ぺるちえ覚書

兎追いしかの山… 懐かしい古里の思い出や家族のこと、日々の感想を、和文と仏文で綴ります。

日記 2023年10月1日

2023-10-01 23:20:13 | 日記/覚え書き
この夏休みの帰省を日記に書き起こそうと思い立ったのに、なかなか机に向かう時間が作れない。日々の雑用をこなすだけで一日があっという間に終わってしまう。本当に、時間の流れるスピードがどんどん早くなっているのかも知れない。

この夏に読んで素晴らしかった「犬が星見た」の著者、武田百合子さんの「富士日記」下巻を読み直し始めた。上・中巻は何年か前に完読したけど、下巻はまだ最後まで読み切っていなかった。「犬が星見た」のロシア旅行がちょうど「富士日記」下巻の始めの時期に当たるから、クロノロジックな読書の順序としては正しいことになる。

百合子さんの文章にはまったく贅肉がない。何に対してもストレートで正直で、人間味に溢れていて、それでいてあちこちにキラキラと輝くポエジーがある。そして文句を言う時でさえ、その眼差は全てを包み込む愛情に溢れている。そんな「私」の立ち位置は素晴らしく、その人となりにはただ憧れるしかない。百合子さんの日記を読むと、今更ながら明治大正生まれの日本人のスケールの大きさ、奥行きの深さ、その知性や感性の豊かさに、それ以降の日本人(私達)との大きな差を感じずにはいられない。きっと、全てを失うような傷を負ってからそれをひとり乗り越えて逞しく生き抜いた人たちは、強く、大きく、おおらかで、どこまでも深く優しいのだ。それに戦後教育。結局、甘やかされて育った戦後世代はみな小粒でせちがらい気がする。

以下はこの夏の日記の続き。


7月14日(金)
今日はお昼過ぎに二人の叔母たちも実家に集まって、午後からお寺さんがお盆のお経をあげに来てくれる予定。起きてすぐに布団を片付け、神棚と仏壇を簡単に掃除して仏間を整える。お盛りものは叔母たちが持って来てくれると言うので、私は買い物に出たついでに仏壇用の花だけ買う。

買い物から戻ると叔母たちが到着していた。お盛りものの他にお昼用のサンドイッチやおにぎり、ジュース類なども買って持って来てくれる。皆で軽食後、隣に住む上の弟もやって来てお寺さんの若住職を迎える。外が暑いから冷たいお茶をお出ししてから、読経。

上の叔母と一緒に来ていた叔父は仏間の読経には参列せず、すぐ横の居間のソファーに座って待っていたのだけれど、お寺さんが帰ってから不思議なことを言った。「さっき突然、ずいぶん騒がしくバタバタと大勢が、列になった7、8人、入って来たけど、アレは何だったの?男性ばかりで、制服のようにみな白いふわふわした服装だった」とのこと。お経を聴きながら叔父は寝ぼけて夢を見ていたのだろうか?

夕食は実家で店屋物をとって皆で食べる。


7月15日(土)
母の身の回りの整理の手伝いを再開する。古いチラシ、雑誌、いらない書類や郵便物はシュレッダーにかけて、捨てる。使い切れずに溜まっている定期購買品に電話して断る。掃除道具や洗剤、整理用ファイルなど、必要なものを買いに行く。夕食の買い物も済ます。

弟たちがすぐそばに住んでいるとは言え、やはり母は独り住まいが気楽なのだ。あまり他所の人に家の中に居られることは好まないタイプ。娘の私も同じだからよく分かる。正直、同じ女でかつ自分の娘だからこそ気軽に、何の遠慮もなく頼めることが色々あるのは当たり前。淡々と作業を続ける。こうして母の手伝いをできるのが嬉しい。ありがたい。コロキチのせいで父の時には出来なかったこと。

息子には多分まだそんな私の気持ちは分からないから、ただ称賛の目で見ている。いつか分かる時が来るかも?来ないかも?どちらにしても一緒にいてくれてありがとう。


続きはまた次回。


日記 2023年9月14日

2023-09-14 23:01:45 | 日記/覚え書き
この夏、3年ぶりに帰省していた日本から8月24日パリに戻った。戻ってからは、9月からグランゼコール予科生となった息子の下宿のことやなんやらでバタバタと時間が過ぎてしまった。高校を卒業した息子がまかりなりにも家を離れて(毎週末、洗濯物を持って帰ってくるけど!)これでまた人生の一段落かな、と。ひとつの転期を感じる。不器用で一度に一つのことしかできないモノタッシュな自分としては、これからまた何をするか真剣に考えないと生けないなと思う。ブログもやり掛けでしばらく書いていなかった!ひとまず、後からになるけど、この夏からの日記を付けてみようと決める。(実はこの夏、ずいぶん前にネットで注文して実家に届いていた「富士日記」の武田百合子さんのロシア紀行記「犬が星見た」を読んだので、その影響は大。)


