チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「失笑する哀しみ=トリッチ・トラッチ・ポルカ」

2007年04月01日 21時58分59秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般
信号待ちのとき、愛育病院の桜の美しさが目についた。
いよいよ、春である。ときに、「春」といえば、
今年は現在もインフルエンザが下火にならないらしい。
体温計を発明したのはサントーリオ・サントーリオという
イタリア人であるということはヒトトーリは知ってるのだが、最近、
「(サントリー)BLACK・BOSS」という
缶コーヒーのTVCMが頻繁に流されてて耳につく。かつて、
ホンダ・プレリュードのTVCMにも使われてた
「パーム・ビーチ」(仏映画「地下室のメロディー」)である。
「メロディ・アン・ス=ソル」といっても、「地下室のトの下」の
嬰ヘ長というわけでないのが、フランス人のエスプリのなさである。
♪【ミ<・ラッ●│>ソッ>ミッ・>レッ<ミー│ーーーー│ーーー│ー】♪
「フレンチ・ジャズ」なんだそうである。が、これはどう聞いても、
ラフマーニノフの「2番pf協」終章の、
♪【ソ・<ドー│ー>♭シ・>ソ>ファ│<ソー・ーー│ー】、
(>ミ・<ファ>ミ│<♭ラ>ソ・>ファ>ミ│<ソ>ファ・>ミ>レ│
<ソー・ーー│ー、>ド<レ<♯レ│<ミー・ーー│ー、>ド<ミ<ファ│
<ソ>ファ・>ミー│ー、<ソ・<ド<レ│<ミ<ファ・ー>ミ│
ミー・>レ>ド│>ソー・>ファ>ミ│ミ<ファ・ファ<ソ│>ミ)♪
である。「ハ長」中の「変ホ長」♪【ミ<ラ>ソ>ミ>レ<ミ】♪である。
なるほど、ブルー・ノウトである。ちなみに、
マルハリータ・レクオーナ女史のフシもチョットダケだが、記しておこう。
♪ランララ・ラン>ミ│<ソッソッ・<ラ●│
<ミー・ーー│ーー・ーー│ー>レ・<【ミ<ソ│ーー・ー>ミ>レ│
<ミー・ーー│ーー・ーー│ーー・ーー│ーー】♪
【】内の最初の「ミソ」の間に「ラ」がないだけである。
「ミソラ」縛りである。あんたも好きね、といわれそうなSMネタではないが、
お嬢の本名は加藤ちゃんである。では、さらに、
宮城道雄の「春の海」の尺八パートを。
♪(レ<)【ミーーー・ーーーー・ーーーー・<ソ・ーー>ミ>レ│<ミーーー・……】♪
「終日(ひねもす)のたり、のたり哉」である。なお、
宮城道雄が夜行寝台「銀河」から刈谷あたりで転落死したのは事実であるが、それが
自殺だったのか事故だったのか探ることは「タブー」になってるそうである。さて、
本日はエイプリルフールだそうである。かつて、
プラーター公園の観覧車を風車と勘違いしたオースン・ウェルズが
ドン・キホーテの故事に倣って槍で襲撃しようとしたが腰を抜かしただけ、
という「退散の男」なるタイトルの
ミスター・ビーン並みの低級ジョウクを飛ばして失笑をかったことはなかったが、
ミスター・ヴィーンといえば……
モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、長男シュトラウス、
など、そうそうたる大天才作曲家があげられる。が、そのうち、
葬送たる行進曲を残してるベートーヴェンからは、「よそ者」
チャイコフスキーがその「引用」「オマージュ」を作り上げた。
「英雄交響楽」の「マルチャ・フーネブレ=葬送行進曲(アダージョ・アッサイ)」に対して、
「悲愴交響楽」の「アダージョ・ラメントーゾ」。
♪ミーーミ│ミーーーーーーー・<(シ>)ラーー>♯ソ<ラーー<シ│
<ドーーーーーーー・>ラーーー●●●●│
<【【ミーーーーーーー・>レ>ドーーー>シ>ラーーー│<ドーーーーーーー・>シーーー】】
→♪(ミーーー>レー>ドー>シーー>ラ│<シーーーーーーーーー●●)
<【【ミーーー>レー>ドー>シーー>ラ│<ドー>シーーーーーーー●●】】
いっぽう、モーツァルトの「コルシカ・ネタ」をベートーヴェンが「引用」した
♪ドーーー<ミー│>ドーーー>ソー│<【【【ドー<ミー<ソー│ソーーーーー】】】の
「英雄交響楽」のメイン・テーマは、再現部において
F管独ホルンに主調変ホ長のナーポリ調ヘ長で確保させてるのであるが、
その後半部は長男シュトラウスによって、
プロイセンに苦杯を喫した普墺戦争後のヴィーン市民激励合唱歌、
「アン・デァ・シェーナン・ブラオアン・ドーナオ(美しく青きドナウ川のほとりで)」
♪【【【ドー<ミー<ソー│ソーーーーー】】】♪
に再構成された。これを、「単に主和音の分散」とかたづけたがるむきもあるが、
「王様の服」を「見る」には私が用いるような「色眼鏡」が必要なのであるからして、
それを持たぬ「純粋な心だけを備えたむき」にはしょせん不向きなのである。もっとも、
競泳自由形中長距離選手の柴田亜衣女史と
女お笑い芸人ハリセンボン箕輪はるか嬢の声の区別もつかない私の言うことである。
それはどうでも、皮肉にも、「美青ドナウ」発表のニ、三年後には、
やはりプロイセンと無謀にも開戦したナポレオンの甥が不甲斐なくも捕虜になって、
