[Schuberts Erlkoenig und die Dreieinigkeit]
スギ花粉アレルギーがレヴェル5な私は、
pcのモニターを長時間見続けてたりすると涙が涸れて、
ドライアイ・ニヒ痒イトになってしまうのが常である。
昨日は雛祭りだったが、雛あられどころか、雪が
舞おうとしてた。寒さにも弱い私などは、
ゲーって叫んでしまったり、ギョエーテとも
魚エーッテとも喚いてしまうところだった。ところで、
初期キリスト教のスィンボルとされたのが、
イクトゥス生けるものの中でなぜ魚なのか、といえば、
2つの「弧」を反対向きにして、片方の端を合わせ、
もう一方の端は合わせないようにして「クロス」させると、
幼児が描く「おさかなちゃん」になるからである。また、
都合のいいことに、そのギリシア語のスペルは、
「イエス・キリスト・神の・子・救世主の」
という単語のそれぞれの頭文字になるからだという。
12使徒のうち、2組4人が漁師あがりである。すなわち、
スィモン(=ペテロ)&アンデレ兄弟とヤコブ&ヨハネ兄弟。とくに、
ペテロ、ヤコブ、ヨハネはイエスの弟子の中でも超側近である。
"Erlkoenig(エールケーニヒ)"の歌詞は、ドイツの大文豪ゲーテが
1872年に作った"Die Fischerin(ディ・フィッシェリン=漁師の娘)"
というズィングシュピールの中の歌のものらしい。それには当然
「モトネタ」がある(ギョエテには著作万引き癖あり……ファオストも然り)。
ヘルダーが翻訳したデンマークの民間伝承歌だという。そのデンマーク語の
"Ellarkonge"が電マー駆動の強烈なる刺激によって
"Erlkoenig"にされた由。
"Ellar"は「木の妖精(妖精といっても、
可愛らしいものを想像してはいけない)、
"konge"は「王」ということである。ちなみに、
益若つばさ女史と黒柳徹子女史の顔の
区別もできない拙脳な私には、
"Erlkoenig"が"Eelkoenig"に見えてしまって、
(巨大ウナギに首根っこなんか掴まれた気持ち悪かろう)
と思ってしまった。さて、
シューバートの「魔王」はト短調、ピアノの「3連符」で始まる。
歌は「語り部(エヴァンジェリスト)」のナレイトが先行する。
"Wer reitet so spaet durch Nacht und Wind? "
(ヴェール・ライテット・ゾー・シュペート・ドゥルヒ・ナハト・オント・ヴィント?)
「誰がそんなに慌てて馬を駆ってるのだ、
夜、しかも風の中を?」
***♪シー|<ドー・ーー・・>シー・>ラー|<シー・ーー・・ーー・、
シー|<ドー・ーー・・>ラー・ーー|<ミー・ーー♪
と、「シ」から開始される節なのである。
これは和声的にもト短調ではあるが、しかし、ニ短調の
***♪ミー|<ファー・ーー・・>ミー・>レー|<ミー・ーー・・ーー・、
ミー|<ファー・ーー・・>レー・ーー|<ラー・ーー♪
と「見えて」しまう。それはともかく、次いで、
「親父」が登場する(ト短調)。
"Mein Sohn, was birgst du so bang dein Gesicht?"
(マイン・ゾーン、ヴァス・ビルクスト・ドゥー・ゾー・バング・ダイン・ゲズィヒト?)
「我が息子よ、なぜお前はそんなに怯えて顔を隠すのだ?」
***♪ミー|<ラー・ーー・・●●・>ミー|<ラー・ーー・・<シー・ーシ|
|<ドー・ーー・・<♯ドー・ー♯ド|<レー・ーー♪
そして、「倅」が答える。
"Siehst, Vater, du den Erlkoenig nicht?"
(ズィースト、ファーテル、ドゥー・デン・エールケーニヒ・ニヒト?)
「見えるでしょう、おとうさま、魔王が……見えない?」
***♪レー、|<ミー・ーー・・ーー・>ラー、|<ファー・ーー・・ーー・>レー|
|<ミー・ーー・・ミーー・>ラー|<ファー・ーー♪
そして、「親父」がそれを一笑にふしたあと、
いよいよ「魔王」の出番である。
"Du liebes Kind, komm, geh mit mir!"
(ドゥー・リーベス・キント、コム・ギー・ミット・ミール!)
