少し前に読んだ、重松清さんの著書、「永遠を旅する者」。
前書きによると、これは、ゲームのファイナルファンタジーの生みの親、坂口博信さんのオファーによって、「ラストオデッセイ」のために
書かれたものだそうです。
オファーの時は、好きに書いてもらっても構わないが、ひとつだけ、
「一千年を生きる事の悲しみが感じ取られるようにしてほしい」と言われたそう。
「時間の短さ」を根底に、決して永遠ではないからこそ生じる葛藤や衝突、さやかな幸せを好んで書いてきた重松さんにとって、
これは、今まで使ったことのない筋肉を使わないと、あるいは今までと逆の筋肉の動かし方をしなければ書けない、と、苦しんで書かれたそうです。
読み始めた時には、やはり今まで読んだ重松さんらしくない、確かに違う筋肉を使って書かれた感があり、もっと言えば、作られ過ぎててあまり面白くないなあ、って、途中でやめようかなって思ったくらいでした。
しかし、読み進めるにつれ、その世界にはいりこんでしまいました。
主人公のカイムは、死ぬことのできない命を生きています。
そして彼の命は、血を流す「戦争」に費やされて、彼自身は数えきれない命を奪って生きているのです。
生きれば生きるほど誰かの命を奪ってしまう。
多くの悲しみや苦悩、老いや死を見続けて、心から笑う事も出来ずに生かされているのです。
現在、現実に「戦争」をしている国もありますが、そうではない国でも、多くの民が、飢えや病など、刃や弾によって傷ついたり命を失う戦争ではない、違う形の戦争のようなものの中で生きているのだろうと思う私にとって、これは、涙なくしては読めない物語でした。
戦争や病、事故などで、思いがけず失われる命もありますが、人は、いつか死ぬという事を暗黙の裡に受け入れて生きている。
だからこそ、今を大事に、と思うこともできる。
長生きしたい、と多くの人は思う。
でも、形容詞がつくと思う。
「元気に」
次々と訪れる体と心の不具合により、長く生きたいとは到底思えない人もいます。
1000年であろうと100年、数十年であろうと、生きるなら、しあわせに、心身共に健やかにと。
でも、反面、辛くて悲しい日々のない人生なんてない。
自分は死ねないのだと思って生きる事と、いつかは死ぬと思って生きる事。
生と死。
その言葉って、対極にあるのではないのかな。
昨日またもや、ひどい体調不良に陥りました。
これまでに、何度か体験した事ですが、今回のは、ここに書けないほどひどかった。
土曜日午後で医者も終わってたので、何とかやり過ごし、今朝も生きておりますが。
何があってもこれまでは、加齢や老化、ストレスなどで、ちゃんちゃん、でしたので、どの位まで辛抱すればよいのか、もはやわかりません。
私は我慢強い方ですから、本当にヤバい時がわかりません。
こんな自分があと何年も生きるのかと思うと、暗澹たる思いです。
この命の永遠など絶対に欲しくはありません。
笑
でも、この人生に悔いもありません。
カイムは、いつか死ねるのでしょうか。
もしその時があるなら、きっと彼は、心からの笑顔で受け入れるはずです。
先日載せた絵ですが、丸いのは(ちょっと歪んじゃいましたが)月ではないかも?
そして、クジャクは、それを見上げているのではないかも?
妄想で今を乗り越えるつる姫でございました。
安心してください。
命の限り生きますし、こたろうよりは長く生きる責任があります。
最後のミッション。
爆
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