今朝、あきをバス停に送っていったあと、カイとほんの少しだけ近所を散歩してみました。
明け方に降った雨が止み、薄日が雲の合間からさす。
ほんのりした日差しがあたたかで柔らかい。
そして、草むらに近づくと、なつかしい匂い。
そう、雨上がりの土の香り。
いわゆる、マイナスイオン=フィトンチットっていうものです。
こういう情景に出くわすと思い出すのは以前の住まい。
都心から30分の、森のふもとにあったわが家。
春にはウグイス、
初夏には新緑が目に眩しく、
秋には紅葉、
冬にはコジュケイの鳴き声がきこえ、軒先まで色んな鳥が遊びに来ていました。
まるで、別荘地??のような環境でした。
動物飛びだし注意・・・の看板もあったなあ。
今頃は冬に備えて、きっと森のテントウムシたちもお引っ越ししてきているかもしれません。
子供たちが成長してきた今、身近にあんな環境があったらなあ、とつくづく思います。
もっとも梅雨時はカビが出たり、洗濯物が乾きにくかったりして困ることもおおかったけど。ベランダでは、両手を広げたくらいのムカデや、クモなんかもお目にかかることがあったので、虫ギライのひとはだめでしょうけど。
別荘地風の、新築のマンションのに住めたのはたった1年だけ。
とおたんは、「あの頃が一番しごとのってたなあ」とときどき感慨深そうにつぶやきます。
私は、激務の仕事につかれて、帰り道にいつも森のフィトンチットに癒されてました。雨上がりが、一番森の生命力を感じました。
とても懐かしい思い出です。
いつか家族で出かけてみたい。
ふいに、昔の思い出にタイムスリップ、引きこまれた朝のひとときでした。
明け方に降った雨が止み、薄日が雲の合間からさす。
ほんのりした日差しがあたたかで柔らかい。
そして、草むらに近づくと、なつかしい匂い。
そう、雨上がりの土の香り。
いわゆる、マイナスイオン=フィトンチットっていうものです。
こういう情景に出くわすと思い出すのは以前の住まい。
都心から30分の、森のふもとにあったわが家。
春にはウグイス、
初夏には新緑が目に眩しく、
秋には紅葉、
冬にはコジュケイの鳴き声がきこえ、軒先まで色んな鳥が遊びに来ていました。
まるで、別荘地??のような環境でした。
動物飛びだし注意・・・の看板もあったなあ。
今頃は冬に備えて、きっと森のテントウムシたちもお引っ越ししてきているかもしれません。
子供たちが成長してきた今、身近にあんな環境があったらなあ、とつくづく思います。
もっとも梅雨時はカビが出たり、洗濯物が乾きにくかったりして困ることもおおかったけど。ベランダでは、両手を広げたくらいのムカデや、クモなんかもお目にかかることがあったので、虫ギライのひとはだめでしょうけど。
別荘地風の、新築のマンションのに住めたのはたった1年だけ。
とおたんは、「あの頃が一番しごとのってたなあ」とときどき感慨深そうにつぶやきます。
私は、激務の仕事につかれて、帰り道にいつも森のフィトンチットに癒されてました。雨上がりが、一番森の生命力を感じました。
とても懐かしい思い出です。
いつか家族で出かけてみたい。
ふいに、昔の思い出にタイムスリップ、引きこまれた朝のひとときでした。
きっとはるちゃんたちは遊びに来ると自然いっぱいの環境に大興奮なんでしょうね。
目に浮かぶようです。
かくいう私も、バッタとりと、トンボとりと、ザリガニトリが大好きな自然児でした。
わが子にもあの感動を再び・・・と願います。
ですから都会のコンクリートの中では絶対住めないでしょうね。
今住んでいる所は周りに住宅が張り付いていますが少し足を伸ばすと
自然が残された空間が沢山ありますので生き抜き出来ます。
中々共生は難しいですが子供の時は沢山自然に触れて育って欲しい私の願いです。
不便さもあるでしょうが、それにも代え難いものがあるような気もします。
感受性・・・それって、現代社会の子供たちに失われつつあるもののひとつかもしれませんね。
自然の息吹を感じながら子育てできたらどんなに素敵でしょうね。ただ、わたしも蚊やゴキだけは苦手です。共生も、うーん、難しいものなんですよね。
快適さと利便性を追求した、都市のコンクリートでは
絶対に味わえない自然ってありますね。
仰るような雨上がりの土の匂い、夏草を刈り取った時の蒸せるような蒼い香り、落ち葉を掃き寄せて燃やす煙の匂い…etc,
こういう環境で育った子供は、感受性は絶対に「都会派」よりも豊かに育つと思います。
「akiの母」さんが懐かしんでおられる環境は、そっくり我が家にあります!(贅沢な事なのでしょうね)
でも、住むとなると掃除や何やらと…結構大変なのもありますね。