☆つる姫の星の燈火☆

つる姫的夏の18切符の旅・まじめバージョン~旅は続くよ・・~

    父のお見舞い

父は実家の目の前の施設に入っている。

脚は以前から立たなくなっているが、最近は手の筋力も落ちてきたようだ。

大好きなカメラを構えるのも困難らしい。

 

こうなったらもうおしまいじゃ。

そう言う父をどうやって励ましてよいか全くわからない。

去年息子が企画した「じいじを山に連れて行こう作戦」が失敗に終わった時

息子は「絶対にリハビリしてね」とじいじを励ましていた。

しかし、もはやリハビリは無理なようである。

こうなる前にどうして頑張ってくれなかったのかと、腹立たしささえ覚えた。

寝たきりで生きる人生にどんな楽しみがあるのだろう。

私や孫が訪れて、元気な顔を見せてあげる事しかないのだろうか。

私の旅の写真をPCか何かで見せてあげられるといいのだが

今色々思案中である。

    

     コウノトリ

 

弟が鳥の写真を撮っているのは先にも触れた。

父のお見舞いから帰ると、弟が午後から出かけようと誘ってくれた。

この日の朝刊に、家から小一時間の所でコウノトリが目撃されたとの記事が載っていたらしく

もしかしたら見れるかもしれないので行ってみようというのだ。

 

そのコウノトリを探す前に、同じ方向にある美術館に連れて行ってくれた。

三次出身の奥田元宋という日本画家とその妻小由女の作品を展示した美術館である。

 

奥田元宋の絵画には大きな衝撃を受けた。

ここでは詳しく語らないが、大きなホールに展示された彼の絵は

観るというより、絵の方から迫ってくるようだった。

その奥さんの小由女さんは人形作家で、繊細な色と美しい曲線の人形も素晴らしかった。

西洋画ばかりを観ていた私だったが、日本画の素晴らしさに感動した。

 

元宋の世界に浸った後はコウノトリを探して車を走らせた。

小一時間粘ったが、いるのはアオサギとダイサギだけだった。

 しかし、頭を垂れはじめた稲が並ぶ田んぼがなければ、真夏のような空の下で

コウノトリが現れるのを待つ時間は

竹田城址で霧が晴れるのを待ったように、東京ではあり得ない贅沢な時間だった。

 

 

    中秋の名月

 

この日は中秋の名月だった。

弟がいいものを見せてくれるというので、

肌寒いくらいに気温の下がった夜の道を散歩した。

今回はコンデジしか持って行かなかったので、写真はこんなだが。

 

今まさに昇ったばかりの中秋の名月。

月の灯りで、雲が彩雲になっているように見える。

東京はこの日雨だったようだ。

行いのよい、いや、この表現はそろそろやめておこう。

非常に運のよい私は西の方にいて、素晴らしい名月を拝むことが出来た。

 

さて弟が言う、いいものとは?

 

 

    秋の蛍

 

街灯もない川沿いの道を数百メートルほど歩くと

あまり背の高くない一本の木の前で弟が立ち止った。

「いるいる」そうつぶやいて

弟が頭に装着していたヘッドランプの灯りを消した。

すると、目の前の木の葉のそこここで小さな光が灯っている。

秋に蛍が見れるんよ、と言っていた弟の話は本当たっだ。

 

これはクロマドホタルの幼虫なのだと言う。

写真で見たが、幼虫の姿は細長くてゲジゲジのようだ。

成虫になるとほとんど発光することはなく、フェロモンによる配偶行動らしい。

秋になっても発光しているので秋蛍とも呼ばれている。

 

名月の下で見る秋のホタルの光。

小さな小さな星が落ちてきて、木の葉にひっかかって輝いているよう。

一生忘れられない光景の一つになるだろう。

 

昨年の祖母のお葬式の後

私と子どもたち3人だけの素晴らしい時間をプレゼントしてくれた。

四十九日には、父と母と息子とのドライブを実現させてくれた。

一周忌には、弟が秋のホタルの光景を見せてくれた。

改めて、祖母の深い愛情を感じる。

 

    名月が沈むとき

 

この夜もまたあまり眠れなかった。

悩みとか心配ごとがあるからではない。

新しい出会いや記憶をたどる旅が、脳のどこかを刺激しているように思う。

うとうとして、目が覚めると朝の4時過ぎだった。

窓際に置かれたベッドで上体を起こして、カーテンを開けると

まさに昨夜見上げた中秋の名月が、西の山に沈むところだった。

 

