まず、今日から読まれる方は、先にこちらを読んでいただければと。
#96 「生きる」~前編~ - ☆つる姫の星のかけ橋☆ (goo.ne.jp)
今日も長いですから、読まれる方は覚悟してください。
4月17日(月)午後
いよいよ造影剤を使ったCT検査の日になりました。
体調も悪くなく、イケメン担当医の素敵な目元を思い出しつつ、病院に向かう。
気持ちは割と落ち着いていましたが、順番が来て名前を呼ばれると、やっぱりちょっと緊張。
台に横になり、何人かの若いスタッフが色々指示を出してくれる間、緊張しすぎると饒舌になる癖のあるおばさんの私は、いたたまれなくて声を発する。
「めっちゃビビってるんですけど・・笑」いい年して、めっちゃとか、ビビるとか言うな~と、こころで反省する。年はバレてるし。
「すぐ終わるので、大丈夫ですよ。造影剤が入ると体が熱くなるけどそれは普通です。機械の声に従って息を止めたり吐いたりしてください」。
イケメンではなさそうだけど、2.3人の若い男性スタッフに、手厚くサポートされ、
は~い、わかりました♪ 若い人に優しくされて嬉しがる、おじさんっぽいおばさんのワタシ。(おじさんおばさんも、ハラスメント用語に?)
まな板の上のカープとなった私は、ゆっくりと深呼吸。
そのうち点滴が入ると、一瞬身体が熱くなりましたが、気分が悪くなることもなく、間もなく検査は終了。
久々の達成感。
検査だったから高いお会計を済ませ、今年は医療費がかさむなあ~と思いつつ、元気に歩いて帰途へ。
この時は、検査を受けただけなのに、意味不明な達成感だけはありました。
さあ、水分をたくさんとって造影剤を体外に出さないと、とビールを買って帰宅。
爆 全くもう、こんな時に。。
結果は3日後。
検査という第一関門をクリアしたら、今度は結果を心配する。
結果を聞くのは怖いけど、良くも悪くも受け入れなければ、前には進めない。
たまたま見つかったものが悪性なら、何故かおなかのエコーを撮った検査好きのお医者さんに感謝しなくては。
こんな時期にわざわざ「生きる」という、余命半年を告げられた人の映画を観たりなんかしている自分がいて、出てくる鼻歌は「ゴンドラの歌」。
命短し恋せよ乙女~赤き唇あせぬまにぃ~。
そう思えば、鯉もしたし、十分生きたよなあ。
あ、恋ね。恋。
4月20日(木)ついに告知の日
この日は夏日でしたが、いつものように35分ほど歩いて病院へ。まだ足は大丈夫だ!
しかし、歩いたせいではない、待合室で脈は早鐘、手にはじっとりと汗、喉はカラカラ、膝はがくがく。
神も仏もあるもんかと思いつつ、娘が以前買って来てくれた「健康祈願」のお守りを握りしめました。
誰かがそばにいてくれたら・・・とかおもいつつ、人は生まれた時も死ぬ時もひとりなのだ、と哲学する。
そんな時も、頭の中では結果発表の時のリアクションを描くわたし。
悪い結果の場合:まずは、「が~~ん!」と声を発する。そして次に、余命はどのくらいでしょうか♪と聞く。
取り乱すことはしたくないけど、万一泣いたらいけないので、ウオータープルーフのマスカラ、そしてハンカチとサングラス。
良い結果の場合:イケメン先生とハグする。・・・欧米か!