7月12日(水)
今日から息子と二人で、私は3年ぶり、息子は4年ぶりに日本に帰省。朝9時40分CDG発のAF羽田便で浜町の実家に向かう。今朝ちょうど同じくCDG空港から出張に出る夫が車で一緒に送ってくれる。

飛行機運賃はコロナ禍前の2倍なのに、エコノミークラスの機内は満席。3人がけの私の隣は一人は40歳もう一人は24歳だと言う、いずれも北アフリカ系フランス人男性の二人連れ。マルセイユからコロニードヴァカンス(サマーキャンプ)で2打ほどの15歳を引率するモニター(引率者)とのこと。彼らの後ろの席には賑やかな青年や娘さん達のグループが座っていた。フランスから日本にサマーキャンプに来るなんて贅沢な!と驚く。

飛行機の離陸が20分ほど遅れる。機内に閉じ込められたまま、みな大人しく座って待っている。飛んでからも後ろの方の席なので飲食のサービスもなかなか来ない。私はベジタリアンミールなので一人だけ早く来てしまうが、遠慮せずにさっさと食べてしまう。

モニターの彼らは海外旅行は初めての様子で、入国手続きの書類の書き方がわからず聞いてくる。現地では通訳の人が待っているの?と聞くと「いない」と言う。日本は安全でみな親切だから通訳はいらないと言われたとのこと。

到着まで映画を3〜4本みて少し眠る。スピルバーグが映画監督になる原体験を描いた自伝的作品「フェイブルマンズ」がとてもよかった。流石。


7月13日(木)
予定時刻を少し遅れて朝6時過ぎに羽田に到着する。羽田まで都営浅草線が乗り入れているから地下鉄で東日本橋へ。時間調整も兼ねて、実家に戻る前に駅のそばのドトールでコーヒーとチーズトースト(私)、焼肉サンドイッチ(息子)の朝食を取り直す。近くに酵母パンのパン屋を見つけて、出発前に頼まれていた母の朝食用のパンを買う。

実家に着くと母はまだベッドの上で休んでいた。なんだかまた小さく萎んで青白く、弱々しくなったように感じる。パリのロックダウンが解けた直後、コロナ禍初期の3年前、父危篤の知らせでようやくの思いで帰省した初日に見た、あの時の母と同じ印象。あの時は2ヶ月ほど毎日一緒に暮らしたらずいぶん生気が戻って「あなたのせいで太ったわ」と怒られた。もっと簡単にちょくちょく帰って来れなくて申し訳なく感じる。時間と共に誰も若返りはしないんだから。

家の中は郵便物、小包、広告、雑誌、メモ、食べかけの菓子、その他もろもろがあちこちに置かれ、サロンにある大きな食卓テーブルも3分の2が雑雑と埋まったままになっている。玄関や部屋の隅々には届けられた様々なサプリや化粧品の箱が山積み。それも同じ箱がいくつもある。部屋の様子が前回の帰省時と比べても母がさらに弱ってきていることを如実に物語っていた。とりあえず整理を始める。息子も布団出しなど手伝ってくれる。母に聞きながら息子の布団、父の部屋だった寝室に、私の布団、仏間に敷いてくれる。助かる。


今日はこれくらいで。
続きはまた次回。

写真は昨日の散歩、ヌイイのラ・ジャット島から見たセーヌ川。

ひとこと日記から

2023-04-16 17:24:00 | 日記/覚え書き

202176

50年も曲がって育ってしまった木は、いまさら真っ直ぐに直ることはできません。曲がって育ってしまったのは、生えた場所がいびつに歪んでいたからかも知れませんし、成長する間に嵐や落雷、事故や人為で折り曲げられてしまったのかも知れません。いずれにせよ、曲がって出来上がってしまった今の姿を素直に受け入れて、その形で最善の「味のある木」となるしかありません。ふと、足元を見れば小さな木の芽がたくさん芽吹いています。未来のために、それらが真っ直ぐな若木と育ち、林となり、森となっていくように、大地を整え守っていくことは、曲がって育ってしまった木々にもできるかも知れません。礎となる大地を整えるためには、謙虚に歴史を学ぶことが大切だと感じます。歴史を学ぶことは「過去を引き摺ること」ではありません。曲がってしまったのを「誰かのせい」にするのは意味のないことだから。でも謙虚に真心で歴史を学べば、より良い未来への方向が照らし出されて来ると思うのです。いまある自分をありがたく受け入れて、明るい未来を目指して、一歩一歩大切に、楽しく進んで生きます。全てのご縁に感謝です今日も ありがとう御座います。


ひとこと日記から

2023-04-15 11:58:00 | 日記/覚え書き

2018.12.29.

