今年が「三社祭」斎行700記念の年であることから、
その起原とされる「舟祭」の一部が今日、54年ぶりに
「舟渡御(ふなとぎょ)」として執りおこなわれた。
「舟渡御」は江戸時代末期に廃止され、その後、
ミスターが栄光の読売巨人軍に入団した昭和33年に
復活した。が、それも
その一度っきりで途絶えてたのである。
来週の大江戸探検隊例会では、
浅草・吉原方面に出かける予定だが、
これにかちあわなくてよかった。
先週の土日は3.11から1年ということで、巷では
そのことについて騒がしく触れてた。ブログなどでも
"鎮魂"や"祈り"を綴ってるものも多かった。が、
舌の根も乾かぬうちに次のエントリからはもう、
「食い物の話」や「友達と遊びに行ったネタ」などを
脳天気に載せる。とはいえ、
人とはそんなものである。
[死ねば死にきり/自然は水際立ってゐる]
先日死んだ吉本隆明がかつて、
自刃した村上一郎の葬儀の弔辞に引き合いにしたという、
高村光太郎が昭和3年(1928年)に出した詩集
「夏書十題(ゲガキジウダイ)」の中の
「死ねば」という題の詩である。これは、
母わかが大正14年に死んだ際、
光太郎がひねりだしたものらしい。ところで、
光太郎は彫刻家高村光雲の長男として
下谷区下谷西町3番地の長屋に生まれた。
光雲はその名からもわかるように、元々は
仏師だった。下谷西町は現在の東上野で、このあたりは
寺が多いので仏具店も軒を並べてる。そのひとつ、
翠雲堂がTVタレントの山口もえ女史の生家である。ともあれ、
光雲・光太郎の長屋があったあたりは、江戸時代には
柳川藩立花家の下屋敷だった。また、
下谷西町15番地には夏目漱石も
"家庭の事情"で住んだことがある。ここらへんも、
来週の大江戸探検隊で訪れることになってる。
下谷も、光雲・光太郎・智恵子の墓がある駒込の染井も、
江戸時代は「植木」が盛んだった。
今年が出版150年であるヴィクトル・ユゴーの
「レ・ミゼラブル」の主人公ジャン・ヴァルジャンは
植木職人(*本当は庭師)となったこともあったが、
ジャン・カルヴァンはキリスト教宗教改革人だった。この
カルヴァンが説いた「予定説」の影響を強く受けた一派である
ジャンセニスム(ヤンセン主義)のキリスト教を信じてたのが、
私が大好きな賭事に関するドゥ・メレの質問に対して
数学的解答をしたパスカルの書簡から
確率論が生まれたということになってるその
ブレズ・パスカルが育ったパスカル一家である。
pascalとはPaques(パク、=復活祭)の形容詞である。
今年は我が国で「タクシー」ができて100年にあたるが、
フランスのパリで1662年の3月18日に
"les carrosses a cinq sols(レ・キャロス・ア・サン・ソル=5ソルの馬車)"
が開業して350年の年でもある。この
「乗合馬車」が現在の路線バスのもとになったのだが、考案者は
パンセ一計の男、500フランの男、
Blaise Pascal(ブレズ・パスカル、1623-1662)である。
同人の晩年(といっても39歳の生涯)は、私などには
とても真似ができない禁欲生活だったという。
同人は常に体調がすぐれなかったが、食欲の有無にかかわらず、
必ず一定の量の食事を摂ってたという。
煎餅焼きに熱中すると8時間でも飲まず食わず便所もいかず、逆に、
腹が減ると今はなき広尾のクレモンフェランのスイーツを
夜中にでも食ってしまう私とは違い、けっして
ぶれずにその信念を貫いたという。が、その結果が
39年の命だった。ともあれ、
パスカルは数学への貢献だけでなく、
明言も数多く残してる。
"L'homme n'est qu'un roseau,
le plus faible de la nature;
mais c'est un roseau pensant."