いずれにしても、気の利いた面白い事を言おうと考える自分がいました。
どこまで、サービス精神が旺盛なの。思考回路がショート寸前だった説もある。
午後も遅い時間、電光掲示板に私の番号が、ショートすることなく点った時には、待合室には誰もいませんでした。
長い告知になるので最後に回されたのか、などとも考えました。
なぜなら、私より番号の遅い人が先に呼ばれたりしていたからです。
失礼しまぁ~すと、緊張してないふりして診察室へ。
モニターを見つめるイケメンな横顔にキュンキュン。
その表情を探る私。
「ああ、だいじょうぶでしたよ~~。血管腫で間違いないです」。
「あ”あ”よかった~~♪あっりがとうございまっすぅ♪」
あっ!カラカラだった喉から出た声はガラガラじゃった。とほほ。
しかし、ここはジャパンだ、ハグはNGだな。
もう一つ用意していたオプションは破棄。
「CTの検査は、大丈夫でしたか?」検査にビビっていた事を覚えてくれてた先生。
「はい、大丈夫でした♪」
「CTの画像診断でも、腫瘍マーカー検査の数値も正常ですし、この先は年に一度程度経過を見れば大丈夫ですよ」。
何か面白い事を言おうとしましたが、頭の中は、主白い。
何もギャグが浮かばなかった。
何度もお礼を言って、イケメン先生の笑顔に後ろ髪をひかれつつ、診察室を後に。
帰途の足取りはなおさら軽く、このひと月の事を回想、反省しつつ、先日の「造影剤」はとっくに排出されていたはずですが、この日はお祝いのためのビールとお寿司を買って帰宅。
まったくもう。
という事で、おかげさまで癌ではありませんでした。
結果を知ったこの先は、長いのでお読みいただかなくて結構です。笑
家族にすら何も話していなかったので、家族には結果を伝えてから経緯を話しました。
不安をシェアするのがいいのか悪いのか。私は子どもたちの今に水を差すような事はしたくなかったけど、果たしてそれが本当の家族なのか。
まあ、それは私自身の考えだし、もし逆の立場ならどう思ったか。
本当の家族?それもまたそれぞれで、我が家は、もともとべったりな家族ではないですし。
他人である読者の皆様には、サスペンス的にした方がいいかなあ、と二編に分けました。
ポジティブな結末を連想するような伏線は張ってあったはずですが。
この結果でよかったねと思ってくださる方が、ひとりでもおられればありがたいことですし、おらには関係ないだよで、全然OK。
このひと月、心臓病がわかった時とは違う想いで過ごしました。
自ら招いた悶々とした日々。結果だけみれば、最初から素直に検査を受ければよかったのですが、回り道したことにも意味があったと考えるしかない。イケメン先生との出会いもあったし❤
「生まれてきてよかったと思えない自分」「もはや自分はいてもいなくてもよい存在」などいう想いにとらわれていた私にとっては、天命を全うするうえで、とても大切な事を学んだ時間でした。
心臓病の時は、「死」につながるなどとは考えなかった。
手術で治ると信じてたから。
まあ、あの時も最初の病院の対応に不信感を持ち、セカンドオピニオンを受けたのですが。
死を意識した今回は、自分は「生まれてきてよかったと思える自分を生きたい」と望んでいたのだと知りました。
現実に目の前に迫っているかもしれない死を意識すると、残された時間の使い方や、他との関りに対する想いが変わりました。
断捨離や、終活に関する事を書いた物の整理もしました。家族に迷惑をかけたくない。
その一方で、絵を描いたり映画を観たり、新しいことを覚えたり。
明日死ぬと思って生きる、永遠に生きると思って学ぶ、という事が、実感としてわかりました。
また、病に縛られてしんどい思いをして、周りに手間をかけて生きるくらいなら、いっそすでに末期で余命を宣告される方がマシだとも思いました。
これには語弊があるかもしれませんし、不快な表現かもしれませんが、私個人の見解で、私自身の命に対する考えです。
現実に抗い、生に執着する事は哀れにも思えたし、残された時間がわかった時に、私は初めて本当の自分をいきられるのではないか。
でも、これは、普通に暮らしている中で、残された時間がわからなくても同じことなんです。
幼い頃から人目を気にし気が弱く、悩み多き性格ではあったけど、身体が元気で自由本奔放な行動が出来た時代も過ごし、すでにまあ十分な時間生きてこれて、人として女性としての役目も少しは果たせて、授かった命のバトンも渡した。(女性としてとか、書きづらい時代ですが、私の事ですから)
