先週の私は、こてつにかまれてばかりだった、しかもマジ噛み。かなり痛くて、いらっとする。
こてつはじぶんのいやなことをされたら、怒って噛む。首輪を強くひっぱりすぎたとき、分けわからずにおもちゃを取り上げられたとき、ご褒美をくれなかったとき。
今まであんまりそんなことなかったのに。
怒るのは正当だし、自己表現できるから、こては大人になってきたってことかも。
でも、絶対に人を噛んではいけないって、教えなきゃならない。
私はいつも方程式とか因数分解のようにものを考えていくのだけど、こんな風に思ったの。
こてつは自我があるからかむ
↓
いつもこてのお世話してるのに、何で私の言うことをきいてくれないの!
↓
他者のためにやることって、ほぼ100パーセント見返りは期待できないんじゃないの
↓
①私の意識が自分でなく他者に向いている
②こてに自我があるように、私にも自我がある
じゃあ、お互いの自我を尊重だ
自我
↓こては(年齢的にも)思春期なんかな
↓
じゃあ、おやばなれ、こばなれのときかなあ
自我がでてくるってことは、そのこが成長して、自分の意思を持って生きていく(生きている)という気持ちが芽生えてくること
↓
もう仔犬の時みたいに、可愛い♥だけじゃいけないってことで。
こてが出来ない事(ごはんの用意、シャンプー、糞をかたづけるとか)はしないといけないけど、一匹の成犬として尊重しなきゃいけない
↓
ゆうことを聞かせる、から、何のためにそれをさせるのかをよく考える、に、シフトしなきゃ。
↓
自分のゆうことをきかせて(そして優越感)のために「フセ」を教えるのか、ドッグカフェに行って、お互いに気持ちよく過ごせるためにおしえるのか
そういう自覚、ひつようじゃん
正直に、自分のゆうことをきいてくれるこてがかわいいとおもっていた部分もあって、そういう自分も否定しないし、本心で。
そういう時期があったからこそ、こての「おや」として、次に何を私はしないといけないのかを、自分でわかって、良かった。
ずっとこてにべったり、こてもべったりの時期も楽しかったし、可愛かったけど、ずっとその時期が続くのではなくて、互いに自立する時期が来ること、それがわかることが、私はとても嬉しかった。
わかるだけで終らせたくない。
噛んではいけないよ
でも私もこてがおこるようなことをしていないか気をつけて。
そして、こてにはこての、私にはわたしの双方の意思があることが大切だ。
こてにべったりの時期があったからこその次のシーズンで、何も間違いも失敗もない。
そして昨日はこての大好きな「タオル引っ張りっこ」をしてあそんだ。こては嬉しくて、う~う~と唸って引っ張ってきた
目がキラキラしてる
ほら、自分のゆうことを聞いてくれるこてじゃなくても、こてはこてのままで十分可愛いでしょ!
かくして、わたしとこてのハネムーンは終了した。
こては、こてだけど、一匹の犬に戻った。
それは私の視界をすっきりさせて、より幸せな気持ちで、こてと時間を共有できる。
ほら、思い出して。
もともと犬は苦手。生き物を飼うのも苦手。触るのもちょっとごめん、だったじゃん。
別にそれでいいんだって。そんな私のままで、全然いいんだって。
いい人でなくていいから、私は私の自我を、手放したくない。
小さい頃から、正当な理由もなく「お前は我が強すぎる」「自分の意見を言いすぎだ」と大人たちから言われてきて、自分でよく考える余裕もなく、「自分の意見は言ってはいけないんだ。いい子にしないと嫌われてしまう」
と思っていたけど
自我を手放しちゃったら、「こてつはなんで私のいう事を聞かないの!毎日お世話してるのに」
あらあら、なんてこと。すっかり自分じゃない誰かに入り込んでしまっていた。
噛まれたら腹も立つ。言うことをきいてほしい。優越感だってある。
それでも更にお互いのよりハッピーな関係を目指して行きたい。
それにはお互いの自我を尊重することが欠かせなくて、そうなったら、お互いに自立するしかない。
それって、自分の意見を言わないようにすることより、ずっと素敵じゃないか!私にとって。
日本人は、自分のことを自分でほめたり認めたりしない文化だと思うけど、そういうのは敬遠されてるけど、本とはすごく大切なことだと思う。
自分は世界にたったひとりしかいないのに、それを差し置いて、恋人とか、ペットとか、何か他のものにのめりこんで、自分を置いてけぼりにしたら、それはやはり自分の心は悲しむだろう。悲しいから更にのめりこんじゃって、どうしようもなくさみしくなって、そこには相手の、そして自分の、自我は何にもなくなって
つらいよね。
だから愛されたいって願う歌やお話が多いのかしら。
でもそれはだれに?
