本日、2013年5月29日は、
パリ8区のシャンゼリゼ劇場こけら落とし興行の一環で
「バレエ・リュス」のコンテンポレリ・ダンス
"Le sacre du printemps(ル・サクル・デュ・プラントン=春の祭典)"
が初演されて100年にあたる日だった。
作曲者はロシア出身のイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)。
普通に結婚し、平凡に子をもうけ、妻と死別後には再婚もして、
"作曲家"というクリエイターというわりには88歳までも生き、
著作権収入を確保するために
「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」など
"ヒットした"バレエ音楽を何度も改訂した、
俗人作曲業者である。
初演が騒動になったことはよく知られてるとおりである。
賛否二派という対立は、バレエの内容さながらでさえあった。
序奏冒頭の"高音域"ファゴットの楽器使いで、"アンシャン・レジーム"な
サン=サーンスは怒り心頭に発して席を立ったといわれてる。
この「ファゴットへの無理強い」は弱低音ほど難儀ではないとしても、
チャイコフスキーの「悲愴」のppppppへの執着の表れである。ともあれ、
♪(4/4拍子)ドーーー(フェルマータ)・>(>シ<ド>)シ>ソ>ミ<シ・
>ラー(フェルマータ)、ドー(>シ<ド>)>シー(3連符)│(3/4拍子)>ラー♪
「変拍子」だの「拍子がめまぐるしく替わるので指揮するのに難儀」
などと"称えられてる"が、この1小節めで誰が
「4拍」を、「4拍子」を感じるだろうか?
2小節めに「3拍を聞き取り」、「3拍子の律動を覚える」だろうか?
なんのことはない、
「拍子もへったくれもない」ただの
虚仮威し、奇を衒っただけのものなのである。
チャイコフスキーが相手だとバカにして、
低音域ファゴットが弱音が苦手だからといって
安直拙速にバス・クラリネットで代用してしまうところだが、
ストラヴィンスキーというのは音楽評論家などという輩どもには
なぜか崇拝されてるらしく、
これをクラリネトで代用する指揮業者は皆無である。もっとも、
ストラヴィンスキーは卑怯にも、このファゴット・ソロ・パートに
「強弱標語」をふってない……第2小節からのホルンがmp、という
空気を読む指揮業者もしくはファゴット奏者に一任……のである。
この"ツカミ"のみならず、感動ということには無縁の"音楽"である。
「火の鳥」と「ペトルーシュカ」のほうが、はるかに価値がある。
「春の祭典」というのは、現代舞踊のハシリなので、その内容は
何かしらの深いテーマがありげに思わせるだけの
その実まったく意味のない愚にもつかないものである。
<2つの村の対立と大地への礼賛、そして、
太陽神の怒りを収めるべく、
一人の処女を生贄として「生贄の踊り」を踊らせ、
踊り果てて死した娘の死体を長老たちが神に捧げる>
という、全日本柔道連盟も真っ青な、
橋下バッシングに浮かれてる世界じゅうの偽善人権保護団体や、
中共や韓朝やヒラリー・ロウダム=クリントンが目くじら立ててやり玉に挙げ、
血祭りにしてもよさそうな「人権蹂躙」な"筋書き"である。
初演当初のニジンスキーの振付は葬り去られた。したがって、
現在踊られてるものは知能程度が一般人並の
"振付家ら"によって振り付けられた「読み替え物」がほとんどである。
さて、
この序奏の主題もどきは、
ロシア帝国の領地として支配されてたリトアニアの
Juozas Naujalis(ユアザス・ナウヤリス、1869-1934)が作曲した通俗歌謡
"Tu, mano seserele(一部のeは特殊文字の代替)"
(トゥ、マーノ・セセリリ=お前(意訳=おお)、我が妹よ)
である。
(リトアニアのジャズ・バンドが"ジャズふう"にアレンジしたものが
https://soundcloud.com/druskininkaijazzensemble/youre-my-little-sister
にアップされて……イントロが長すぎであるが……ます)
Tu mano seserele, sesele gulbuzele,
ar nori varga vargti, vargeli pamatyti?
Jei nori varga vargti, vargeli pamatyti,
tekek uz baudziauninko, uz dvaro nevalninko.
Iseidams i dvareli, i didzia baudyiavele,
paliks tave bemalant, prie girneliu bestovint.
Pareidams is baudziavos, is didzios nevaleles,
parnes sauniu zodeliu ir graudziu asareliu.
Jei nori valioj buti vargelio nemtyti,
tekeki uz medlinciaus, uz girios valdonelio.
Iseidams i girele, i didzia valdonele,
paliks tave bemiegant, pataleliais uzklojes.
Pareidams is gireles, is didzios valdonejes,
parnes raibu pauksteliu ir meiliuju zodeliu.