周りを山に囲まれた私の実家の上の空は小さい。

その空に、びっしりと星が詰め込まれている。

ベッドに横たわると、ひときわ目立つカシオペアのWが北の山の木の中に沈んでいく。

裏を流れる小さな川の音が聞こえ、東京より30分ほど遅い夜が明ける。

 

   

    東へ帰る朝

 

18切符の残りはあと一回だ。

息子に一回分だけ使わせていれば、東京までの途中のどこかで

もう一泊の旅が出来たのにとも思ったが

もう十分だ。

神石高原から朝のんびりと出発していては、到底一日で東京には戻れない。

朝早くから弟を運転手にするのも申し訳ない。

最後の18切符で行けるところまで行き、その先は新幹線に乗ろうと決めた。

 

小さな裏庭に出てみると、数年前私が東京から送ったオシロイバナの種が

ふるさとでその命をつなげている。

昨日父が気にしていた柿の木は、今年も沢山の実を付けている。

もう一度父を訪ね、また来るからねと告げる。

ここ数年は、年に二度ほどの帰省ができるようになった。

時間とお金が許す限り、なるべく顔を見せてあげよう。

その位の事しか、私にはできないから。

 

珍しくこの日は母と一緒に写真を撮ってもらった。

写真館の看板が気になるが、これが私の実家である。

私が高校に入った時くらいだろうか。

祖母と母と私の身長が、全く同じだった頃があった。

私は遅咲きで、中学で15センチ

高校に入ってからも5,6センチ背が伸びて

実は20歳過ぎても1センチ伸びたのであるが。

祖母も姿勢のよい人だったが

母も姿勢がよいせいだろうか、道が斜めっているせいだろうか

母の身長が縮んだようには見えない。

私は猫背気味であるので気を付けないと先に縮む。

 

出かける朝、母とお茶を飲んで話をした。

たった二人の姉弟のあんたたちは、

これから先も仲良くして欲しいと、急に声を詰まらせた母。

老いた父と母、どちらが先に逝くかわからないが

その時は、姉と弟が協力してうまくやってほしいという事だろう。

その気持ちは息子と娘を持つ私にも最近になってよくわかる。

多分それは、人間の本能のようなもので

血のつながりのある者同士が憎しみう事の方が普通ではないのだと思う。

 

親より早く死なないようにしよう、とつくづく思った。

 

   

 

    幸運仏

 

福山からは適当な列車で東に向かえばよい。

せっかくだからと通りすがりにある、幸運仏に立ち寄った。

ここは弟が撮影監督をした神石高原町のPR動画に出て来る恋人の聖地だ。

ここを訪れた沢山の人たちが、その後よいご縁をいただいて結婚したと聞く。

この提灯はそのお礼にと奉納されたものだそうだから、かなりのご利益があるらしい。

しかし、当の弟はいまだ独身だから

※ 効果には個人差があります

と申し上げておこう。

 

 

    東へ

 

駅に着くと、良いタイミングで福山始発の姫路行の電車が停まっていた。

山陽本線でいよいよ東に戻る。

行き当たりばったり倒れるまで、いや戻れるところまで戻って

最後は新幹線で品川までひとっ走りだ。

天気もよくて、電車の遅れもなく

乗り継ぎに余裕のある駅でパンを買って小腹も快調。

ホームからホームを走りまくって、座席も全線で確保。

時刻表を見ると、どうやら豊橋までは鈍行と快速で行けそうだ。

豊橋からはこだまでしょうか。。

いいえ・・・ちょうど豊橋に停まるのぞみに乗れる時間にぴったり合う!

その時間は20時47分。

それに乗れば自宅へは22時半に帰りつける。

私は余程日ごろの行いが、いや、運がよいらしい。

 

そして確かに、この日に上京を強行して正解だった。

翌日は関西方面でまた大雨が降ったようだ。

列車のダイヤが乱れればそれこそ家まで帰りつかなかったと思う。

 

 

 

    夏の終りの旅

 

心の芯からリセット出来る旅だった。

追憶の道は、もう二度と歩くことはないだろう。

これからは、前だけを見て歩く。

それは、過去を後悔するという事ではなく

過去に無駄な時間は一秒もなかったと思えるからだ。

 

 ^^;

 

