チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「チャイコフスキー『悲愴交響曲』2箇所の"ffff"その1: 第1楽章」

2009年02月13日 17時49分40秒 | 悲愴中毒(おreたちdニasはない
[Two-"ffff" in Tchaikovsky's 6th symphony/The former]

明日はサン・ヴァレンティーノの日である。カ顔がブサイクな男である私には、
千代子さんという名の女性に限定しなくても、
まったく縁がない。といっても、
なんとかしようと金で無駄な努力をしてきた時分もあった。
いろいろ貢いだり配慮しテルニもかかわらず、
その見返りは私のオツム同様に薄かった。が、
3年前からそんな虚しい努力をするのは止めた。以来、
義理にもチョコなどもらったことがない。で、
チョコを口にしなくなったおかげで、それでなくても
拙い脳がまわらなくなって、
武豊がシャべる口元と猫の口元の区別が
つかなくなってしまった。ところで、武豊がイメキャラの
三菱自動車アウトラウンダーは4輪駆動とばかり思ってたが、
ffの2輪駆動仕様もあるそうである。

チャイコフスキーの「悲愴交響曲」には"ffff"と指定された箇所が
ふたつある。ひとつは第1楽章第299小節であり、
いまひとつは第3楽章第312小節乃至315小節である。
総数1000小節あまり(第2楽章の反復をカウントしなくても)の中で、
たったこれだけ、という奥ゆかしさから、これらが
「特段」の扱いであることが窺える。
第1楽章第274小節、第2拍乃至第3拍で、減7の
「タタタータ」というモース符号の"f"を刻み、さらに次小節で、
「タタタ」という"s"を、そして、
「タ」、「タ」と"e"、"e"をたたみ込む。
"fsee(フスェー)"……ロシア語の"все(フスェー)"は、
「すべて」「皆」を表す複数代名詞である。
「すべての民は神の裁きを受ける」、のである。そして、
第277小節から「嘆息音型」
♪ミーーー<ファーー>ミ・ミ♪のゼクヴェンツが始まる。そして、
それより前から続けられてきた"fis(嬰ヘ)"の通奏低音とあいまって、
ロ短調が確保され、フルート3管と弦楽4部によるユニゾンの
下降音型が"fff"で奏される。が、これより後発の、しかも
"ff"の(ただし、絶対的音量を考慮した上での差付け指定)の
トロンボーンとチューバの「嘆息音型」(初回は全音下降)
♪ミーーー|<「シーーー・ーーー>ラ・・ラーーー・ーーーー」♪
♪ドーーー|<「「ファーーー・ーーー>ミ・・ミーーー・ーーーー」」♪
をカノるように、
♪ドーーー|>「シーーー・ーーーー・・>ラーーー・ーーーー」♪
♪ソーーー|>「「ファーーー・ーーーー・・>ミーーー・ーーーー」」♪
と降りてくのである。そして、
"largamente, forte possibile(ラルガメンテ、フォルテ・ポッスィービレ)"
と弦には指示がなされてる。が、この
"largamente"を「幅広く、ゆったりと」などと
「音楽辞典」の類の訳を鵜呑みに解して、
テンポを遅くする思慮に足りない指揮者というのが存在する。
この指示は「弦楽器の弓使い」について附されたものである。
「弓を先から元までいっぱいに使って、できるかぎり強い音で」
ということである。おんなじ節を吹くフルートには指定されてない、
ということからも容易に解ることであるのにもかかわらず。また、
それに輪を掛けて「のんびりトロトロぐずぐず」な演奏に
「ロシアの大地を感じ」て「ウットリしてしまうむきもあるので、
そういう人たちはそういう世界にいれば、
幸せなのかもしれない。もっとも、水嶋ヒロと名倉潤の
フェイスの区別もつかない拙脳な私が日々
感じることにすぎない。それはどうでも、
それまでユニゾンだった弦が、第297小節から
"sff"で和声を重ねる。
(ロ短調)トロンボーン&チューバが♪ラーーー・ーーー>♯ソ・・♯ソーーー・ーーーー♪、
弦が(通奏低音のコントラバスのミを除いて)[レ(<)ファ(<)シ]、つまり、
トロ&チューのラが減7の倚音になってるのである。次いで、
(ロ短調)トロンボーン&チューバが♪ファーーー・ーーー>ミ・・ミーーー・ーーーー♪、
弦が(通奏低音のコントラバスのミを除いて)[レ(<)♯ソ(<)シ]、つまり、
トロ&チューのファも含めた減7から属7に移行する。そして、
"ffff"からディミヌエンドしてく第299小節乃至第300小節、
を挟んで、クラリネット・ファゴット・ホルン・ティンパニ・チェロ・コントラバスが形成する
[ミ(<)♯ソ(<)シ]という属和音が打たれ減衰してく、のである。
そして、そのロ短調と共通する属和音が同主調の
ロ長調をお膳立てし、天国を表すかのような
「第2主題」が現れる、という運びになってるのである。さて、
あとまわしにした"ffff"の箇所であるが、そこでは、
オーボエ・クラリネット・ファゴット・ホルン・トロンボーン&チューバ・ティンパニ・弦楽5部、
が起用されてる。そして、
通奏低音のティンパニとコントラバスが「ロ短調(h moll)の「ミ(fis)」を、
トロンボーン&チューバが「♯ミ(eis)」を、それ以外の
管楽器と弦楽4部がそれぞれ[ド(<)ファ(<)ラ(d(<)g(<)h)]を、
打ち下ろすのである。ここで注目すべきは、
1. ファゴット1・ホルン2・ヴィオーラ・チェロが打つ「ファ(g)」、
2. ティンパニ・コントラバスが刻む「ミ(fis)」、
3. トロンボーン&チューバが吹く「♯レ(eis)」、
という、半音ずつ隣り合う「3つの音」である。とりわけ、
3つめの「♯レ(eis)」をチャイコフスキーは
「♭ミ(f)」とはしなかった。ここで、
"eis"とは何か、である。「嬰ホ」である。上記のごとく、
「本位ヘ」とは「異名同音」である。ときに、
"Requiem(レクウィーエム)"とはラテン語の"requies(レクウィーエス)"の対格で、
くだけていえば「安息を」である。さて、
"Requiem aeternam dona eis, Domine:
et lux perpetua luceat eis."
これは"Requiem"の入祭唱(Introitus/イントロイトゥス)である。
モツ・レクに限らず、レクィエムの歌詞はそのように始まる。
その2行の中に、[eis]という語が繰り返し出てくる。
この先頭の2行は終いで再び述べられるから、
[eis]はつごう4回出てくるのである。ラテン語の
三人称代名詞の複数与格、つまりくだいて言えば、
「彼らに」である。したがって、ここで、
バストロンボーンとチューバという低音のaceツートップを通じて、
チャイコフスキーは"Requiem"の「前口上」を吹かせた、
のだと私は考えてるのである。
「レクウィーエム(安息を)・エテルナム(永遠の)・
  ドナ(与え給え)・エイス(彼らに)、ドミネ(主よ)。
 エト(そして)・ルクス(光が)・ペルペトゥア(途切れることなき)・
  ルーチェアト(降り注がんことを)・エイス(彼らに)」(拙大意)

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