チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「キャパちゃん、ペッ! チョットだけピンボケよ(崩れ落ちる名声)/ロバート・キャパ誕生100年」

2013年10月22日 17時54分03秒 | 歴史ーランド・邪図
本日は、
Robert Capa(ロバート・キャパ、1913-1954)、本名、
Friedmann Endre Erno(フリードマン、アンドレ・エルニュー。oは実際は特殊文字)が
生まれてちょうど100年の日にあたる。ハンガリー人であるが、
そのサーネイムであるフリードマンから判るように、
父方はユダヤ人である。いっぽう、
母方はスロヴァキア、つまり、スラヴ系である。ゆえに、
ハンガリー人といってもその血は一滴も混じゃることなく、
ブダ・ペシュトに生まれた。したがって、
蒙古斑はなかったはずである。また、
どちらの手だかは判らないが、6本の指を持つ
polydactyly(ポリダクティスィ=多指症)児として生まれたらしい。

キャパといえば、
写真をやる者でなくても多くの人が知ってるほど、その
「崩れ落ちる兵士」
は有名である。まず、1936年9月23日、
フランスのグラフ誌"Vu(ヴィユ)"に掲載された。次いで、
翌年、米国の"Life"(7月12日号)に採りあげられて、
一躍、世界的に知れわたった。が、以来、
この写真には「疑惑」が持たれてた。で、結局、
沢木耕太郎が調査して、この写真のインチキを暴いて
キャパの嘘を決定的にした。そこらへんの話は、
同人の「キャパの十字架」(文藝春秋社刊)に詳しい。が、
そんな詳細な調査や裏付けなどなくても、
最近のキャンディス・バーゲン女史とマーサ・スチュワート女史の
顔を判別できない拙脳なる、戦闘経験もない私にでも、
この"うしろに倒れかけてる"男の立ち位置からして
"戦闘状態下"であるはずかないことはすぐに判る。
土塁の陰でなく、丘陵の上方に立つなど、
敵から的にされるだけで、
こういう状況が戦闘状態にあるのだとしたら、
玉砕覚悟の日本兵しかありえない。しかも、キャパや
ゲルダ・タロー(キャパの相方女性。岡本太郎とも親しく、
そのタロウを名乗った。カメラマン・タローとはしなかった)
といった非戦闘員はともかく、
この男以外の兵士らは撃たれてないのだから、
推して知るべし、である。
ゴウスト・ライターのおかげで"ノーベル賞作家"にまでなってしまった
川端康成のばつの悪さと同じだっただろう。ために、
"ロバート・キャパ"という虚構の戦場カメラマンは、
"実際"に戦場カメラマンとなるために、
ノルマンディ上陸作戦に同行した。このときも、
実際の戦闘にビビってカメラブレをおこしてしまった。
それを糊塗するために、現像助手の現像ミス、
ということにしてしまったのである。
そのフォトボリもさめないうちに、今度は、
まだアメリカが介入する前の、フランス統治下だった
ヴィエトナムでの第1次インドシナ戦争の取材依頼を断れず、
虚構という自らの地雷を踏んで果てたのである。

とはいえ、
好きか嫌ライカは別にしても、この一連の
「ちょっとピンぼけ」なキャパの写真が
世界の"良心"に訴えたことは確かである。が、
戦争というものは、よく、
「誰も得をしない」などと不毛なことを言うむきがあるが、
世界を牛耳ろうとするごく一部の者のためにあるのであって、
善良な市民の好き嫌いで起こるわけではない。
ごくごく平均的な一般人は、アリの世界でいえば
人間に無意識に踏まれて死ぬアリと同じ価値なのである。
写真技術もなかったがそのキャパシティに不相応な
功名心だけは人一倍あり、好き嫌いはともかく
"二枚目"でスケをコマすことができて、
著名人を取り込むすべを心得てたキャパは
「ちょっとピンぼけ」を売り物にして成功したが、
ブサイクで人見知りの激しい私の場合は
「ズット、ビンボー系」なままである。
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