そらのほん

空、陽の光、緑、柴犬など、毎日違う表情を見せる、身の回りのきれいなものを載せています。

きれいなもの

2012-11-26 15:08:00 | 
きれいなもの。


秋の終わりの寒い朝




朝日に光る木




キラキラ光る初霜



輝く並木道




遠くに昇った薄い月、もうすぐ満月。大きくてきれいなアールを描く円

犬とケンカしてわかったこと

2012-11-05 14:53:16 | 柴犬のこてつ
先週の私は、こてつにかまれてばかりだった、しかもマジ噛み。かなり痛くて、いらっとする。
こてつはじぶんのいやなことをされたら、怒って噛む。首輪を強くひっぱりすぎたとき、分けわからずにおもちゃを取り上げられたとき、ご褒美をくれなかったとき。
今まであんまりそんなことなかったのに。

怒るのは正当だし、自己表現できるから、こては大人になってきたってことかも。

でも、絶対に人を噛んではいけないって、教えなきゃならない。

私はいつも方程式とか因数分解のようにものを考えていくのだけど、こんな風に思ったの。

こてつは自我があるからかむ

いつもこてのお世話してるのに、何で私の言うことをきいてくれないの!

他者のためにやることって、ほぼ100パーセント見返りは期待できないんじゃないの

①私の意識が自分でなく他者に向いている
②こてに自我があるように、私にも自我がある
 じゃあ、お互いの自我を尊重だ

自我
↓こては(年齢的にも)思春期なんかな

じゃあ、おやばなれ、こばなれのときかなあ

自我がでてくるってことは、そのこが成長して、自分の意思を持って生きていく(生きている)という気持ちが芽生えてくること

もう仔犬の時みたいに、可愛い♥だけじゃいけないってことで。
こてが出来ない事(ごはんの用意、シャンプー、糞をかたづけるとか)はしないといけないけど、一匹の成犬として尊重しなきゃいけない

ゆうことを聞かせる、から、何のためにそれをさせるのかをよく考える、に、シフトしなきゃ。

自分のゆうことをきかせて(そして優越感)のために「フセ」を教えるのか、ドッグカフェに行って、お互いに気持ちよく過ごせるためにおしえるのか
そういう自覚、ひつようじゃん

正直に、自分のゆうことをきいてくれるこてがかわいいとおもっていた部分もあって、そういう自分も否定しないし、本心で。

そういう時期があったからこそ、こての「おや」として、次に何を私はしないといけないのかを、自分でわかって、良かった。
ずっとこてにべったり、こてもべったりの時期も楽しかったし、可愛かったけど、ずっとその時期が続くのではなくて、互いに自立する時期が来ること、それがわかることが、私はとても嬉しかった。

わかるだけで終らせたくない。

噛んではいけないよ
でも私もこてがおこるようなことをしていないか気をつけて。
そして、こてにはこての、私にはわたしの双方の意思があることが大切だ。
こてにべったりの時期があったからこその次のシーズンで、何も間違いも失敗もない。

そして昨日はこての大好きな「タオル引っ張りっこ」をしてあそんだ。こては嬉しくて、う~う~と唸って引っ張ってきた
目がキラキラしてる

ほら、自分のゆうことを聞いてくれるこてじゃなくても、こてはこてのままで十分可愛いでしょ!

かくして、わたしとこてのハネムーンは終了した。
こては、こてだけど、一匹の犬に戻った。
それは私の視界をすっきりさせて、より幸せな気持ちで、こてと時間を共有できる。

ほら、思い出して。
もともと犬は苦手。生き物を飼うのも苦手。触るのもちょっとごめん、だったじゃん。
別にそれでいいんだって。そんな私のままで、全然いいんだって。

いい人でなくていいから、私は私の自我を、手放したくない。

小さい頃から、正当な理由もなく「お前は我が強すぎる」「自分の意見を言いすぎだ」と大人たちから言われてきて、自分でよく考える余裕もなく、「自分の意見は言ってはいけないんだ。いい子にしないと嫌われてしまう」
と思っていたけど

自我を手放しちゃったら、「こてつはなんで私のいう事を聞かないの!毎日お世話してるのに」

あらあら、なんてこと。すっかり自分じゃない誰かに入り込んでしまっていた。

噛まれたら腹も立つ。言うことをきいてほしい。優越感だってある。
それでも更にお互いのよりハッピーな関係を目指して行きたい。

それにはお互いの自我を尊重することが欠かせなくて、そうなったら、お互いに自立するしかない。

それって、自分の意見を言わないようにすることより、ずっと素敵じゃないか!私にとって。

日本人は、自分のことを自分でほめたり認めたりしない文化だと思うけど、そういうのは敬遠されてるけど、本とはすごく大切なことだと思う。

自分は世界にたったひとりしかいないのに、それを差し置いて、恋人とか、ペットとか、何か他のものにのめりこんで、自分を置いてけぼりにしたら、それはやはり自分の心は悲しむだろう。悲しいから更にのめりこんじゃって、どうしようもなくさみしくなって、そこには相手の、そして自分の、自我は何にもなくなって
つらいよね。

だから愛されたいって願う歌やお話が多いのかしら。
でもそれはだれに?
って、考えたこともなかったけど
じっくり考えたらそのからくりはこんなふうだとわかった。

自分のこと、ちゃんと見て、ちゃんとほめて、育てて、たっぷり愛したら、どれもこれも愛しくなるね。だんなさんも、犬も、友達も。

そしたら「こてつは何でいう事聞かないの!こんなに世話してるのに」なんて、思う暇もないね。(笑)


何で、犬一匹にそこまで考えるの、って思う人もいるかも知れない。
私も時々そう思う。
でも、犬は犬だけど、犬は生き物でもあって、自分の暮らしに新しい生き物が加わるということは、やっぱりこういう風に、いろんなことがおこって、考えて、気付いて、新陳代謝がおきて行くものだろうって、私は思う。
きっとそれは、恋人が出来たとき、新しい友達が出来たとき、結婚したとき、いつか子どもが生まれたとき、ぜんぶ同じことなんだろうって、思えるのだ。










こてつと見るそらはきれいだね。