チャイコフスキー 悲愴
今週の土日も煎餅焼きの立ち会いで遊ぶ暇がない。
無信心の私に神のみ恵みがもたらされないのは承知してる。
売国政党の国賊チビっ子財務大臣が、
はたらくのめん「どくさいっつーか飢饉」にあえぐ
ナマケモノの私のために4兆8000億円を拠出してくれる、
などという話はいっこうに聞かない。とはいえ、
私はナポレオン3世に睨まれるような共和派ではないので、
ジャーズィー諸島に逃げなくてもいいし、
元祖ストーカーのアデルを娘に持ってるわけでもないので、
それらを以て幸せとしなければならない。
骨折って地道に勤労するのみである。
【ド>シ>ラ>ソ】
という【音階を4度下る音型】は、
チャイコフスキーの最重要作品である
「交響曲第4番」「同6番(悲愴)」の骨子である。これは、
「悲愴交響曲」の第2楽章に
【Allegro con grazia】
(アッレーグロ・コン・グラッツィア=速く、恩恵をもって→速く、慈愛に満ちて)
という標語を採ったチャイコフスキーが、
母アレクサーンドラを想起してちりばめたものである。そしてそれは、
「悲愴交響曲」の第4楽章の第2主題
【ドー│ドー・>シー・>ラー│>ソー・ーー】
となって最期を向かえる。チャイコフスキーは
それをオクターヴ・ユニゾンで擦り出すvnプリーモとヴィオーラに、
【con lenezza e devozione】
(コン・レネッツァ・エ・デヴォツィオーネ=慈悲と献身の心をもって)
と命じたのである。つまり、
【ド>シ>ラ>ソ】という【音型】は
聖母マリアの【恩恵】、すなわち、チャイコフスキーにとっては、
亡き母アレクサーンドラ像なのである。
ジョスカン・デ=プレの「アヴェ・マリア」は、
冒頭の"Ave Maria, gratia plena,"の
"Ave Maria"にあたる箇所が、
♪ソー・ーー・・<ドー・ーー│ーー・ーー・・ドー・ーー│
<レー・ーー・・<ミー・ーー│>ドー・ーー・・ーー・ーー♪
という音型で4声によってカノられ、続く
【gratia】
にあたる箇所が、
【ドー・ーー・・ーー・>シー│>ラー・ーー・・>ソー・ーー】
となってるのである。
チャイコフスキーはこの【音型】を、同人が
帝室法律学校(当時のロシア帝国の中下流貴族の師弟が学んだ、
官僚養成寄宿制学校。実際、チャイコフスキーも卒業と同時に
法務省の高級官僚となった。キャリア組である)生の14歳のときに、
コレラという苦痛に満ち汚物にまみれなければならない伝染病で
惨たらしく醜く死んでった、それまでは美しく優しく、
慈愛と献身の心に満ちてた母の象徴としたのだと、私は考える。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます