そらのほん

空、陽の光、緑、柴犬など、毎日違う表情を見せる、身の回りのきれいなものを載せています。

久々に、まじめな犬話

2013-02-06 21:09:09 | 柴犬のこてつ


雨が上がったので散歩に行った

風が冷たかったけど、春の気配がして嬉しかった

相変わらず、こてつの「警戒解除」の練習は続けている

果てしなくてもう嫌になることもたびたび

飼い主もほめてくれ!と思ったこともたびたび

ああ、またほえてる、とイライラすることもたびたび


そんななか、ふと気がついて、やり始めたことがあるの

この前の心理学セミナーで学んだ、プラスストローク

こてつにプラスの声をかけてあげるの

だって、子犬のときに「お前はほんとにいい子だね。かわいいね」って言ったら、ほんとに可愛くて、よその人にもいい顔って言われるようになったし

人間も、犬も、ストロークが必要なの、プラスの。

吠えないで!って気持ちじゃなくて、こんな気持ちでこてつに教えてあげたら良いんだ

「どうぞこてつのこころが安心でいっぱいになって、立派な成犬になりますように。あんまりたくさん吠えなくても大丈夫になりますように」

これだ!と思って、

こてつがゆったりする食事直後に(いつも擦り寄ってくるから)たくさんなでて、そう言ってあげている

今日は佐川さんが宅急便を持ってきても2回しか吠えなかった

まあ偶然かもしんないけど

でも、無視しないでちゃんと気持ちを向けてあげると、やっぱりかわってくる

穏かだ

心の中が安心で満たされて、しっかり自立した犬に育ててあげたい

それから、自分自身にも、毎日たっぷりのプラスストロークを

だんなさんにも、プラスストロークを


もちろん、警戒解除の練習は続けている



犬とケンカしてわかったこと

2012-11-05 14:53:16 | 柴犬のこてつ
先週の私は、こてつにかまれてばかりだった、しかもマジ噛み。かなり痛くて、いらっとする。
こてつはじぶんのいやなことをされたら、怒って噛む。首輪を強くひっぱりすぎたとき、分けわからずにおもちゃを取り上げられたとき、ご褒美をくれなかったとき。
今まであんまりそんなことなかったのに。

怒るのは正当だし、自己表現できるから、こては大人になってきたってことかも。

でも、絶対に人を噛んではいけないって、教えなきゃならない。

私はいつも方程式とか因数分解のようにものを考えていくのだけど、こんな風に思ったの。

こてつは自我があるからかむ

いつもこてのお世話してるのに、何で私の言うことをきいてくれないの!

他者のためにやることって、ほぼ100パーセント見返りは期待できないんじゃないの

①私の意識が自分でなく他者に向いている
②こてに自我があるように、私にも自我がある
 じゃあ、お互いの自我を尊重だ

自我
↓こては(年齢的にも)思春期なんかな

じゃあ、おやばなれ、こばなれのときかなあ

自我がでてくるってことは、そのこが成長して、自分の意思を持って生きていく(生きている)という気持ちが芽生えてくること

もう仔犬の時みたいに、可愛い♥だけじゃいけないってことで。
こてが出来ない事(ごはんの用意、シャンプー、糞をかたづけるとか)はしないといけないけど、一匹の成犬として尊重しなきゃいけない

ゆうことを聞かせる、から、何のためにそれをさせるのかをよく考える、に、シフトしなきゃ。

自分のゆうことをきかせて(そして優越感)のために「フセ」を教えるのか、ドッグカフェに行って、お互いに気持ちよく過ごせるためにおしえるのか
そういう自覚、ひつようじゃん

正直に、自分のゆうことをきいてくれるこてがかわいいとおもっていた部分もあって、そういう自分も否定しないし、本心で。

そういう時期があったからこそ、こての「おや」として、次に何を私はしないといけないのかを、自分でわかって、良かった。
ずっとこてにべったり、こてもべったりの時期も楽しかったし、可愛かったけど、ずっとその時期が続くのではなくて、互いに自立する時期が来ること、それがわかることが、私はとても嬉しかった。

わかるだけで終らせたくない。

噛んではいけないよ
でも私もこてがおこるようなことをしていないか気をつけて。
そして、こてにはこての、私にはわたしの双方の意思があることが大切だ。
こてにべったりの時期があったからこその次のシーズンで、何も間違いも失敗もない。

そして昨日はこての大好きな「タオル引っ張りっこ」をしてあそんだ。こては嬉しくて、う~う~と唸って引っ張ってきた
目がキラキラしてる

ほら、自分のゆうことを聞いてくれるこてじゃなくても、こてはこてのままで十分可愛いでしょ!