(リトアニア語の特殊文字は通常の文字に代替してある)
リトアニアとラトヴィアとエストニアの違いも判らない
拙脳なる私には意味不明である。
和久井映見女史や鶴田真由女史のことを
歌ってはないことだけは解る。ともあれ、
歌謡の節は、
♪【ファ>ミ>ド│>ラー<ミ│>レー】<ミ│
<【ファ>ミ>ド│>ラー<ミ│>レー】<ミ│
<ファ>ミ>レ│<ソー>ファ│>ミー>レ♪
(ストラヴィンスキーはこれをイ短調で
♪【ド>シ>ソ│>ミー<シ│>ラー】♪
とスキャンした)
である。
(ファゴットでは吹くのが大変だとのことなので、
バス・クラリネットで代用してみました。
http://twitsound.jp/musics/tswVnLZAB )
チャイコフスキーのバレエ
「白鳥の湖」第19曲いわゆる「パ・ドゥ・シス」のいわゆるヴァリ4
♪ファ<♯ソ・<ラ<シ│ドー・<レ<ミ│<ファー・<♯ソ<ラ│<シー・<ドー│
>シ>ラ・>ソ>【ファ│>ミー・>ド>ラ│<ミー・>レ】>ド│シー・ーー♪
に内包されてる節である。
師匠リームスキー=コールサコフが書き換えたムーソルグスキーの「禿山の一夜」の終いの
クラリネット・ソロそしてフルート・ソロによって吹かれる節もまた
視床を経由してストラヴィンスキーの脳をインスパイアしたかもしれない。
いっぽう、後年、
この通俗歌謡の節をちょいと捩ったのが、
♪ドー・ー>シ・・>ラ>ソ・>ミ<ド│
>シー・ー>ラ・・>ソ>ミ・>ド<シ│
>ラー・ー>ソ・・>ミ>シ・<ド<シ│
>ラー・ーー・・>ソー・●●♪
エディット・ピアフ女史が歌ったシャンソン
「ラ・ヴィ・アン・ローズ」である。
クラ音評論家やクラ音ファンの中には好きな"管弦楽曲"として
この「春の祭典」いわゆる「ハルサイ」を一番に挙げる者が多い。
ユダヤ教における「パリサイ」派とは対極の、
マーラーやショスタコーヴィチなどとともに、こけおどし的で
映画音楽のような通俗性がウケるのかもしれない。とにかくも、
こんなのが「好きな管弦楽曲第1位」とは、世も末である。
パリ8区のシャンゼリゼ劇場こけら落とし興行の一環で
「バレエ・リュス」のコンテンポレリ・ダンス
"Le sacre du printemps(ル・サクル・デュ・プラントン=春の祭典)"
が初演されて100年にあたる日だった。
作曲者はロシア出身のイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)。
普通に結婚し、平凡に子をもうけ、妻と死別後には再婚もして、
"作曲家"というクリエイターというわりには88歳までも生き、
著作権収入を確保するために
「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」など
"ヒットした"バレエ音楽を何度も改訂した、
俗人作曲業者である。
初演が騒動になったことはよく知られてるとおりである。
賛否二派という対立は、バレエの内容さながらでさえあった。
序奏冒頭の"高音域"ファゴットの楽器使いで、"アンシャン・レジーム"な
サン=サーンスは怒り心頭に発して席を立ったといわれてる。
この「ファゴットへの無理強い」は弱低音ほど難儀ではないとしても、
チャイコフスキーの「悲愴」のppppppへの執着の表れである。ともあれ、
♪(4/4拍子)ドーーー(フェルマータ)・>(>シ<ド>)シ>ソ>ミ<シ・
>ラー(フェルマータ)、ドー(>シ<ド>)>シー(3連符)│(3/4拍子)>ラー♪
「変拍子」だの「拍子がめまぐるしく替わるので指揮するのに難儀」
などと"称えられてる"が、この1小節めで誰が
「4拍」を、「4拍子」を感じるだろうか?
2小節めに「3拍を聞き取り」、「3拍子の律動を覚える」だろうか?