(ロム・ネ・カン・ロゾ、
ル・プリュ・フェブル・ドゥ・ラ・ナチュル、
メ・セタン・ロゾ・ポンソン。)
「(拙大意)人類はただ一本の葦にすぎない。
自然界でもっとも弱いものである。
とはいえ、それは考える頭を持つ葦である。」
"Le nez de Cleopatre :
s'il eut ete plus court,
toute la face de la terre aurait changee."
(ル・ネ・ドゥ・クレオパトル、
スィルテテ・プリュ・クル、
トゥト・ラ・ファス・ドゥ・ラ・テル・オレ・ションゼ。)
「(拙大意)クレオパトラの鼻。
あの鼻がもっと低かったとしたら(*)、
地球上の全表面の版図は別のものになってただろう。」
(*)鼻が低い、鼻が短い=高慢でない、政治に口出しなどしない
石川啄木もびっくりの「3行詩」である(※)。それはともかく、
パスカルはアントニウスがクレオパトラにうつつを抜かし、
その政治的な口出しで道を誤ったと考えてるようである。が、
カエサルもアントニウスも虜になったというクレオパトラも、所詮は
超イケメンの若きオクタウィアヌスには鼻も引っかけられなかった。のちに、
元老院がオクタウィアヌスをアオグストゥス(尊厳ある者)と仰ぐ由縁である。
ローマといえば、
ローマ教会が神聖ローマ皇帝との軋轢の最中の11世紀に法皇ウルバヌス2世は
「聖地エルサレムを異教徒などに占領されてるなんてエルサレム。否、
ユルサレヌ。奴らになどくれるもんか!」
と聖地遠征を呼びかけ、それが十字軍となる。その会議を開いたのが、
オドろくことにクレルモンだった。また、
クレルモンは現在、三つ星屋ミシュランの本店所在地としても知られる。
鳩山由紀夫の母方の祖父石橋正二郎が
ゴム底足袋屋からゴム・タイヤ屋に転身して大企業になったのと同様、
ダンロップの自転車用空気入りゴム・タイヤを改良して
馬車、そして、自動車に転用したのがミシュラン兄弟である。
1894年にパリの乗合馬車にこれが試験的に採用されると、その
乗り心地のよさが評判になって本格採用された。そして、
1900年のパリ万博のときに、
自社製のタイヤを履いた馬車や自動車で移動する観光客の利便のため、
無料の地図を作成して配布したのが、
ミシュランガイドの始まりである。別府で
温泉案内地図を作成したことから発展したのが
ゼンリン住宅地図である。こちらは、馬車や自動車などの
「前輪」が関係してるわけでもないらしい。
現在は都心で都バスが走ってると、
こういうものを利用しない者にとっては、
相当に難儀なものに感じる。道の見通しは悪くなり危険で、
その停車によって交通に著しい遅れが生じる。
日中は年間1000円という実質無料パスのお年寄りが席を占め、反対に、
19時以降には乗客がほとんどいないことが多い。
生活保護を受けてる者はこうした公共交通機関も
かなりの割引もしくは無料になってる。そして、その
生活保護であるが、16日の参議院予算委員会で、
自民党の片山議員が質疑をした。
民主党政権になってからの外国人生活保護の受給者増加、
不正受給の増加は、審査体制が甘くなってるからだという
都職員の声を紹介した。そして、平成22年度の生活保護費のうち
1200億円弱も外国人に払っていて、その
外国人の生活保護率は日本人の2倍から3倍で、
その3分の2が朝鮮半島出身者であるという事実を指摘した。
韓国内の在留邦人が同様の待遇を受けていることはない、
という厚労省の発表も引用した。そして、
野田になぜ虚偽従軍慰安婦問題に抗議しないかと問いただした。
それに対して、売国民主党野田は答えをはぐらかしたのである。
東京都の23区で標準3人世帯(ナンピョン33歳、アネ29歳、アイ4歳)だと、
月額17万5170円も支給されるのである。
