そらのほん

空、陽の光、緑、柴犬など、毎日違う表情を見せる、身の回りのきれいなものを載せています。

脚本を書き直す。

2012-12-18 09:51:47 | love
日ごろ生活していると、なぜかいつも同じパターンになって、苦しい思いをすることがある。

たとえば「苦しい。つらい」と言うと、「あんただけじゃなくてみんな同じ」と必ず言われ、私の個別の「苦しい」は、いつの間にか削除されている。

他にもいくつかのパターンがあり、どうにも息苦しいそれらを、どうにかして改善したいと思っていたけれど、どうにも核心まで手が届かず、苦しいもどかしい、挙句にはそのパターンにはまっていたい思いをする、の繰り返しの中にいた。

ところが、最近「交流分析」について書かれた優しい心理学の本をよんで、その核心に、不意に手を触れることが出来た。

自分を苦しめるそれらのパターンは、幼い頃から、自らが生き延びてこれるように、幼い私がかきあげた、「こうやって生きれば、この世の中を生き延びていける」という、現実認識の脚本だった。

それはちょっとしんどい生活環境の中から生み出されたものだった。
幼い私にとって、世の中は、守ってくれる大人もいない、存在をあっという間に消される、夢も希望もないがっかりなところ
だった。
その認識のまま、大人になった今も、その脚本を生きていることに、


最近気がついた。


その脚本を、では、書き直して、今の大人の私が、最善と思える考え方を選び取っていく上で、いろんなことに気がついた。

今の社会では、同じように幼い頃の家庭環境で傷ついた人が、ものすごく多いこと。おそらく、傷ついていない人はいないこと。

でも、親や家庭環境を悪く言ってはいけないという文化なので、苦しいということがいえないこと。

みんな等しく同じような苦しみを心に持っているから、「つらい」と言ったら(私だってつらい)と、その心の中にある気持ちが刺激されてしまうから、「みんなおんなじ。あんただけじゃない」といいたくなってしまうこと。

こういう仕組みがあるから、いつまでも核心に。。。「家を批判してるわけではなく、ただ事実としてつらかったし苦しかった」。。。ということを、いえないこと。認識できないこと。

みんな等しくつらい気持ちを持っている、ということは、最初とてもショックだった。
でも、それは、今は時代の変わり目なのではないかと思った。親世代では、自己のアイデンティティーを打ち出せない時代だったと読んだことがある。
でも今は、「自分とは」、自分のことを知ろうと出来る時代で、その境目に、私たちはいるのではないか、と思った。


去年大きな地震があって、一瞬でたくさんの人がなくなって、それをリアルタイムで私たちは見て、本当に衝撃を受けた。生き方も時代も、大きく変わるときになった、と思った。

私も、あなたも、もし言葉にする量が違っても、等しく傷ついているのなら、もうこれ以上の傷つけあいはいらないと思った。頑張ってるのに頑張れ、といったり、苦しんでいるのに、受け止められなかったり、批判したり、十分にやっているのに完璧を求めたり。

そうじゃなくて、同じように、今、ここまで生き延びてきた強い魂をたたえ、そんな相手に敬意を持って、悲しい気持ちは癒し、今、幸せに平和に生きる。
そんな方法でも、十分にやっていける、と私は思った。
そして、そんな風に思ってあいてを見たら、今までとまったく違って、ものすごくうまくいろんなことが進んでいく。

その脚本は、自分を守り、命を未来につなげるために、幼い自分が作ったもの。幼い自分は、絶対に幸せになれるし、自由に生きれる、だから大人になるまで頑張って!と、自分を信じてそうしてくれて、今大人になった私はここにいる。
その
小さい私の努力に報いるためにも、今、自分が幸せになる考え方を選び、やってみる。
過去は消せないとよく言われるけれど、過去の私と今の私は共にタッグを組み、お互いを信じて、いつでもお互いの味方だった。

そこに家族批判はないと思う。

自分を、そして相手を、厳しく罰したり、甘い、と言い合いながら進むのではなくて、

共に頑張ってきたもの同志としてたたえあう。
そして
悲しみは癒す。
更に、今幸せに生きる。

それが、これからの時代に求められてくるものなのかなあと、思った。

人が、本来の人らしいあり方で生きること。


まだ、私の中には古い脚本がたくさんあって、今日もそのパターンにはまって、ちょっとだけへこんだけど、

この新しい考え方は、私の中の新しい礎、信念になった。

良かった!


