリスタン和音」を自作に多用するようになる。また、
「マンフレッド(交響曲)」の
「イ短調に始まって、ロ長調に終わる」
という調性も「トリスタンとイゾルデ」を踏襲してるのである。

西洋絵画はマネからセザンヌを経てブラックとピカソのキュビスムへと移行し、
西洋音楽はトリスタン和声から無調へと進み、ともに
感動とは無縁の"芸術"へと収束すべく収束したのである。

(チェロのソリで始まり、木管群と【トリスタン和声】を形成する
ヴァークナーの「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲」の開始部分を、
アカペラの男声合唱のヴォカリーズに置き換えたものを
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/wagner-tristanundisolde
にアップしておきました)
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