チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ドリーブのバレエ『コッペリア』のマズルカ」

2010年02月02日 23時55分40秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般
34年前の1976年の2月2日に、現テレ朝の
「徹子の部屋」が始まったそうである。その
第1回放送のゲストは故森繁久彌だった由。いっぽう、
先日に西武百貨店有楽町店が今年の12月25日で
閉店すると発表されたが、有楽町といえば
数寄屋橋。ウォータルー橋の約束とその橋でのタチンボを
そのままパクった菊田一夫一世一代の芝居、
「君の名は」である。
「徹子の部屋」とおなじく、1976年、
マス・メディアとナディアがこぞって
「コマネチ!」「じってん!」とモンドリウッテたまげさせた
モントリオール五輪での驚異の着地誤魔化しぎみな
満点演技に湧いた頃、故花登筐の脚本、
酒井和歌子女史の主演で、「君の名は」が
NETテレビ(現テレ朝)で放送された。そこに
故森繁久彌も出演してた。が、
俳優ジェフリー・ノードリングと指揮者パーヴォ・イェルヴィの
顔の区別もままならない拙脳な私ゆえ、
記憶違いかもしれない。いずれにせよ、
テレ朝はチャンネルが10から地上波デジタルで5へ半知になる。
私がガキの頃の日本教育テレビ(NET)は朝日新聞のものでも
マードックのものではなく、故赤尾好夫の
"赤尾の豆単"の旺文社が大株主だった。いっぽう、
故赤尾敏が街宣車で毎日声を張り上げてたのが、
宝くじ売り場の前、数寄屋橋交差点である。
中学まで毎土曜に銀座に遊びに行ってた私には、
とてもなつかしい光景である。ちなみに、
数寄屋橋の下を流れてたのは芥川ではない。
外堀である。

ときに、ガキの頃といえば、
日本教育テレビの"朝日新聞ニュース"が始まるとき、
レオ・ドリーブのバレエ「コッペリア」のマズルカが鳴らされてた。
[テンポ・ディ・マズールカ、3/4拍子、ニ長調]
****♪ファーー>ミ・>レーーー・レーーー│レーー<ミ・>ドーーー・ーー>シー│
  >ラーー<ド・<ファーー・<ラーー<シ│シーー<ド・>ソーーー・ーーーー│
  <ラーー、ラ・>シーーー・<ラーーー│>ソーーッ・【ソーー>ファ・>ミー】●●│
  >レーー、レ・>レーーー・<ドーーー│>シーーッ・【シーー>ラ・>ソー】●●♪
19世紀フランスの舞台音楽の御多分にもれず、
とにかく全員参加、みたいなベタベタな
垢ぬけないオーケストレイションである。そして、
お決まりのようにコルネットが配されてる。とはいえ、
【ソーー>ファ・>ミー】【シーー>ラ・>ソー】の箇所の旋律を
補強してるのが「効いて」る。ドリーブとかグノーとかは、
イタリアのヴェルディとおなじく、その音楽に繊細さは求めれないが、
それでも抗しがたい魅力がときどき顔を覗かす。ちなみに、
「コッペリア」は「くるみ割り人形」と同じく、
本職が判事のETAホフマンの原作によるものである。
舞台はポーランド。マズールカの本場である。ときに、
チャイコフスキーが「破棄」してタネーエフがオーケストレイションした
「アンダーンテとフィナーレ」を、さらに無思慮に
「交響曲第7番」などとソ連がしたのものの「フィナーレ」の楽章も
何のNEWSのときのものかは忘れてしまったが、
やはりそのような音楽として使われてた。ただし、
ヴァリーボールの応援歌に使われてはなかったことは確かである。

そんなわけで、今夜はスキヤキだった。もちろん、私は
溶き玉子などには漬けないし、
割りしたに混ズルカということもない。
黄身の名はない、白身もない。ちなみに、
赤尾敏の向かいの不二家で売ってたのは
コッペリアではなくペコちゃんのほっぺりあである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ラフマニノフ『pf協奏曲第2... | トップ | 「コッペリアのマズルカとフ... »

コメントを投稿

説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般」カテゴリの最新記事