チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「祇園と知恩(擬音2)」

2010年11月01日 00時43分46秒 | 歴史ーランド・邪図
先週、京都へほとんど日帰りの1泊旅行に行ってきた。もっとも、
主眼は観光ではなく競馬観覧ではあったが。前日の夜に
京都駅に着いて、祇園に投宿した。京都というのは
"大都市"にしては中心地でも夜は寂しい。
東京の都心とはまったく違う。この差が、私が
東京が好きなところでもある。とはいえ、
この時期に京都を歩くと気分が
高揚する。これは煎餅焼き屋の私にとって、気分転換的
効用なのである。それはともかく、
京都の祇園はなぜギオンなんて奇妙奇天烈な名なのか、
CSIマイアミのホレイショ・ケイン役のデイヴィド・カルーソウと
ヘルベルト・フォン・カラヤンの顔の違いがときどき判別できなくなる
拙脳なる私には解らない。

トンデモ説には、
北イスラエルがいわゆるアッシリアに滅ぼされたとき、
連行された「失われた10支族」が木枯らし吹きすさぶ中、
アッシリア関わりのないことでござんす、と言って逃れ、
日本に渡来して秦氏となり、
京都に住み着いた地が祇園あたりで、その名は
Sion(Zion)→Cion→Gion
である、というものがある。にわかには
信じがたいような話ではあるが、そういえばハタと気づいた。
「困ったな」という意味の「かなわないなあ」を、
「カナンわぁ」「カナンなぁ」とぼやく京都人は多い。これが大阪だと、
「かなへんわ」「かなへんで」である。
ジュー分に考えれることかもしれない。

さて、
1517年の10月31日(あるいは11月1日)は、
マルティン・ルターがいわゆる「95箇条の論題」を
ヴィッテンベルク城教会の扉に貼り付けた日である。
ルターというと、あのブサイクな顔に
黒い帽子を被ってる肖像を想起する。ところで、
和歌の初句を「冠(kamuri)」と言う。
頭(koube)→kouburu(被る)→名詞化→こうぶり(kauburi)
→母音短縮→kaburi(かぶり)→母音交替→kamuri、
である(古い形で残ってのが、「koumuru(被る)」)。いずれにしても、
ルターはユダヤ人が被る帽子みたいな被り物をしてるのである。

祇園祭の山鉾にはピラミッドやラクダが描かれたものがある、
というのを、かつて、TVでやってた。
ともに「3」角形が関わってる。神社の鳥居は、
その形状に三角はないが、その名と材質が
「トリイ」=tree=tri
と、木と3を示してる。
「創世記」によれば、アブラハムが100歳で残した遺作である息子に
よき嫁を娶らせようとしたとき、カナン人ではアカンで、と言って僕に
アブラハムの地元行きを命じた。その僕は
井戸の傍で祈ったところ、リベカが現れた、ということである。
水を恵んでくれと言うと、あなたたちだけでなく、
ラクダにも飲ませてあげてください、と賢女ぶりを示した。
イサクはヘイヘイホウと言って木を切らずとも、
よき嫁を手に入れれたのである。
Yitzhak(Isaac)→Yisak→Yasaka
六波羅から祇園、八坂あたりは水がよく出るのである。そして、
その名のとおり清水も。

[祇園精舎の祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり。沙羅……]
アブラハムの妻でイサクの母の名はサラである。
サラは90歳のときにイサクを産んだ。そして、
127歳で死んだ。
[世の中に、サラぬ別れの、なくもがな。「千代も」と祈る、人の子のため]
私は祇園精舎の鐘よりも、知恩院の鐘で充分である。
今回の京都探訪はともにもう何度も訪れた法然院と知恩院だけだった。
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