「かわいい坊や、私と一緒に来ないかい!」
(変ロ長調=ト短調の平行調、調号が同じ)
***♪レー、|<ミー・ーー・・ーー・>ドー|>ソー・ーー・・ーー・、
>レー|<ミー・ーー・・ーー・>ドー|>ソー・ーー・・ーー・♪
魔王だけ「長調」で書いてるのがまた効果的である。
シューバートはまだ18歳だったというのにである。ところで、
この「語り部」「親父」「倅」「魔王」の「入り」は、
どれもが4/4拍子の第4拍から、という
アオフタクトなのである。そして、いずれもが、
似通った節=動機から成ってることが解る。が、
「倅」と「魔王」がもっとも「近い」ということも解る。
そして、それが重要なことなのである。この
「倅」は「魔王」のもとに連れてかれることになる、
からである。つまり、
「倅」はもともと「魔王」と「同じ住処の住人」だった、
ということなのである。しかしながら、このリートは、
「親父」→「倅」→「魔王」という
「三者」が順に「連歌を詠い合っ」て、最後にまた
「語り部(エヴァンジェリスト)」のナレイトで締めくくられる。
その語り部の「序奏」と「結尾部」に挟まれた主部が、
「父」と「子」と「精霊」とのように
「三位一体」となって頻繁に転調を繰り返しながら
場面ばめんの状況を描写し、
一つの歌を繋いでくのである。さて、
やっと、ただならぬこと、倅の言ってることが
本当だ、と悟って親父はさらに馬を疾走させる。そして、
ナレイションが途絶え、pfが[c<des<d<es<e<f]と上昇すると、
曲は一変して穏やかそうな変イ長調に変わる。
"erreicht den Hof mit Muehe und Not;"
(エルライヒト・デン・ホーフ・ミト・ミューエ・オント・ノート)
「家にやっとのことで着くと、」
***♪ミー|ミー・ーー・・ーー・>ドー|<ファー・ー>レ・・>シー・<レー|>ドー♪
なにやら穏やかな曲想である。
ああ、これでなんとか無事に家に辿り着くことができた……
と安堵させるのである……が、
recit。という文字が添えられた締めは残酷である。
"in seinen Armen das Kind"
(イン・ザイネン・アルメン・ダス・キント)
「彼(親父)の腕の中で坊やは」
ちなみに、この「腕」の第4格"Armen"が、
狩野英孝の実家が由緒正しい神社ではなく、
ルーテル派の教会なんだと思いこんでたような拙脳なる私には、
「"Amen(アーメン)"、つけ麺、ボク池辺ン」
と聞こえてしまうのである。それはどうでも、ここは、
****♪●●●●・●ドド<レ・・<ミーーー・>レー>ドー|
>シーーー・●●(8分休符にフェルマータ)♪
までが、変イ長調であるが、最後のフェルマータ附きのg音
Kind(キント)に、pf伴奏が半拍ずれて、
[cis(<)b(<)e(<)g]という減7を据えて(4分音符、フェルマータ附き)、
一抹の不安を残すのである。そして、そのフェルマータののちに、
"war tot."
(ヴァール・トート)
「死んでた」
と、突如、ト短調に戻って、
****♪♯レー<ミーーー♪
そして、それに追い打ちをかけるかのように、間髪いれず、
アンダーンテと速度を落とされたpf伴奏が、
♯ソ[d(<)a(<)c(<)d(<)fis](8分音符)=ト短調の属7
→ラ[g(<)b(<)d(<)g](4分音符)=ト短調の主和音、
というカデンツを効かせて曲を閉じるのである。
お見事! というしかない。以前、
このブログにコメントしてた御仁は、私が、
不自然な、無理した長短の転調に惑わされてる
シューバートの室内楽やpf独奏曲などを駄作、と言ったら、
「あなたはシューベルトの作品を体系的に聴いてないのでは?」
などと宣った。それ以前には、
「歌曲は別物です。歌曲は嫌いです。歌曲は聴きません」
などとその御仁はおっしゃってた、のにである。
私が所蔵するクラ音の録音物と楽譜は、おそらく、
その御仁のものより多く、私はクラ音にかぎらず
唱歌・童謡から流行歌までかなりな数を聴いてると思うが、
シューバートに関していえば、歌曲を聴かずして何が体系的だろう。
シューバートは歌曲にこそ、その天才を示した作曲家である。
歴史にタラレバはない、というが、シューバートは
ごく一部の管弦楽曲に歌曲同様の大傑作を残した以外は、