なんのことはない、
「拍子もへったくれもない」ただの
虚仮威し、奇を衒っただけのものなのである。
チャイコフスキーが相手だとバカにして、
低音域ファゴットが弱音が苦手だからといって
安直拙速にバス・クラリネットで代用してしまうところだが、
ストラヴィンスキーというのは音楽評論家などという輩どもには
なぜか崇拝されてるらしく、
これをクラリネトで代用する指揮業者は皆無である。もっとも、
ストラヴィンスキーは卑怯にも、このファゴット・ソロ・パートに
「強弱標語」をふってない……第2小節からのホルンがmp、という
空気を読む指揮業者もしくはファゴット奏者に一任……のである。
この"ツカミ"のみならず、感動ということには無縁の"音楽"である。
「火の鳥」と「ペトルーシュカ」のほうが、はるかに価値がある。
「春の祭典」というのは、現代舞踊のハシリなので、その内容は
何かしらの深いテーマがありげに思わせるだけの
その実まったく意味のない愚にもつかないものである。
<2つの村の対立と大地への礼賛、そして、
太陽神の怒りを収めるべく、
一人の処女を生贄として「生贄の踊り」を踊らせ、
踊り果てて死した娘の死体を長老たちが神に捧げる>
という、全日本柔道連盟も真っ青な、
橋下バッシングに浮かれてる世界じゅうの偽善人権保護団体や、
中共や韓朝やヒラリー・ロウダム=クリントンが目くじら立ててやり玉に挙げ、
血祭りにしてもよさそうな「人権蹂躙」な"筋書き"である。
初演当初のニジンスキーの振付は葬り去られた。したがって、
現在踊られてるものは知能程度が一般人並の
"振付家ら"によって振り付けられた「読み替え物」がほとんどである。
さて、
この序奏の主題もどきは、
ロシア帝国の領地として支配されてたリトアニアの
Juozas Naujalis(ユアザス・ナウヤリス、1869-1934)が作曲した通俗歌謡
"Tu, mano seserele(一部のeは特殊文字の代替)"
(トゥ、マーノ・セセリリ=お前(意訳=おお)、我が妹よ)
である。
(リトアニアのジャズ・バンドが"ジャズふう"にアレンジしたものが
https://soundcloud.com/druskininkaijazzensemble/youre-my-little-sister
にアップされて……イントロが長すぎであるが……ます)
Tu mano seserele, sesele gulbuzele,
ar nori varga vargti, vargeli pamatyti?
Jei nori varga vargti, vargeli pamatyti,
tekek uz baudziauninko, uz dvaro nevalninko.
Iseidams i dvareli, i didzia baudyiavele,
paliks tave bemalant, prie girneliu bestovint.
Pareidams is baudziavos, is didzios nevaleles,
parnes sauniu zodeliu ir graudziu asareliu.
Jei nori valioj buti vargelio nemtyti,
tekeki uz medlinciaus, uz girios valdonelio.
Iseidams i girele, i didzia valdonele,
paliks tave bemiegant, pataleliais uzklojes.
Pareidams is gireles, is didzios valdonejes,
parnes raibu pauksteliu ir meiliuju zodeliu.
(リトアニア語の特殊文字は通常の文字に代替してある)
リトアニアとラトヴィアとエストニアの違いも判らない
拙脳なる私には意味不明である。
和久井映見女史や鶴田真由女史のことを
歌ってはないことだけは解る。ともあれ、
歌謡の節は、
♪【ファ>ミ>ド│>ラー<ミ│>レー】<ミ│
<【ファ>ミ>ド│>ラー<ミ│>レー】<ミ│
<ファ>ミ>レ│<ソー>ファ│>ミー>レ♪
(ストラヴィンスキーはこれをイ短調で
♪【ド>シ>ソ│>ミー<シ│>ラー】♪
とスキャンした)
である。
(ファゴットでは吹くのが大変だとのことなので、
バス・クラリネットで代用してみました。
http://twitsound.jp/musics/tswVnLZAB )
チャイコフスキーのバレエ
「白鳥の湖」第19曲いわゆる「パ・ドゥ・シス」のいわゆるヴァリ4
♪ファ<♯ソ・<ラ<シ│ドー・<レ<ミ│<ファー・<♯ソ<ラ│<シー・<ドー│
>シ>ラ・>ソ>【ファ│>ミー・>ド>ラ│<ミー・>レ】>ド│シー・ーー♪
に内包されてる節である。
師匠リームスキー=コールサコフが書き換えたムーソルグスキーの「禿山の一夜」の終いの
クラリネット・ソロそしてフルート・ソロによって吹かれる節もまた
視床を経由してストラヴィンスキーの脳をインスパイアしたかもしれない。
いっぽう、後年、
この通俗歌謡の節をちょいと捩ったのが、
♪ドー・ー>シ・・>ラ>ソ・>ミ<ド│
>シー・ー>ラ・・>ソ>ミ・>ド<シ│
>ラー・ー>ソ・・>ミ>シ・<ド<シ│
>ラー・ーー・・>ソー・●●♪
エディット・ピアフ女史が歌ったシャンソン
「ラ・ヴィ・アン・ローズ」である。
クラ音評論家やクラ音ファンの中には好きな"管弦楽曲"として
この「春の祭典」いわゆる「ハルサイ」を一番に挙げる者が多い。
ユダヤ教における「パリサイ」派とは対極の、
マーラーやショスタコーヴィチなどとともに、こけおどし的で
映画音楽のような通俗性がウケるのかもしれない。とにかくも、
こんなのが「好きな管弦楽曲第1位」とは、世も末である。
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