勤勉にして善良なる日本人都民がきちんと納めた税金で。
その起原とされる「舟祭」の一部が今日、54年ぶりに
「舟渡御(ふなとぎょ)」として執りおこなわれた。
「舟渡御」は江戸時代末期に廃止され、その後、
ミスターが栄光の読売巨人軍に入団した昭和33年に
復活した。が、それも
その一度っきりで途絶えてたのである。
来週の大江戸探検隊例会では、
浅草・吉原方面に出かける予定だが、
これにかちあわなくてよかった。
先週の土日は3.11から1年ということで、巷では
そのことについて騒がしく触れてた。ブログなどでも
"鎮魂"や"祈り"を綴ってるものも多かった。が、
舌の根も乾かぬうちに次のエントリからはもう、
「食い物の話」や「友達と遊びに行ったネタ」などを
脳天気に載せる。とはいえ、
人とはそんなものである。
[死ねば死にきり/自然は水際立ってゐる]
先日死んだ吉本隆明がかつて、
自刃した村上一郎の葬儀の弔辞に引き合いにしたという、
高村光太郎が昭和3年(1928年)に出した詩集
「夏書十題(ゲガキジウダイ)」の中の
「死ねば」という題の詩である。これは、
母わかが大正14年に死んだ際、
光太郎がひねりだしたものらしい。ところで、
光太郎は彫刻家高村光雲の長男として
下谷区下谷西町3番地の長屋に生まれた。
光雲はその名からもわかるように、元々は
仏師だった。下谷西町は現在の東上野で、このあたりは
寺が多いので仏具店も軒を並べてる。そのひとつ、
翠雲堂がTVタレントの山口もえ女史の生家である。ともあれ、
光雲・光太郎の長屋があったあたりは、江戸時代には
柳川藩立花家の下屋敷だった。また、
下谷西町15番地には夏目漱石も
"家庭の事情"で住んだことがある。ここらへんも、
来週の大江戸探検隊で訪れることになってる。
下谷も、光雲・光太郎・智恵子の墓がある駒込の染井も、
江戸時代は「植木」が盛んだった。
今年が出版150年であるヴィクトル・ユゴーの
「レ・ミゼラブル」の主人公ジャン・ヴァルジャンは
植木職人(*本当は庭師)となったこともあったが、
ジャン・カルヴァンはキリスト教宗教改革人だった。この
カルヴァンが説いた「予定説」の影響を強く受けた一派である
ジャンセニスム(ヤンセン主義)のキリスト教を信じてたのが、
私が大好きな賭事に関するドゥ・メレの質問に対して
数学的解答をしたパスカルの書簡から
確率論が生まれたということになってるその
ブレズ・パスカルが育ったパスカル一家である。
pascalとはPaques(パク、=復活祭)の形容詞である。
今年は我が国で「タクシー」ができて100年にあたるが、
フランスのパリで1662年の3月18日に
"les carrosses a cinq sols(レ・キャロス・ア・サン・ソル=5ソルの馬車)"
が開業して350年の年でもある。この
「乗合馬車」が現在の路線バスのもとになったのだが、考案者は
パンセ一計の男、500フランの男、
Blaise Pascal(ブレズ・パスカル、1623-1662)である。
同人の晩年(といっても39歳の生涯)は、私などには
とても真似ができない禁欲生活だったという。
同人は常に体調がすぐれなかったが、食欲の有無にかかわらず、
必ず一定の量の食事を摂ってたという。
煎餅焼きに熱中すると8時間でも飲まず食わず便所もいかず、逆に、
腹が減ると今はなき広尾のクレモンフェランのスイーツを
夜中にでも食ってしまう私とは違い、けっして
ぶれずにその信念を貫いたという。が、その結果が
39年の命だった。ともあれ、
パスカルは数学への貢献だけでなく、
明言も数多く残してる。
"L'homme n'est qu'un roseau,
le plus faible de la nature;
mais c'est un roseau pensant."