ちょうど新月から少し過ぎた頃で

新しい私の始まりが、始まっているんだって、思った。







メッセンジャー

2011-10-06 15:14:36 | love


今日、私の働くカフェのお客さまがこう言って下さった





「上手に生きなさい」





その言葉は私の胸の中に美しい、冷たい、澄んだ透明の水のようにしみこんでいった


『上手』が、何を意味しているのか
私にはわかって、
それがどの人にも当てはまるものかどうかはわからないが、
今の私には
どういうことを意味しているのか
それがわかった
すぐに





時々、人生には最高のタイミングで最高の贈り物を届けてくれるメッセンジャーが登場する。
最近出会ったのは、自動車学校の先生だった
そんな時私は「神様に出会った」と思う。
宗教とか、偶像とか、そういうものではなくて
美しい何色もの糸で織りなされる人生の贈り物のような、そのもののような、目に見えないけど素晴らしいギフト

どんな表現がピッタリくるだろう?

そして、きっと必ず誰にもあるはず



メッセンジャーはいつもと同じコーヒーを飲みながら、いつもと同じサンドイッチを食べた。
かわいいおばあちゃん。






夜が明けた


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love

2011-09-18 22:46:51 | love



そういえば、明日は敬老の日でお休みだっけ。
夕方、車の中でラジオを聴いていて思った。
リスナーから届いた、おじいちゃんおばあちゃんネタが次々と読み上げられる。
どれもすてきだった。
こんなおばあちゃんになりたいなとか、おもったりした。


半月前、法事で久々に生まれた町に帰った。
法事が終った後、家でアイスクリームを食べながら、久しぶりに会ったおじいちゃんとお喋りしていた。

「そうだ!おじいちゃん、癌が消えたんだって?
 それ聞いた時、すっごく嬉しくて、私、皆に教えてあげたんよ。
 さすが、かのんのおじいちゃん!かっこええわああ!」

私は、今回会ったら絶対にそれを伝えたかったので、おじいちゃんの両手を取って、一気に喋った。

「おお、そうじゃ、そうじゃ、病院に行ったら、『あれ、無くなってますね』って言われたんじゃ。おいしい、おいしいって、酒を飲むようにしたからじゃ。」と、おじいちゃんは、日に焼けて真っ黒のいつものしわくちゃの笑顔になった。

きっと、おばあちゃんの介護をしていて、しんどいって言いながらも、今が一番幸せって笑ってたり、けんかしてもなぜかラブラブの笑顔の写真だったり、農業を続けてたり、いろんな要素が絡まったからだと、私は思っている。お酒を「おいしいなあ」って感謝や喜びとともに頂く事。なんてすてきな、なんて基本的な、素晴らしいことだろう。

癌が消えること、
絶対私はあるとおもっている

「じゃあ、そろそろ帰るけえ。ばあさんが待っとるけんな」
そういって立ち上がるとき、
おじいちゃんはまだ座ったままの私の頭をなでてくれた

こんな奇跡が
私の心をあたためる



奇跡以外、どんな言葉が見つかるだろう?


もう、いい大人の私なのに、おじいちゃんは頭をなでてくれた。
キラキラの、しわくちゃの。


心がつながった、
キラキラ輝く一瞬

おじいちゃんの笑顔も、目が見えないくらい細くなって、しわと一体化してる

そういえばいつもおじいちゃんは笑ってるわ

キラキラ輝く。

キラキラ輝く。


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