って、考えたこともなかったけど
じっくり考えたらそのからくりはこんなふうだとわかった。
自分のこと、ちゃんと見て、ちゃんとほめて、育てて、たっぷり愛したら、どれもこれも愛しくなるね。だんなさんも、犬も、友達も。
そしたら「こてつは何でいう事聞かないの!こんなに世話してるのに」なんて、思う暇もないね。(笑)
何で、犬一匹にそこまで考えるの、って思う人もいるかも知れない。
私も時々そう思う。
でも、犬は犬だけど、犬は生き物でもあって、自分の暮らしに新しい生き物が加わるということは、やっぱりこういう風に、いろんなことがおこって、考えて、気付いて、新陳代謝がおきて行くものだろうって、私は思う。
きっとそれは、恋人が出来たとき、新しい友達が出来たとき、結婚したとき、いつか子どもが生まれたとき、ぜんぶ同じことなんだろうって、思えるのだ。
こてつと見るそらはきれいだね。
こてつはじぶんのいやなことをされたら、怒って噛む。首輪を強くひっぱりすぎたとき、分けわからずにおもちゃを取り上げられたとき、ご褒美をくれなかったとき。
今まであんまりそんなことなかったのに。
怒るのは正当だし、自己表現できるから、こては大人になってきたってことかも。
でも、絶対に人を噛んではいけないって、教えなきゃならない。
私はいつも方程式とか因数分解のようにものを考えていくのだけど、こんな風に思ったの。
こてつは自我があるからかむ
↓
いつもこてのお世話してるのに、何で私の言うことをきいてくれないの!
↓
他者のためにやることって、ほぼ100パーセント見返りは期待できないんじゃないの
↓
①私の意識が自分でなく他者に向いている
②こてに自我があるように、私にも自我がある
じゃあ、お互いの自我を尊重だ
自我
↓こては(年齢的にも)思春期なんかな
↓
じゃあ、おやばなれ、こばなれのときかなあ
自我がでてくるってことは、そのこが成長して、自分の意思を持って生きていく(生きている)という気持ちが芽生えてくること
↓
もう仔犬の時みたいに、可愛い♥だけじゃいけないってことで。
こてが出来ない事(ごはんの用意、シャンプー、糞をかたづけるとか)はしないといけないけど、一匹の成犬として尊重しなきゃいけない
↓
ゆうことを聞かせる、から、何のためにそれをさせるのかをよく考える、に、シフトしなきゃ。
↓
自分のゆうことをきかせて(そして優越感)のために「フセ」を教えるのか、ドッグカフェに行って、お互いに気持ちよく過ごせるためにおしえるのか
そういう自覚、ひつようじゃん
正直に、自分のゆうことをきいてくれるこてがかわいいとおもっていた部分もあって、そういう自分も否定しないし、本心で。
そういう時期があったからこそ、こての「おや」として、次に何を私はしないといけないのかを、自分でわかって、良かった。
ずっとこてにべったり、こてもべったりの時期も楽しかったし、可愛かったけど、ずっとその時期が続くのではなくて、互いに自立する時期が来ること、それがわかることが、私はとても嬉しかった。
わかるだけで終らせたくない。
噛んではいけないよ
でも私もこてがおこるようなことをしていないか気をつけて。
そして、こてにはこての、私にはわたしの双方の意思があることが大切だ。
こてにべったりの時期があったからこその次のシーズンで、何も間違いも失敗もない。
そして昨日はこての大好きな「タオル引っ張りっこ」をしてあそんだ。こては嬉しくて、う~う~と唸って引っ張ってきた
目がキラキラしてる
ほら、自分のゆうことを聞いてくれるこてじゃなくても、こてはこてのままで十分可愛いでしょ!
