体育祭前日。
全校の縦割り練習(1・2・3年連合チームのマスゲーム練習)、とても良いできだった。
100分間、時間いっぱいまで間延びせず、
しっかり生徒たちだけで練習できるというのは、なかなか難しい。
3年生の実行委員の頑張りは当然素晴らしいが、それ以外の3年生も素晴らしかった。
実行委員が夏に頑張ってきたことを遺憾なく発揮できたのは、
3年1組の全員が一生懸命練習する姿を下級生に見せたからだ。
下級生は、実行委員が考えた計画に沿って、実行委員が考えた踊りを学ぶ。
しかし、「練習に対する態度」というものは、“3年全体”から学ぶのだ。
リーダーってのは下手をすると「便利屋」になることがある。
他の人は「あいつにやらせておけばいいや」と、ただ単にみんなの仕事をその子に押し付ける。
教師も「リーダー教育」と言いながら、同じ生徒にまかせっきりにしてしまう。
結果「やる人」と「やらない人」と分かれてしまう。
いや、「やらされている人」と「やる気が無い人」かもしれない。
そうなるとリーダーは
「何でみんなやらないの?私だって好きでやってるわけじゃないのに!」
と思いだす。
やる意思のあった者の気持ちを逆に変えてしまう。
そして、他の者は
「やりたいやつがやればいい。やりたくないから自分はしない」
となる。
自分が目立つ、カッコよくみられるという時には張り切るが、そうじゃなければ「何もしたくない」となる。
もしくは「失敗した時の保険として、ヤル気の無いふりをする」とかね。
目立つものをひがむ、というのもある。
でもな、うちのクラスのやつらは違った。
今回リーダーではなかった者が、いきいきと活動した。
楽しげに、そして体力の限界まで練習した。
それを下級生が見て学んだ。
うちの実行委員が、安心して下級生に思いを伝えることができたのは、
3年生の仲間に対する安心感だと思う。
確かに実行委員は華やかに活動した。
しかし、それは同じクラスの仲間がついてきてくれたから。
人に教える不安や、失敗の恐怖を仲間が取り去ってくれたからだ。
そして達成感につつまれた仲間の中から、新たなリーダーが生まれてくるだろう。
すべての組織がそうなんだろうな。
部活でも一緒。
ヤル気のある主将・副主将がいるだけではダメなんだ。