(ロム・ネ・カン・ロゾ、
ル・プリュ・フェブル・ドゥ・ラ・ナチュル、
メ・セタン・ロゾ・ポンソン。)
「(拙大意)人類はただ一本の葦にすぎない。
自然界でもっとも弱いものである。
とはいえ、それは考える頭を持つ葦である。」
"Le nez de Cleopatre :
s'il eut ete plus court,
toute la face de la terre aurait changee."
(ル・ネ・ドゥ・クレオパトル、
スィルテテ・プリュ・クル、
トゥト・ラ・ファス・ドゥ・ラ・テル・オレ・ションゼ。)
「(拙大意)クレオパトラの鼻。
あの鼻がもっと低かったとしたら(*)、
地球上の全表面の版図は別のものになってただろう。」
(*)鼻が低い、鼻が短い=高慢でない、政治に口出しなどしない
石川啄木もびっくりの「3行詩」である(※)。それはともかく、
パスカルはアントニウスがクレオパトラにうつつを抜かし、
その政治的な口出しで道を誤ったと考えてるようである。が、
カエサルもアントニウスも虜になったというクレオパトラも、所詮は
超イケメンの若きオクタウィアヌスには鼻も引っかけられなかった。のちに、
元老院がオクタウィアヌスをアオグストゥス(尊厳ある者)と仰ぐ由縁である。
ローマといえば、
ローマ教会が神聖ローマ皇帝との軋轢の最中の11世紀に法皇ウルバヌス2世は
「聖地エルサレムを異教徒などに占領されてるなんてエルサレム。否、
ユルサレヌ。奴らになどくれるもんか!」
と聖地遠征を呼びかけ、それが十字軍となる。その会議を開いたのが、
オドろくことにクレルモンだった。また、
クレルモンは現在、三つ星屋ミシュランの本店所在地としても知られる。
鳩山由紀夫の母方の祖父石橋正二郎が
ゴム底足袋屋からゴム・タイヤ屋に転身して大企業になったのと同様、
ダンロップの自転車用空気入りゴム・タイヤを改良して
馬車、そして、自動車に転用したのがミシュラン兄弟である。
1894年にパリの乗合馬車にこれが試験的に採用されると、その
乗り心地のよさが評判になって本格採用された。そして、
1900年のパリ万博のときに、
自社製のタイヤを履いた馬車や自動車で移動する観光客の利便のため、
無料の地図を作成して配布したのが、
ミシュランガイドの始まりである。別府で
温泉案内地図を作成したことから発展したのが
ゼンリン住宅地図である。こちらは、馬車や自動車などの
「前輪」が関係してるわけでもないらしい。
現在は都心で都バスが走ってると、
こういうものを利用しない者にとっては、
相当に難儀なものに感じる。道の見通しは悪くなり危険で、
その停車によって交通に著しい遅れが生じる。
日中は年間1000円という実質無料パスのお年寄りが席を占め、反対に、
19時以降には乗客がほとんどいないことが多い。
生活保護を受けてる者はこうした公共交通機関も
かなりの割引もしくは無料になってる。そして、その
生活保護であるが、16日の参議院予算委員会で、
自民党の片山議員が質疑をした。
民主党政権になってからの外国人生活保護の受給者増加、
不正受給の増加は、審査体制が甘くなってるからだという
都職員の声を紹介した。そして、平成22年度の生活保護費のうち
1200億円弱も外国人に払っていて、その
外国人の生活保護率は日本人の2倍から3倍で、
その3分の2が朝鮮半島出身者であるという事実を指摘した。
韓国内の在留邦人が同様の待遇を受けていることはない、
という厚労省の発表も引用した。そして、
野田になぜ虚偽従軍慰安婦問題に抗議しないかと問いただした。
それに対して、売国民主党野田は答えをはぐらかしたのである。
東京都の23区で標準3人世帯(ナンピョン33歳、アネ29歳、アイ4歳)だと、
月額17万5170円も支給されるのである。
勤勉にして善良なる日本人都民がきちんと納めた税金で。
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