かくして、わたしとこてのハネムーンは終了した。
こては、こてだけど、一匹の犬に戻った。
それは私の視界をすっきりさせて、より幸せな気持ちで、こてと時間を共有できる。

ほら、思い出して。
もともと犬は苦手。生き物を飼うのも苦手。触るのもちょっとごめん、だったじゃん。
別にそれでいいんだって。そんな私のままで、全然いいんだって。

いい人でなくていいから、私は私の自我を、手放したくない。

小さい頃から、正当な理由もなく「お前は我が強すぎる」「自分の意見を言いすぎだ」と大人たちから言われてきて、自分でよく考える余裕もなく、「自分の意見は言ってはいけないんだ。いい子にしないと嫌われてしまう」
と思っていたけど

自我を手放しちゃったら、「こてつはなんで私のいう事を聞かないの!毎日お世話してるのに」

あらあら、なんてこと。すっかり自分じゃない誰かに入り込んでしまっていた。

噛まれたら腹も立つ。言うことをきいてほしい。優越感だってある。
それでも更にお互いのよりハッピーな関係を目指して行きたい。

それにはお互いの自我を尊重することが欠かせなくて、そうなったら、お互いに自立するしかない。

それって、自分の意見を言わないようにすることより、ずっと素敵じゃないか!私にとって。

日本人は、自分のことを自分でほめたり認めたりしない文化だと思うけど、そういうのは敬遠されてるけど、本とはすごく大切なことだと思う。

自分は世界にたったひとりしかいないのに、それを差し置いて、恋人とか、ペットとか、何か他のものにのめりこんで、自分を置いてけぼりにしたら、それはやはり自分の心は悲しむだろう。悲しいから更にのめりこんじゃって、どうしようもなくさみしくなって、そこには相手の、そして自分の、自我は何にもなくなって
つらいよね。

だから愛されたいって願う歌やお話が多いのかしら。
でもそれはだれに?
って、考えたこともなかったけど
じっくり考えたらそのからくりはこんなふうだとわかった。

自分のこと、ちゃんと見て、ちゃんとほめて、育てて、たっぷり愛したら、どれもこれも愛しくなるね。だんなさんも、犬も、友達も。

そしたら「こてつは何でいう事聞かないの!こんなに世話してるのに」なんて、思う暇もないね。(笑)


何で、犬一匹にそこまで考えるの、って思う人もいるかも知れない。
私も時々そう思う。
でも、犬は犬だけど、犬は生き物でもあって、自分の暮らしに新しい生き物が加わるということは、やっぱりこういう風に、いろんなことがおこって、考えて、気付いて、新陳代謝がおきて行くものだろうって、私は思う。
きっとそれは、恋人が出来たとき、新しい友達が出来たとき、結婚したとき、いつか子どもが生まれたとき、ぜんぶ同じことなんだろうって、思えるのだ。










こてつと見るそらはきれいだね。

こてつと歩く

2012-08-11 21:44:18 | 柴犬のこてつ










今日もドッグスクールに行った
今日は、犬のリードを放して、犬をほったらかしてぷいっと歩いて行っちゃうという実技をした
そこで飼い主についてこないのは、犬が「何があっても絶対飼い主は自分から離れない、いなくならない」と思っているからで、飼い主と犬の関係が逆転していて、問題行動を起す(吠えたらきてくれるとか)原因だし、好ましい関係が出来ていないということだった。目からうろこの、逆転の発想だった。かわいい、かわいい、で、私たちは、こてつの”親”のはずが、こてつに”飼われていないだろうか” ドキドキした。
そしてまたあのいつもの不安が持ち上がった
私とだんなさんもそうなのではないか。
ちゃんと自立し合えているかな?
私はだんなさんの”おかあさん”になっていないか?
私は自分のことは自分で決められているのかな?