セレブではないけど、生活に困った訳でもなく、考えてみると思い残すことはないのです。
でも、いつか書いたように、思い残すことのある人生の方が豊かなのだとも思うのです。
永遠に生きると思って学ぶ、というのは、そういうことじゃないかなって。
まだまだ学び足りない、やり足りない事がある方がいい。
今年に入ってからの体調不良を遡ると、CTに対する異常なまでの恐怖感は、ストレスによる耳鳴りから始まり、その後次から次の不具合は、この答えを導くための、問いかけだったようにも感じます。辛すぎる課題でしたけど。
奇しくも、このひと月の中に組み込まれていた父の法要の時の方丈様の言葉。
亡くなった父からの問いかけは聞こえませんでしたが、起こる事すべてが問いかけなのかもしれない。
私の残りの人生はこれまでに比べたら、時間としては短いでしょう。
このひと月は、本当に孤独で辛かったけど、自分らしく生きられるチャンスをいただいた時間でした。
それに、これまで色々あったけど、私はここまで年を重ねてきたのだ、という自信とか誇りというものを意識出来た時間でした。
何があっても全部自分のせいにして丸め込んできたような節のあるわたし。
自己中になる必要はないけど、誇りを持って生きなければ。私にも、存在の価値も意味もあるのだと、自信を持たなければ。
何かあった時、一番の心配はこたろうの事でした。
私の杞憂と想いは、いつもそばにいるこたろうには、きっと伝わっていたのです。
CTを受けに行って、謎の達成感を持って帰宅した時と、結果を聞いて帰宅した時、こたろうは、これまでに見たこともないようなテンションで、迎えてくれたのです。
それは、異常なほどの喜びようで、戸惑うほどでした。
「ママよかったね、検査が無事に終わって♪」
「ママよかったね、癌じゃなくて♪」
言葉も内容も理解はしてないけど、私から発するよい気配、オーラを感じ取ってくれたのではないでしょうか。
この小さくて大きな存在に感謝した瞬間でした。
彼も一つの尊い命を生きるもの。
人間と違うのは、食べたい遊びたいなでなでして、などの欲求はあっても、それ以上の欲とか悩みはないのだろう。
わんこにとって、人間は「神」なのです。
だから、ただただ愛してあげるだけでいいのです。いや、彼はもっと大きな愛を、私に与えてくれているのでしょうね。
私はこたろうの方が神だと思ってる。
こたろうに守られて、生かされている。
因みにねこちゃんたちは、自分が神だと思っているみたいです。
なんとなく、わかりますよね。以前は猫派だった私、ニュアンスが理解できます。
話が逸れましたが、紹介状を書いてくださった先生には、帰宅後一番に電話で報告しました。
診察時間内なので、受付の方に結果だけお伝えください、と言ったのに、先生はやりとりを聞きつけて、わざわざ電話に出てくれて、心の底から喜んでくださっているようでした。
海外で勉強し、帰国後は大病院で働き、その後、地域の皆さんに密着した医療に従事したいと、個人でクリニックを開設した方です。
いないはずの神さまは、ここにいました。
最初にエコーを撮ってくださった先生にも、きちんと報告しておこうとは思ってます。
結果次第では、一番感謝すべきで、社会人として、礼儀は果たさないといけないのですが。
肝血管腫。
簡単に言うと、肝臓の血管が絡まったもので、原因は明らかではなく、検診などで偶然見つかることの多い良性の腫瘍。
どちらかいうと女性に多いそうです。
皮膚でいえば、痣とか血まめみたいなものと書かれています。
私のは1.5~6センチ位のもので、いつからあったか知りませんが、急激に大きくなることも癌になることもまずないそうですが、定期的な経過観察はした方がよいとのこと。
たま~~~に、消えることもあるそうですが、右わき腹にある、綺麗にまん丸なかわいい血まめちゃんと共に生きていきます。
今回も沢山の学びがあり、修行は死ぬまで続きますが、苦行はもういやだなあ。
にんげんだもの。
長くなりましたが、前編後編最後までお読みいただきありがとうございます。
くれぐれも、お体を大切に過ごしてくださいね。
なんやかや、検診は必要ですね。わたしが言うか?ですが。
いつも以上の感謝をこめて
つる姫
またね~~