お正月三が日、という言葉も、もはや死語的なイメージがあるのは私だけでしょうか。
私の実家は写真館で、お正月も晴れ着のスタジオ写真を撮ってもらいに来る方や、フィルムを買いに来る方もおられるので、年中無休でした。
しかし、写真の現像などは少なかったし、いつもほとんど暗室に籠って現像したり、ネガを修正する修正台の前に座っている父も、こたつでうとうとしていることも多かったです。
年末に沢山のお節料理を作っていた母も、食事の手間がはぶけ、こたつで編み物をしたりして、ゆっくりしていたように思います。
町の小さな商店街も、お正月はみんな、店先にしめ飾りを飾って閉店。
なので、年末に母と二人で商店街で、買い物をして回ったのは、楽しい思い出です。
その頃に、この三が日、という言葉を覚えたような気もします。
昭和中盤でもありますが、ど、のつく田舎の年末年始、車さえほとんど通らない静かな時間でした。
時は流れ、今や、都会は眠らない町。
年末に買いだめしなくても、何とかなる。
便利といえば便利ですが、昭和の田舎で育った私にとっては、家族が一緒にこたつの周りに集まる時間の多かった三が日は、宝物のような思い出です。
時代が流れて、若者が高齢者になった頃、私のような思い出はもはや、化石のようなものかもしれないですね。
実は、思いついて、終活の一端として、私の人生振り返って自叙伝的なものを書いています。
誰のためにではなくて、子どもたちが、今の私くらいの年齢になって、自分のルーツというか、そんなようなことを考え始めたときに、興味を持って読んでくれたらいいかなって思って。
それは、父が亡くなり、母が言葉も難しくなって思うように話せなくなってしまった今、聞いておきたかったことがたくさんあったと感じたからです。
子どもたちが、私のような思いになるかどうかは別として、自分の人生を振り返る意味でも、書き記しておくのもいいかなって。
今年始めたこと、第一号は、自分の人生をまとめてみること。
それは、掲げている「今」という事には、反しているように思えますが、そうではない。
年末に来た息子と話したときに、来年の漢字は「今」だという話をして、2日に書初めをした画像を息子に送ったのですが、まさにその直後、たまたまどこかのお寺に初もうでした息子が、こんな文章を目にして、送ってくれました。
読みにくいので、タイトルと小泉今日子さんの言葉の部分だけ抜粋してみます。
「今」を一歩前へ
それが過去と未来にも及ぶ
「16歳の私ががんばったから今の私がある。逆もアリで今58歳の私が頑張ったら16歳の私も報われるし、70歳の私にも感謝されると思うんです。今の私が一歩前に出ると、過去の私も未来の私も一歩前に出る。時間はタテだけではなく、ヨコにも広がっていると思っていて・・・」
これもまさにご縁なのでしょう。
わざわざ送ってくれた息子に、感謝ですし、私との会話がなければ、この記事が息子の目に留まることもなかったかもしれません。
なんか、よく息子の話が出てきて、私たちの関係性が濃密すぎると感じている方、います?
マザコンでも子ども依存でもなく、こういう話ができる関係性、だと理解いただければありがたいですが、まあ、どう思われても構いません。
知る人ぞ知る、ヒッチハイクで日本を回ったり、バックパック一つで世界一周をしたり、これが他人の子なら、どれほど心置きなく応援できたか、と思った時期もあったほどです。
生きているうちに、息子や娘とは可能な限り沢山の事をシェアしておきたい。
もちろん、彼らが望めば、の話です。
話がそれましたが、今、私が過去を振り返っているのは、決してネガティブな思いからではないことだけは確かです。
頑張れば報われる、その言葉を、子どもたちの目を見て言うことができなかった時期もありました。
頑張っても報われないことも多いですから。
ただ、頑張らなければ報われることもないのは、間違いないでしょう。
頑張っている、という意識があろうがなかろうが、行動しなければ何も叶わない。
2日の空です。
そして、今のところリビングの壁に貼りつけてある、今年の漢字に、虹がかかっていました。
サンキャッチャーによる偶然のたまものですが、今年の漢字に、去年の漢字の「虹」がかかってる。
なんか、うれしい。
先ほどの小泉今日子さんの言葉を、今日の言葉とさせていただきます。
解釈は人それぞれです。
年末年始、ゴミ収集がないので、曜日感覚のマヒした私でしたが、今日は燃えるゴミの日はじめ。
今日は収集車も満杯になるでしょう。
清掃局の皆様、ありがとうございます。
ご訪問いただきありがとうございます
感謝をこめて
つる姫