かくして、わたしとこてのハネムーンは終了した。
こては、こてだけど、一匹の犬に戻った。
それは私の視界をすっきりさせて、より幸せな気持ちで、こてと時間を共有できる。
ほら、思い出して。
もともと犬は苦手。生き物を飼うのも苦手。触るのもちょっとごめん、だったじゃん。
別にそれでいいんだって。そんな私のままで、全然いいんだって。
いい人でなくていいから、私は私の自我を、手放したくない。
小さい頃から、正当な理由もなく「お前は我が強すぎる」「自分の意見を言いすぎだ」と大人たちから言われてきて、自分でよく考える余裕もなく、「自分の意見は言ってはいけないんだ。いい子にしないと嫌われてしまう」
と思っていたけど
自我を手放しちゃったら、「こてつはなんで私のいう事を聞かないの!毎日お世話してるのに」
あらあら、なんてこと。すっかり自分じゃない誰かに入り込んでしまっていた。
噛まれたら腹も立つ。言うことをきいてほしい。優越感だってある。
それでも更にお互いのよりハッピーな関係を目指して行きたい。
それにはお互いの自我を尊重することが欠かせなくて、そうなったら、お互いに自立するしかない。
それって、自分の意見を言わないようにすることより、ずっと素敵じゃないか!私にとって。
日本人は、自分のことを自分でほめたり認めたりしない文化だと思うけど、そういうのは敬遠されてるけど、本とはすごく大切なことだと思う。
自分は世界にたったひとりしかいないのに、それを差し置いて、恋人とか、ペットとか、何か他のものにのめりこんで、自分を置いてけぼりにしたら、それはやはり自分の心は悲しむだろう。悲しいから更にのめりこんじゃって、どうしようもなくさみしくなって、そこには相手の、そして自分の、自我は何にもなくなって
つらいよね。
だから愛されたいって願う歌やお話が多いのかしら。
でもそれはだれに?
って、考えたこともなかったけど
じっくり考えたらそのからくりはこんなふうだとわかった。
自分のこと、ちゃんと見て、ちゃんとほめて、育てて、たっぷり愛したら、どれもこれも愛しくなるね。だんなさんも、犬も、友達も。
そしたら「こてつは何でいう事聞かないの!こんなに世話してるのに」なんて、思う暇もないね。(笑)
何で、犬一匹にそこまで考えるの、って思う人もいるかも知れない。
私も時々そう思う。
でも、犬は犬だけど、犬は生き物でもあって、自分の暮らしに新しい生き物が加わるということは、やっぱりこういう風に、いろんなことがおこって、考えて、気付いて、新陳代謝がおきて行くものだろうって、私は思う。
きっとそれは、恋人が出来たとき、新しい友達が出来たとき、結婚したとき、いつか子どもが生まれたとき、ぜんぶ同じことなんだろうって、思えるのだ。
こてつと見るそらはきれいだね。
ここまでの分析をしてしまうというところが。
私達は毎日がその連続です。
私はイヌだけでなく、妻の攻撃行動?にも共通していると感じます。(笑)
何の気のなしに「ねぇ」って肩を叩いたら、「何するの!痛いんだけどやめて!(怒)」って感じの時。
まさしく犬にかまれる時と同じくしゅんとするのと、なんでそんなことで怒られるんだと思う葛藤。
相手の気分もあるけど、ただここでの共通点は「怪我をさせないこと」です。
犬も私達がしつこかったり、彼らが無防備な時に触ればびっくりして咬むかもしれない。
でも、怒るのはいいけど、怪我をさせてはならないということ。
相手も感情も心もある命だからこそ、私はそこまで考えてほしいと思う。
人間同士でも言葉が通じない国の違う人の共生も、かなり大変で、互いの文化衝突でケンカ勃発する。
だから、犬ならなおさらなのです。
でも、そうして考えてもらえるこてつ君は幸せです。
多くは考えてもらえるのは、人間にとって都合のいいようにばかり。
彼らを理解しようとする姿勢も、都合のいいことしか受け止めてもらえない。