泣きそうになった

何度もなんども現れるテーマ

そんなことはお構いなくレッスンは進む

「じゃあ、ご夫婦2人で、こてつくんをみないで歩いてください」
とトレーナーさんが言って、私たちはリードを放して2人で笑ったり喋ったりしながら、すたすた歩いた。



こてつはついてきた



びっくりした



「いい信頼関係が出来てますね。上手に育ててますね」
とトレーナーさんが言った

ううん、上手に育てたんじゃない。こてつが上手に育ってくれたんだ。
だんなさんが、たっぷりの愛情をこてつに注いでくれてるからだ

そりゃあ、こてつが来たばかりの頃は、価値観の違いがあらわになって大きなケンカもしたもんだ。育て方がわからず、こてつにいやな思いをたくさんさせただろう

でも今、理由はわからないけど、私たちはとても穏かに、幸せな気持ちで暮らしている。こてつの表情を見たらすぐにわかる。
疲れてイライラしても、悲しいことがあっても、喜びと同じくらい、全部込みで、生きてることが大切で愛おしい

私は今日初めてこてつが来てくれたわけがわかった気がした
こてつが来る頃から、現れるメッセージは、たった一つだ


生きることを信じて大丈夫。


それがいろんなことにつながって、ひとつのかたちになっていく

私がずっとほしかったものは
実はもうここにあって、
今日それに気がついた

かたちが違うからわからなかったが
そうではない
やっと違う角度から見る視点を

教えてくれたのは

こてつだったのかな?

私の人生に何度か現れる、素敵な”神様”、勤めてるカフェのお客様だったり、自動車学校の先生だったりした。

今回はこてつだったのかな?


だとしたら

これはなんて素敵なプレゼントなんだろう!!

だって

まだまだ
3人の暮らしは続いていくのだから。

ありがとう


ドッグスクール

2012-07-21 21:41:10 | 柴犬のこてつ
今日はドッグスクールの日。

こてつは車の移動もへっちゃらで、いつも楽しそうにしている

風を受けて、サーファー犬みたい

かわいい表情をいくつも見せてくれる

岐阜までの、3人の楽しいドライブ。


スクールでは、最初に犬と暮らして行く為の勉強があり、その後実技がある

スクールに通い始めて、私たちはたくさん犬のことを知れたし、こてつは私たちと楽しく暮らすことを、少しずつ理解していってくれたと思う。

お座りも出来るようになったし、散歩の途中で他のわんことすれ違っても吠えたりしないで上手にすれ違ったり出来るようになった。

今日のトレーナーさんの言葉はとても印象的だった

”犬を飼う前に、どんなに犬についてたくさん勉強しても、きっと今いる犬と同じような子が来ると思う。自分たちに必要な課題を教えてくれるためにそのこが来てくれてる。意味があって今の子が一緒にいる。”

というような内容だった。


私はその言葉を何の違和感もなく聞いていた。

そうだと思えたからだ。


そしてトレーナーさんの言葉を自分に照らし合わせて考えてみた。

こてつは、私に、だんなさんにこんなことを教えてくれているのかな。

大好きな人を信頼すること

大好きな人でも、自分と相手は違う人間だということ、だから全部分かり合えなくても何も心配しなくていいこと、相手の気持ちは相手のものとして尊重し、その上でもちゃんと手をつないでいけること

人生は、楽しくて大丈夫なものだ、と信頼し、安心して、大切に楽しく生きること

そういうことじゃないのかと、すぐに思った

言葉で書くと難しいね

でも求められていることは、とてもシンプルで、あたたかいものだ


好きだと思うほどわかってほしいって思ってしまう人の心のからくり

でも、その人を「わかる」ことは出来ないのだ
自分をわかるのは、自分しかいないから
だれも自分の思うとおりに相手をすることは出来ない
広い広い宇宙の中で、私もあなたも、実は一人ぼっちでうかんでいる

いのちって、つきつめたら「ひとりぼっち」なんだ

それを知るとさみしくなる

だから「わかってほしい」って、おもってしまうのかな


でも、わかってほしい、を少し置いて、どんな人なのかな、今何を伝えたいのかな、と思うと

あっという間に世界は輝きだして、心はぐーーーっと近づける
その瞬間だって、「ひとりぼっち」なことには変わらないのに

さみしさよりも、今生きてることがキラキラしていて、宇宙と心はつながって、こころは満ち足りるんだ

そんなパラドクス

私とだんなさんが、本質的に「自立」して「手をつなぐ」こと、それがもう出来るよ、ということを、

ちいさなやんちゃ犬こてつは

知らせてくれてる

そして

生きることに、毎日の積み重ねに、

もっと安心して信頼を寄せて

心を開放して生きればいいって

言ってくれてる


だんなさんは、
トレーナーさんの話を聞いて
どうおもったかな


本当に今日は
朝からずっと楽しかった

幸せ気分でいっぱいだ

ありがとう