まだ「習作」の域を出てなかった。あと15年ほど
生きてたら違ったかもしれないが。いずれにせよ、
この「魔王」を筆頭に、シューバートはまぎれもない
天分をそのリート作品に残してったのである。
スギ花粉アレルギーがレヴェル5な私は、
pcのモニターを長時間見続けてたりすると涙が涸れて、
ドライアイ・ニヒ痒イトになってしまうのが常である。
昨日は雛祭りだったが、雛あられどころか、雪が
舞おうとしてた。寒さにも弱い私などは、
ゲーって叫んでしまったり、ギョエーテとも
魚エーッテとも喚いてしまうところだった。ところで、
初期キリスト教のスィンボルとされたのが、
イクトゥス生けるものの中でなぜ魚なのか、といえば、
2つの「弧」を反対向きにして、片方の端を合わせ、
もう一方の端は合わせないようにして「クロス」させると、
幼児が描く「おさかなちゃん」になるからである。また、
都合のいいことに、そのギリシア語のスペルは、
「イエス・キリスト・神の・子・救世主の」
という単語のそれぞれの頭文字になるからだという。
12使徒のうち、2組4人が漁師あがりである。すなわち、
スィモン(=ペテロ)&アンデレ兄弟とヤコブ&ヨハネ兄弟。とくに、
ペテロ、ヤコブ、ヨハネはイエスの弟子の中でも超側近である。
"Erlkoenig(エールケーニヒ)"の歌詞は、ドイツの大文豪ゲーテが
1872年に作った"Die Fischerin(ディ・フィッシェリン=漁師の娘)"
というズィングシュピールの中の歌のものらしい。それには当然
「モトネタ」がある(ギョエテには著作万引き癖あり……ファオストも然り)。
ヘルダーが翻訳したデンマークの民間伝承歌だという。そのデンマーク語の
"Ellarkonge"が電マー駆動の強烈なる刺激によって
"Erlkoenig"にされた由。
"Ellar"は「木の妖精(妖精といっても、
可愛らしいものを想像してはいけない)、
"konge"は「王」ということである。ちなみに、
益若つばさ女史と黒柳徹子女史の顔の
区別もできない拙脳な私には、
"Erlkoenig"が"Eelkoenig"に見えてしまって、
(巨大ウナギに首根っこなんか掴まれた気持ち悪かろう)
と思ってしまった。さて、
シューバートの「魔王」はト短調、ピアノの「3連符」で始まる。
歌は「語り部(エヴァンジェリスト)」のナレイトが先行する。
"Wer reitet so spaet durch Nacht und Wind? "
(ヴェール・ライテット・ゾー・シュペート・ドゥルヒ・ナハト・オント・ヴィント?)
「誰がそんなに慌てて馬を駆ってるのだ、
夜、しかも風の中を?」
***♪シー|<ドー・ーー・・>シー・>ラー|<シー・ーー・・ーー・、
シー|<ドー・ーー・・>ラー・ーー|<ミー・ーー♪
と、「シ」から開始される節なのである。
これは和声的にもト短調ではあるが、しかし、ニ短調の
***♪ミー|<ファー・ーー・・>ミー・>レー|<ミー・ーー・・ーー・、
ミー|<ファー・ーー・・>レー・ーー|<ラー・ーー♪
と「見えて」しまう。それはともかく、次いで、
「親父」が登場する(ト短調)。
"Mein Sohn, was birgst du so bang dein Gesicht?"
(マイン・ゾーン、ヴァス・ビルクスト・ドゥー・ゾー・バング・ダイン・ゲズィヒト?)
「我が息子よ、なぜお前はそんなに怯えて顔を隠すのだ?」
***♪ミー|<ラー・ーー・・●●・>ミー|<ラー・ーー・・<シー・ーシ|
|<ドー・ーー・・<♯ドー・ー♯ド|<レー・ーー♪
そして、「倅」が答える。
"Siehst, Vater, du den Erlkoenig nicht?"
(ズィースト、ファーテル、ドゥー・デン・エールケーニヒ・ニヒト?)
「見えるでしょう、おとうさま、魔王が……見えない?」
***♪レー、|<ミー・ーー・・ーー・>ラー、|<ファー・ーー・・ーー・>レー|
|<ミー・ーー・・ミーー・>ラー|<ファー・ーー♪
そして、「親父」がそれを一笑にふしたあと、
いよいよ「魔王」の出番である。
"Du liebes Kind, komm, geh mit mir!"
(ドゥー・リーベス・キント、コム・ギー・ミット・ミール!)
