昨日の原爆記念式典でのお子さんのスピーチを聞きました。
お子さんのスピーチの中に、「祈るだけではだめ」という文言が出てきました。
私には祈る事しかできないと言ったばかりで、この時は、肉体的な事でない耳が痛かったです。
が、この子たちのような若い、これから日本や世界を担う若者たちが、そういう意識を持って平和な地球の未来を創造して行ってほしい、と思いました。
また、毎年思うのですが、湯﨑県知事さんのスピーチは素晴らしい。
今回も、弥生人の話とか、核保有に関する具体的な思いが語られ、人間味と説得力のあるものだったと思います。
国は口では言うけど、具体的に核廃絶に向けて積極的な努力はしていないんだろうなと。
毎年同じような当たり障りのないスピーチを繰り返す我が国の首長は、広島が地元などと、都合の良い時は申されておられ
ますが、それならば、人間としてもう少し血の通ったお話ができないのかなと、感じました。
彼は実際には広島で生まれ育ったわけではないみたいですし。しらんけど。
昨日は息子が泊まりに来ていたので、8時15分に黙とうし終わると、歯磨きを終えた彼も壁の向こうで黙とうしていたことに気づきました。
ヒッチハイクで日本を回り、広島も被災地も訪れて来た彼ですが、現地で見聞き来た事が思い出されたのかもしれません。
いつもは忙しい時間、たまたまこの時間に立ち会えたのでしょう。
そんな日の夜は、久々にテレビで野球観戦。巨人戦はこちらでも中継するのでね。
広島にとって特別な日に、勝つ試合が見れてうれしいのなんの。
人類史上初めて投下された原子爆弾によって壊滅した広島の街。
75年は草木も生えぬ街だと呼ばれたそうです。
ところが被爆から3日後には路面電車が走り、地元の中国新聞も発刊にこぎつけ、広島の人々は動き出しました。
その中国新聞に広島発のプロ野球チーム名が「鯉(カープ)」と載ったのは、1949年(昭和24年)9月28日。
原爆投下からわずか4年1カ月のことだったそうです。
初戦は首位からなんと59ゲーム差の最下位だったそう。
資金もなく、大洋に吸収合併の話もあった中、ファンたちからの、通称「樽募金」も含めた資金協力を得て存続。
そしてそして、奇しくも私が上京した年に、カープはリーグ初優勝を果たすことに。
まさに、広島の復興とともにあった広島カープなのです。
そんな、カープにとっても特別な日に、プロ8年、100登板目で初完封したアドゥワくん。
試合中もですが、ヒーローインタビューでも表情をほとんど変えないポーカーフェイス。
満塁のピンチでも「打たれても死ぬわけではない」と思っていたとの言葉に、しびれました。
チームで戦うスポーツではありますが、まずは自分のメンタルというか、これだけ正直な言葉を聞いたことがないような気がしました。
最終回でも2アウト満塁のピンチでしたが、手に汗握り、朝とは違う祈りを捧げておりました。
こうして、ふんぞり返ってテレビで野球観戦している自分。
こんな普通ができない状況にある人たちがいると思うと、自分がどれだけ幸せなのかに気づく原爆の日の夜でした。
今日もカープは勝ち!
さて、先日の道路のライン
↓
仮のラインから、ちゃんときれいに完成してました。
きちんと測定して、角度なども正確に、何処の交差点にも同じラインで引いてあるんでしょうねえ。
もはや芸術です。
今日の言葉
Mankind must put an end to war, or war will put an end to mankind.”
「人類は戦争に終止符を打たなければならない。さもなければ、戦争が人類に終止符を打つことになるだろう」
John F. Kennedy(ジョン・F・ケネディ)アメリカ合衆国第35代大統領
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感謝をこめて
つる姫