チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「染五郎の弁慶(勧進帳)と菊之助の権八(鈴ヶ森)」

2014年11月24日 16時25分15秒 | 歴史ーランド・邪図
先日、
染五郎が41歳にして初めて弁慶を演じるというので
歌舞伎座に出かけてきた。
「初世松本松本白鸚三十三回忌追善」興行なので、
富樫左衛門に父幸四郎、義経に叔父吉右衛門、
太刀持に長男金太郎、という
高麗屋一家(吉右衛門は別屋号だが)で固めた、
スペシャルなものだった。
5月に海老蔵がやったばかりなので、
それと比較するのも趣があった。
(cf; http://blog.goo.ne.jp/passionbbb/e/941ffdbdc210dddc7420a0718909b189 )
富樫との丁々発止は染五郎のほうが
いい顔をしてるように思えた。が、
やはり飛六方は染五郎は品がよすぎて、
海老蔵のほうが鬼気迫るものだった。とはいえ、
幕引き後の花道での染五郎の弁慶は、意図的に
抑えた演技を心がけてるようにも思われた。
富樫への礼も神仏への礼も、
大げさを避けぐっと抑えてるのである。
もともとは富樫は騙されたという体だったものが、
武士の情と解釈が変じたものである。
本来は富樫への礼は感謝ではなく謝罪なのである。
現実の富樫左衛門(富樫泰家)は実際に頼朝の怒りをかった
その職を解かれるが、殺されはしなかった。
出家して平泉まで赴き、義経と邂逅したという。そして、
長寿を全うしたとされてる。

「勧進帳」の前後の出し物である
「鈴ヶ森」も「義経千本桜(すし屋)」も
私には退屈な演目である。が、
「鈴ヶ森」は白井権八が菊之助だった。
菊之介はこんなつまらない役をやっても
その歌舞伎役者としての才能がきらめいてしまってた。
21世紀歌舞伎界の至宝である。
菊之助、染五郎、海老蔵、勘九郎、七之助と、
これから二十年はますます歌舞伎は面白くなっていくはずである。
凛々しい子役の金太郎が美形に育つ期待もある。
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