「かわいい坊や、私と一緒に来ないかい!」
(変ロ長調=ト短調の平行調、調号が同じ)
***♪レー、|<ミー・ーー・・ーー・>ドー|>ソー・ーー・・ーー・、
>レー|<ミー・ーー・・ーー・>ドー|>ソー・ーー・・ーー・♪
魔王だけ「長調」で書いてるのがまた効果的である。
シューバートはまだ18歳だったというのにである。ところで、
この「語り部」「親父」「倅」「魔王」の「入り」は、
どれもが4/4拍子の第4拍から、という
アオフタクトなのである。そして、いずれもが、
似通った節=動機から成ってることが解る。が、
「倅」と「魔王」がもっとも「近い」ということも解る。
そして、それが重要なことなのである。この
「倅」は「魔王」のもとに連れてかれることになる、
からである。つまり、
「倅」はもともと「魔王」と「同じ住処の住人」だった、
ということなのである。しかしながら、このリートは、
「親父」→「倅」→「魔王」という
「三者」が順に「連歌を詠い合っ」て、最後にまた
「語り部(エヴァンジェリスト)」のナレイトで締めくくられる。
その語り部の「序奏」と「結尾部」に挟まれた主部が、
「父」と「子」と「精霊」とのように
「三位一体」となって頻繁に転調を繰り返しながら
場面ばめんの状況を描写し、
一つの歌を繋いでくのである。さて、
やっと、ただならぬこと、倅の言ってることが
本当だ、と悟って親父はさらに馬を疾走させる。そして、
ナレイションが途絶え、pfが[c<des<d<es<e<f]と上昇すると、
曲は一変して穏やかそうな変イ長調に変わる。
"erreicht den Hof mit Muehe und Not;"
(エルライヒト・デン・ホーフ・ミト・ミューエ・オント・ノート)
「家にやっとのことで着くと、」
***♪ミー|ミー・ーー・・ーー・>ドー|<ファー・ー>レ・・>シー・<レー|>ドー♪
なにやら穏やかな曲想である。
ああ、これでなんとか無事に家に辿り着くことができた……
と安堵させるのである……が、
recit。という文字が添えられた締めは残酷である。
"in seinen Armen das Kind"
(イン・ザイネン・アルメン・ダス・キント)
「彼(親父)の腕の中で坊やは」
ちなみに、この「腕」の第4格"Armen"が、
狩野英孝の実家が由緒正しい神社ではなく、
ルーテル派の教会なんだと思いこんでたような拙脳なる私には、
「"Amen(アーメン)"、つけ麺、ボク池辺ン」
と聞こえてしまうのである。それはどうでも、ここは、
****♪●●●●・●ドド<レ・・<ミーーー・>レー>ドー|
>シーーー・●●(8分休符にフェルマータ)♪
までが、変イ長調であるが、最後のフェルマータ附きのg音
Kind(キント)に、pf伴奏が半拍ずれて、
[cis(<)b(<)e(<)g]という減7を据えて(4分音符、フェルマータ附き)、
一抹の不安を残すのである。そして、そのフェルマータののちに、
"war tot."
(ヴァール・トート)
「死んでた」
と、突如、ト短調に戻って、
****♪♯レー<ミーーー♪
そして、それに追い打ちをかけるかのように、間髪いれず、
アンダーンテと速度を落とされたpf伴奏が、
♯ソ[d(<)a(<)c(<)d(<)fis](8分音符)=ト短調の属7
→ラ[g(<)b(<)d(<)g](4分音符)=ト短調の主和音、
というカデンツを効かせて曲を閉じるのである。
お見事! というしかない。以前、
このブログにコメントしてた御仁は、私が、
不自然な、無理した長短の転調に惑わされてる
シューバートの室内楽やpf独奏曲などを駄作、と言ったら、
「あなたはシューベルトの作品を体系的に聴いてないのでは?」
などと宣った。それ以前には、
「歌曲は別物です。歌曲は嫌いです。歌曲は聴きません」
などとその御仁はおっしゃってた、のにである。
私が所蔵するクラ音の録音物と楽譜は、おそらく、
その御仁のものより多く、私はクラ音にかぎらず
唱歌・童謡から流行歌までかなりな数を聴いてると思うが、
シューバートに関していえば、歌曲を聴かずして何が体系的だろう。
シューバートは歌曲にこそ、その天才を示した作曲家である。
歴史にタラレバはない、というが、シューバートは
ごく一部の管弦楽曲に歌曲同様の大傑作を残した以外は、
まだ「習作」の域を出てなかった。あと15年ほど
生きてたら違ったかもしれないが。いずれにせよ、
この「魔王」を筆頭に、シューバートはまぎれもない
天分をそのリート作品に残してったのである。
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