フランスの第二帝政は終わったのである。
♪ソソンソ│<ドードー・<レーレー│<ソーー>ミ・>ドンド<ミン<ド♪
さて、長男シュトラウスはサンクト・ペテルブルク鉄道会社との契約で、
1856年以降、パーヴロフスク駅での演奏のため、
夏をロシアで過ごすことが多かったそうである。そんなシュトラオスが、
1858年、前年までよりも長くロシアに留まってることに、
ヴィーン市民の間である「うわさ」が立ち始めたそうである。
「ヨーハン・ジュニアはあっちの女といい仲になって、
ロシアの首都ラウスであるペテルブルクで愛の巣を作ってる」と。いっぽう、
そんな「うわさ」が地元で立ってることを知ったシュトラオスは、その年に
ヴィーンで刊行された風刺雑誌「トリッチュ・トラッチュ」の名を採った
「ポルカ」を作曲して「レスポンス」としたのである。独語
「tritsch」の意味は知らないが(おそらく、次の語の語呂合わせであろう)、
「tratsch」は英語の「trash(たわごと、噂話)」と同源である。
[ポルカ・シュネル(速いポルカ)、2/4、3♯]
♪ソ│<ソ●・●>ソ│<ソ●・●♯ファ│>(N)ファ>ミ・>レ>ド│>シ●・●♪
ところで、そのむかし、どこのだれかかが「疾走する哀しみ」と表したのは、
モーツァルトの「ト短」である。たしかに、
熱い「ト短」屋根に放り出された猫なら、アチチとボヤいて哀れに疾走するほかない。
それはともかくも、「40番交響曲」の主章は、
[モルト・アッレーグロ、2/2、2♭]
♪ファ>ミ│ミー、<ファ>ミ・ミー、<ファ>ミ│ミー<ドー・●●ド>シ│
>ラー、ラ>ソ・>ファー、ファ>ミ│>レーレー●●♪
である。この『ファ>ミ・ミー』というのは、
古楽由来の「嘆息動機」と呼ばれるものなのだそうである。
それが川内翁のものでなく女のものなら森進一も歌っていいらしい。ともかく、
モーツァルトマニアであったチャイコフスキーは当然にこの
「嘆息動機」を自分の作品に採りいれてる。
「『ファ』で始まる主題」の数々の中でも……
「4番交響曲」主章主主題♪『ファーー>ミ│ミーーー』>♭ミー・ーー>レーー>ド♪、
最後の「6つのロマンス」の終曲「もとのように、また独り」のpf伴奏、
「悲愴交響楽」の主章再現部の主主題と対主題の間のトロンボーンとチューバの咆哮、
同曲終章「主主題再現部」の2、4番ホルンの低音域沈殿、など……は
その典型である。モーツァルトの「40番交響曲」場合は「短足動機」であるが、
チャイコフスキーの場合は概して長めである。それはさておき、
モーツァルトの「40番交響曲」主章主主題を、そのような「修飾」を取り除いてみれば、
♪ミー│ーー、ミー・ーー、ミー│ーー<ドー・●●ド>シ│
>ラー、ラ>ソ・>ファー、ファ>ミ│>レーレー●●♪
となる。さらに、前半部分の音価を半減させ、オクターヴ飛躍させ、
その他多少の剪定をすれば、
♪ミ│<ミ●・●>ミ│<ミ●・●>シ│>ラ>ソ・>ファ>ミ│>レ●・●♪
であり、ここからは
♪ソ│<ソ●・●>ソ│<ソ●・●♯ファ│>(N)ファ>ミ・>レ>ド│>シ●・●♪
に移行させることは一流の植木職人にでなくても日本一の無責任男にでなくても
容易い作業である。ところで、モーツァルトの「40番交響曲」は、
主章と終章がともにト短かつ「2/2拍子」であるのに対し、
標語がそれぞれ[モルト・アッレーグロ][アッレーグロ・アッサイ]である。
世の中には「[アッレーグロ]は元来、速度を示すものではない」と宣うむきがある。
ごもっともである。だが、すでにモーツァルトの時代には、
[アッレーグロ]は「速度」を示す指標と「成り下がって」たのである。
超絶高知能のモーツァルトが「書き分け」た以上、そこに
「意味」「差異」の存在を意識しないのは、ものを考えなくても生きてける幸せ者である。
私は音楽のドシロウトであるうえにイタリア語も話せない低知能者であるので判じれないが、
おそらく、[モルト・アッレーグロ]のほうが[アッレーグロ・アッサイ]よりも
その「程度」が(モーツァルトにとって)小さかったのではないか、と感じてるのである。
つまり、終章のほうが主章より速くてしかるべきであると。ちなみに、
シュ虎ウスというドイツ語が花束を表す語だというのは「本当のお話」である。
「えぇ~~っ。そんな話、聞いてないよぉ~~~っ!」というのは、
古いネタで恐縮だが、「ダチョウ」倶楽部である。
「ダチョォ~~~~~~ン!」というのは谷啓(ダニー・ケイのもじり)である。
故レニー・バーンスタインのモノマネは故ダニー・ケイのおはこ芸である。ちなみに、
私にはダニー・ケイと故カルロ・マーリア・ジュリーニとの顔の区別が困難である。
シュリーニがシカゴ交響楽団の首席客演指揮者だったからといって、さらに、
映画「シカゴ」に出てたリチャード・ギアを加えたらもうお手上げである。さて、
ニュー虎ルからDにシフトさせた私の古ベンは、
愛育病院を左折して北条坂を下りはじめたのだった。

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