今朝、どんな人生だっていいじゃないか。とリンゴの皮を剥きながら思った。人生80年、がんばったって100年足らず。星の一生とくらべても瞬きにだってなりゃしない。どんな人生だっていいじゃないか。 

昔の覚者は真理とは「なにも生まれず なにも死せず なにも変わりなどしない」と言ったそうだけど。蝶の見ている夢でもいいじゃないか。今この人生という一瞬のドラマを、今ここに存在しているという奇跡を満喫しよう。生きているということが感動的なのだ。どんな人生だってかまいやしないよ。

生きろ、生きろ、生きろ。

そしてここでの最後の瞬間に、兎も角(色々あったけど)よかった、と思えたら最高だね。


「フランス語創作書き方講座」、その後。

2021-06-14 16:46:57 | 日記/覚え書き

2021年は私にとって在仏ン十年目にして初めて訪れた、フランス現代文学への開眼の年でした。


2020年11月初頭、コロナ禍で会えないままだった父の訃報がとうとう実家から届き、パリの家族に留守を頼んで単独で帰省した東京。理解ある家族のお陰で2ヶ月ちょっともの間を実家の母とゆっくり過ごすことができ、年明けの2021年1月8日にパリに戻りました。その日ドゴール空港まで迎えに来てくれた夫の車のラジオから流れてきた番組で話題になっていたのが、前日の7日にフランスで発売され衝撃の大ベストセラーとなったノンフィクション作品「La familia grande。「この本の評判聞いた?東京でも話題になっていたでしょ?」と夫。日本で翻訳版が出版されたのなら兎も角、フランスの出版物が日本で話題になるはずないじゃない!と、いつもの事ながら夫の純フランコ・フランセ振りには苦笑。翌日、近所のスーパー、モノプリに買い物に行くと、話題の「ラ・ファミリア・グランデ」はここでも書籍コーナーに平積みに。フランスの書店で新刊書籍を手に取って買って読もうと思うことなど滅多に無いのですが、「これか〜」と珍しく手に取り購入しました。


前回で詳しくお話ししましたが、著者のカミーユ・クシュネルさんは国境なき医師団の設立者でもあるベルナール・クシュネル氏の娘さん。本は彼女の義父(母親の再婚相手)で政界や知識人界にも多大な影響力を持っていた政治学者のオリヴィエ・デュアメル氏による彼女の双子の弟への性的虐待の告発本でした。従来なら揉み消されてしまうようなフランスの上流社会での恥ずべき出来事の告発であり、彼女の勇気は並大抵のものではなく、この本の出版が社会に及ぼした波紋は大きかったようです。


普段、現地語の新刊本は如何せん買っても最後まで読み終わらないことが多いいのですが、時代背景も自分の子供時代と重なる部分があり、子供の視線で語られた複雑な家族の物語は個人的にも心に響くものがあって、あっという間に読み終わりました。物語の内容も場所もドラマも全く自分とは関係がありませんが、ひとりの女性によって語られたある家族の物語には、その時の私の心境と共鳴するものがありました。


それからしばらくして、パリのママ友さんからたまたま「パリ市講座の申し込み期限が伸びたよ!」と教えて頂いたご縁で、それじゃあとダメ元で「外国人向けフランス語創作書き方講座」に申し込んだのでした。同年3月3日にあった面接試験に運よく合格。その折に先生からご示唆頂いたマルグリット・デュラス・ワールドにどっぷりとはまり込んでしまい、その大航海はいまも継続中です。


そして3月10日から始まった授業では、毎回何人かのフランス現代作家の作品の抜粋を読み、それを模して書いてみるというプロセスで、今までぜんぜん知らなかった現代フランス文学の世界に触れることができました。チャーミングでステキな先生に感謝です。


毎回の授業が楽しみで、3ヶ月の講座期間は本当にあっと言う間に過ぎてしまいました。自分の娘か息子くらいの若いクラスメートと一緒に勉強できたのもスゴクいい刺激でした(笑)。


イギリス、ギリシャ、スペイン、メキシコ、コロンビア、チリ、アルゼンチン、ブラジル、台湾、イスラエル、ラトビア… 世界各国からパリに集まったクラスメート達。最初の生徒数は20名ほどでしたが、最後まで毎回出席していたのは1015人。人類学や文学の研究に来ている学校の先生や研究者、映画関係の勉強や仕事をしている人などが多く、老いも若きもクリエイティブでとても素敵なメンバーでした。


クラスの全員が講座期間中に一度、自分の好きな一冊、作家を皆に紹介すると言う宿題があったのですが、アルゼンチン人のクラスメートが紹介してくれた、80歳になって初めて日の目を見たという彼女の国の女性作家の話には沢山の勇気を貰いました(笑)。


そう、人生はチャレンジ。最後まで自分を信じて精一杯生き続けること!人生の最後まで学び続け、作り続けられたら、これ以上の幸せはないだろう!とつくづく思いました。もちろん、愛する家族との幸せも✨


今日も全てのご縁に、お陰さまに感謝いたします。


これからは少しずつフランス語でも文章を書いていこうと挑戦中。ン十の手習い!でも80まではまだまだあるし、私も最後まで頑張ります(笑) 


皆さま、どうぞご自愛ください。