しつけはよく考えたら、飼い主の言うことをきくためのものではなく、社会のために行うものだと私は思います。
安全・安心の社会責任の為に、ルールを徹底する。
それは厳しいことかもしれないけど、でもそれが人にも犬にも優しい社会を作ります。
今はこの社会がなく、個人の願望を叶えるためのツールにトレーニングがなっているのは本来の主旨とは違ってしまっていますね。
犬を迎える方々、一人一人が人にも犬にも優しい社会を築いていく。
それを一人一人が実行したら、素敵な社会となるでしょうね。
私はそんな社会を皆さんに築いてもらうお手伝いをしたいと日々努めています。
はるさんが、皆さんの笑顔のために頑張るように。
でも、そういうこてつちゃんを、自分を見失わずに受け入れてる晴さんはとても晴さんらしいと思います。こてつちゃんにもきっとそのことが通じてるはず。
私もそらには、正直でいたいと思っています。噛まれればやっぱりムカっとくるし、いつもいつもそらの気持ちを先回りして考えてるわけにもいかない。常に聖母マリアさま、のようにはなれないのです。
でも、そらにとって大事なことや必要なことは尊重してあげたいと思います。他を怖いと思う気持ちが異常に強いこと、体を触られるのがなかなか慣れないこと、自分のものを守ろうとする本能が強いこと、などなど。そのためにはぶれないリーダーになる必要があります。気持ちばっかり優先してなかなかなんですけど(汗)
そして、晴さんがいうように、お互いを自我を尊重しあえたら、少しずつ信頼関係が生まれて、前述したようなことも自然にやわらかくなってくるんじゃないかな、と信じてるところです。今のところ、そらの方がなかなか私たちを尊重してくれないのですが(笑)
コメントありがとうございます。
「依存はつらくてしんどいです。お互いに傷つきます。でもその時期があって、自立したほうが楽しいね!しかもいい気分!がわかって実行できてよかった、継続したいね」みたいなことを長々と書いてしまいました(笑)スクールに行ってるときからちょっと思ってたんですよね。ああ、私たち、こてつに入り込みすぎてるかもみたいな。
奥さんの気持ち、わかっちゃいます。(笑)それは先生のせいじゃないですよ。女子は毎日ホルモンバランスの影響にさらされて生きてますので、ちょうど「ちいさなことにもイラッと来るホルモンが多い」時だっただけですよ。うちもそれですっごくもめてました。だんなさんもかなり先生と同じようにしょぼん。。。だったですよ。その波にお互いに乗っかっちゃうのが一番無傷で済みます(笑)いや、でもまじめに。仔犬の義務教育とか、女子は毎日ホルモンバランスにさらされているんだよ、とか、そういうことを普通に学べる社会だったらいいのにな。
そしたら皆もっと生き易いのに。相互理解で。
でもそういう根本的に大事なことは、スルーされてて、個人的に気付いたひとが学んでる社会だから、もったいないなって、よく思います。
知らなかったら、きっといまだに私は、こてつのお腹をひっくりかえさせる練習をしてたし、だんなさんといつもバトルだっただろうなあ。。。(笑)笑えないか。
でも社会は変えられなくても自分は変えることができるんですよね★
こんにちは!そうそう、「聖母マリア様じゃいられない」それに尽きるんです!それと、それでも相手のことを尊重していくことはできるんですよね。
だんなさんはそらちゃんは絶対大丈夫だといつも言ってます。なんか、一緒にプロレスごっこしたいんですって。ちゃんと彼の信念があってそう言ってるんですけど。彼はよくこてつとも噛み付きごっこしてます。彼はもしかしたら犬かもしれないと思います。。。。リアクションの全てが犬っぽい。
その大丈夫になっていく過程で、いろんな気持ち、いらっとしたり、可愛いと思ったり、そういうのが、当たり前なんですよね。