こんにちは、司法書士・ペット相続士の金城です。
私が尊敬する人物のひとりに西郷隆盛(西郷南洲)がいます。
西郷さんの犬好きは有名な話ですが、今回はその話をします。
西郷さんは明治維新最大の功労者であり、明治新政府のトップの座にあった人ですから、西郷さんに賄賂を贈ろうとする人が絶えなかったといいます。
しかし、西郷さんは決して賄賂を受け取らなかったそうです。
西郷さんは、私腹を肥やすような汚職政治家とは正反対の人物でした。
でも、大の犬好きだった西郷さんは、「犬の絵」だけは快く受け取ったそうです。
西郷さんが明治新政府を辞職して東京から去ったとき、西郷さんが住んでいた東京の屋敷には、「長持(ながもち)」いっぱいに詰まった犬の絵が残されていたそうです。
「長持」とは、衣類等を収納する長方形の箱で、幅と高さが60㎝ほど、長さが150㎝ほどの昔の家具の一種です。
明治新政府を辞職して鹿児島に帰郷した西郷さんは、後に、薩摩士族に担ぎ上げられて西南戦争(西南の役)を起こすことになります。
西南戦争の際も、犬好きだった西郷さんは犬2頭を連れていたそうです。
激戦の末に薩摩軍の敗色が濃くなったとき、西郷さんは薩摩軍の解散を決意します。
このとき、西郷さんは、2頭の愛犬の首輪を外して、犬を野に放ちます。
放たれた犬のうち一頭は敵方の警視隊巡査に保護され、もう一頭は、西郷さんの実弟である西郷従道(つぐみち)に引き取られたとのことです。
江戸時代は、個人で犬を飼っているというケースは稀で、野良犬がそこら辺をウロウロしている時代だったようです。
邪魔だという理由で追い払われたり、虐待されることもしばしばで、犬にとっては受難の時代だったようです。
明治時代になっても、飼主不明の犬は容赦なく殺されたり、追い払われたりしたようで、現代からは想像も付かないほど酷い扱いを受けていたようです。
そのような時代に明治維新を成し遂げ、東京に居を構えていた西郷さんは、そんな可哀そうな犬たちを集めて屋敷の中で飼っていたようです。
多いときには西郷屋敷に数十匹もの犬がいたといいますから、西郷さんの屋敷は、今でいう動物愛護団体の施設のようになっていたのかも知れません。
西郷さんが動物愛護団体の施設長といったところでしょうか。
西郷さんといえば「敬天愛人」という言葉が有名ですが、人を愛し、そして、犬を愛した偉大な人物でした。
もし西郷さんが現代に生まれていたら、動物愛護団体を設立していたかも知れませんね。
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