そして今回の旅は、今の自分がどれほど幸せであるかに気づかせてくれた。

家に戻れば待っている日常が、違うものに思えてくる。

 

 

    旅は続くよどこまでも

 

列車は時間通り品川駅のホームに滑り込んだ。

電車を乗り継ぎ、自宅の玄関のかぎを開けた時

この夏の旅は終わった。

しかし、私の旅はまだまだ続くだろう。

 

 

東に帰る朝、祖母にお線香をあげた時に

たった一つだけ謙虚なお願いをした。

 

 

 

これからも無茶しますが、きっと守ってください。

 

 

 

 

おしまい

 

 

 

今回の旅の電車の移動距離 約1500キロ

運賃換算額 約42000円(息子の分も含む) *18切符は11850円

内容はプライスレス。

 

18切符は私の夢と挑戦。

青春を取り戻す旅のチケットなんです。

やっほーーーー!

 

 

 

 

 

長くなってしまいましたが

最後までお付き合いくださりありがとうございました。

勝手に疲れました。

燃え尽きてしばらく休みますと言いたいところですが

見てほしいものもあるし、まあぼちぼち。

 

お彼岸ですね。

お墓のある方はご先祖様にお参りしてください。

 

感謝をこめて

つる姫 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    


私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。

コメント一覧

つる姫
ブライトあいさん
いつもありがとうございます。

弟とは5歳年の差があり、私が高校から家を出て
そのまま上京した時まだ彼は中学生。
なので学生時代はほとんど絡みがありませんでした。
弟が上京して来てから、一緒に飲みに行ったりするようになり
東京で頑張る「同志」のような関係でした。
彼も沢山苦労したと思います。

秋のホタル素敵でしょう?
名月の下で見れた事も素敵な思い出になります。

今日も眠れなくてこの時間です 汗
エネルギーを受けているのかしら。
それとも酒が切れたかな 爆

あと一時間うとうとします。

ブライトあい
素敵な旅
長編旅ブログお疲れさまでした。
嬉しく読ませて頂きました。

私も弟とは仲が良かったので
つる姫さんと弟さんの温かな繋がりを
とてもほっこり感じると共に 
我が弟の事を思い浮かべました。

秋の蛍、初めて知りました。
素晴らしい自然に包まれたつる姫さんの故郷、
雲の映る川の風景も素敵です。

太陽の光をフルに反射する満月の夜に
眠れない人は意外とたくさんいるようです。
満月を挟んで3日ほどは、同様の強いエネルギーらしいですね。


つる姫
ブラボーさん
父は在宅ではもう無理で
だいぶ前から施設に入っているんです。
リハビリもできない訳ではなかったのですよ。。

血の繋がった母でも思う事は色々ありますが
嫁に行くのも遅くて心配かけ
挙句にアメリカに行って心配かけ
結婚しても色々と心配かけ
でも、今回は
「今が一番幸せ」と言える自分が
やっと親孝行で来たなと思えました。

弟とは独身の頃から一緒に飲みに行ったりして
仲良しでした。
もしも彼にお嫁さんがいたらこんな関係は続かなかったかも。
価値観も似ているし第一引き出しをたくさん持っている
弟の話は聞いてて飽きる事がありません。
私は本当に幸せ者です。

お婆ちゃんから教わった事を
子どもたちにつなげていきたいと思います。
それがお婆ちゃんへの恩返しです。
ブラボー
心に残る旅の日記
良い旅でしたね
旅立ちの朝、親子の会話に涙しました。私達姉妹は
いつからこんな事になってしまったのか。。。

姉弟の会話、目線同じで仲良しの様子羨ましい限りです。

お父様の事。。リハビリは家に居て頑張ろうと思っても
なかなか続きません。お母様もご苦労が有ったと思う

直ぐ前の施設に入所出来た事はお互いにとっても
とてもラッキーな事だと思います。

コレからお婆ちゃんもきっとあなたの人生をヒヤヒヤしながら
見守ってくれてる事と信じてます。
つる姫
テバネさん
ありがとう。
そういう事で最後は新幹線よ。
でこのビールは背景を見るとわかるけど
新幹線の中

激爆

写真一枚追加しました。
テバネ
お疲れ様でした~
帰りも楽しみにしていたのに・・・・切符切れとは
予想外ですな(涙)
読んでいても内容の濃い旅だと思う。

帰宅後は・・・本物のビールなんだ(激爆)

その気持ち・・・わかるね。
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