夏目漱石の随筆「硝子戸の中」によると
漱石の父(夏目小兵衛直克)がこの辺の名主であった。
自分の姓を名づけて呼んでいたものが、人々に広まり
やがて「夏目坂」と呼ばれ、地図にも載るようになった。
かなり緩やかな坂ですが、長いため自転車をこいで上ったら
からり大変そうです。
歩くだけでも疲れそうでした。
<昨日の正解>
01、answer「夏目金之助」
庚申の日の申の刻に生まれた漱石は、一つ間違えると大泥棒になる、
ただし名前に金の字か、金偏の字を選んで名付ければ難を逃れると言う
迷信から「金之助」と名づけられた。
「漱石」は号、「塩原」は養子先の姓(明治21年に「夏目」に戻る)
02、answer「建築家」
自分は変人だから変人でも日常欠かせない仕事をすれば自然と人が仕事を
頼みにくると考えたという。
また美術が好きなので建築を美術的にしてみたいというのも理由であった。
しかし、同級の米山保三郎に諭されて「文学」をやることに。
03、answer「東京理科大学」
当時は東京物理学校といった。
三代目校長中村恭平は漱石と懇意で「吾輩は猫である」の苦沙弥先生の
モデルといわれ「坊っちゃん」が物理学校出であるのもその関係と思われる。
(夏目漱石生誕140年記念誌より)