☆つる姫の星の燈火☆

#1961 長崎原爆の日

先日に続き今日は長崎の原爆の日です。

心から祈りましょう。

 

昨日、録画していた、広島の被爆者、被爆二世、三世の事についてのアメリカ側の追跡調査の事を取り上げた番組を観ました。

被爆者の病気や、生まれてくる子どもの異常とかその後の病気などの、原爆との関連を調べたものでした。

新生児の奇形や病気などに関しては、同じ時期の他の地域と比べてほとんど差はありませんでした。

少し他の事をしながら観てしまったのですが、調査した人が被爆者に対して「選ばれし被験者」みたいないい方をされていたのには、とても憤りを感じました。ハエやモルモットと同じような目で見ているのか・・・。

そして、東日本大震災の後の福島の子どもたちの甲状腺の異常を、原発事故と関連付けるには疑問がある、という話を聞いたときの事をおもいだしました。不都合な真実はいつも闇の中?

 

台風や地震など、悪意のない自然の災害ではない、人の作った恐ろしい武器。

ギリシャ神話の、人間に火を渡したくなかった神様の話。ご存じでしょうか。

子どもたちの学芸会(学習発表会)で、観たような記憶があるんですが、愚かな人間に「火」を渡してはいけなかったのでしょうか。

火はとても大切で、灯りにもなれば暖をとるものにもなる。料理にも不可欠。

しかしそれを武器にしたら。。

先日花火の由来の話をしましたね。最初は合図の狼煙として使った硝石が、そのうち武器として使われるようになったと。

同じ由来のものが、人々を癒す花火にもなりました。

 

私はアホなので平気でこんな事が言えますが、たとえば星は見上げてため息をつき、線で結んで星座を作るもので、いつまでも人々のあこがれや畏敬の対象でよかったんじゃないか。

月にはウサギやかぐや姫が住んでいてもいいんじゃないか。

何も多額の費用をかけてロケットを飛ばさなくても、せいぜい気象衛星を送る程度でいいのではないか。

所詮人間は大自然には敵わないんだから、今住む地球のために、人々が平和に安全に暮らすためにお金使えばいいんじゃないか。

話が違っちゃったかもしれませんが、科学は人々の平和のためだけに発達してほしいものです。

 

ナガサキに向かって合掌。

人々の犠牲の上に成り立った今の平和。

平和だからこその贅沢な悩みもある。

しかしながら、爆弾の降らない戦争は常にあるように思います。

多かれ少なかれ人はいつも戦っているのではないでしょうか。

戦う相手は、自分自身なのかも知れませんね。

内面的な戦いは、自分を高めて行くものであればよい戦いだし、苦しい戦いなら自分を許せば終わるんです。

勝ちも負けもない終戦です。憎む相手もいません。

病との闘いもあります。これもきっと勝った負けたということではないのでしょう。

なかなか、言葉にすると難しいです。

 

平和のための祈りと感謝をこめて

つる姫

(ブログ開設から2580日)


私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。

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