☆つる姫の星の燈火☆

ある大学生の想い

help RSS 今日はこの記事を読んでもらいたくてコピペしました。

 

人の死から学ぶこと。

2013/05/21 01:10
先月、大学の先輩が亡くなりました。


重い話題ですが、忘れたくない感情なのでここに記します。この死から、何を学んだかを。


先輩は僕の一歳年上で、4月から社会人になったばかりの人でした。明るくて元気で思いやりがあって、欠点を探す方が難しい人でした。


そんな素晴らしい、憧れの先輩が、事故によって亡くなりました。



最初に訃報を聴いたときは、現実として受け止めたくありませんでした。そして、なんとかその気持ちを誤魔化そうとしました。


でも、やはりできなかった。先輩が亡くなったということを受け止めると、その日は気持ちが沈みました。



『このままじゃいけない。』



ある程度心が落ち着いたとき、そう感じました。


『ここで悲しんで落ち込んでいるなんて、先輩に向ける顔がない。』


そう思うと、普段通りのメガポジティブが戻ってきました。



“全ての出来事に意味がある”



自分の中で、とても大切にしている言葉です。


言い方は悪いかもしれないけど、絶対この死にも意味があって、このタイミングで訪れるべきことだったのだと、捉えてみました。


この死から、多くのものを学び取ること。それが、先輩にできる唯一のことと思うのと同時に、今やるべきことであると感じました。



まず思ったのは、「再びなんて保証されていない」ということ。


先輩とは「次にまた話しましょう!」と言ってお別れしたのが最後でした。数か月前に。


まだまだ話したいことはたくさんあったけど、もう言えません。


話せるときに話しておく、伝えられるときに気持ちを伝える。


今という奇跡や、その大切さを改めて実感したのと同時に、次がないと思って今を全力で生きる必要があると感じました。




そして、多くのことを学んだのは葬式の時でした。


多くの参列者が泣いている姿をみて、先輩がそれほどまで多くの人に愛されていたんだなということがわかりました。


人は、死んだときにその命の価値が示されると思います。


仮に、僕がいま死んだら、こんなに多くの人が泣いてくれるのだろうか・悲しんでくれるんだろうか。そんなことを考えました。


人とのつながりを濃く、大切にしていた先輩だからこそ、こういう葬式になったのだと思います。


僕はまだ、こんなに多くの人が悲しんでくれないんじゃないかなと思います。


泣いてほしいとは思わないけど、それほどまで誰かにとって大きな存在であるように、今まで以上に人とのかかわり方を濃くしていこう。そう学ぶきっかけでした。



そして、多くの人が泣いている姿をみて、先輩は悲しいのかなと思いました。


“人は、自分の鏡である”


これも、僕が大切にしている言葉です。


簡単に言えば、人は自分を映す・自分は人を映すという意味です。


その哲学から言うと、こっちが悲しんで泣いてしまったら、相手も悲しいだろうということになります。


だから、涙は見せないようにしました。しかし、この状況で笑顔でいるのもまた違うので、笑うことはありませんでしたが、悲しみよりもこの気持ちを届けるようにしました。


“ありがとう”


一番好きな言葉です。


本当に多くのことを教えてくれた人へ、感謝を伝えることにしました。


いくらでも、あとから悲しむことはできます。しかし、最後の対面の時は、ありがとうと伝えたかったのです。


これが、最後の対話ですから。


最後くらい、悲しんで送り出すこともないかなと思って。



そして、未来につながることで、とても重要なことを学びました。


先輩の日記や手帳が置いてあったのですが、そこには何が書かれていたでしょうか。




そう、言葉です。




何気ないメモや日記でも、それはずっと残ります。


文字だけではありません。直接言われた言葉も、いろいろ思い出せるのです。



“自分の体を出た言葉は、どこかでずっと残る”



これを目の当たりにした気がしました。


どんなに素晴らしい考えを持っていても、行動に移さないと意味がないように、


ずっと心に秘めていたことも、自分が死んだら一緒に死んでしまいます。


でも、もしそれを誰かに伝えていたら。手帳にメモとして記していたら。それは、違う形で残ります。



“言葉の持つ可能性”を知りました。



それを考えたとき、僕の夢に向かって走る気持ちが、再燃しました。



本を書く。



自分の得たこと、感じたこと、学んだこと、お世話になった人のこと、紹介したいもののこと。


多くの経験は、僕の心の中にあります。それを、本にしようと執筆しているのも事実ですし、こうやってブログにも多くの気持ちを綴っています。


その行動の先にある 可能性 を知りました。


そうやって言葉を残しておくことで、仮に自分がいなくなっても別の誰かに伝わるかもしれない。


時間がかかっても、自分の意思が生き続け、誰かにつながっていくかもしれない。


そう思ったら、本気で発信していく気持ちがまた、着火しました。



しかし現状は、ゆっくりしか進んでいない。



『もし、今死んだら、僕の頭の中にあるだけで、この経験は世の中に存在することはないんだ。』



そう思うと、それをなるべく早くやるべきであるということにも気づきます。



その、頭の中にあるものが言葉として残っていたら・・・。


ブログもそうですが、本という形で残っていたら。



それが伝わった先に、何かが始まるかもしれません。



ここでちらっとですが書くと、この経験は僕の将来の夢が持つ可能性にも、さらに輝く希望の光を差しました。


僕は、表現者として生きていきたい。


様々な形で自分の思いや、見た景色、感じた思いを発信していける人を目指します。


それには、自分が死んでも生き続けるという可能性を秘めているのだと気づきました。


そしてますます、自分の夢への期待やワクワク感が増してきました!



取り留めもない文章ですが、人の死であっても受け入れて、何かを学ぼうとすれば、意味のある出来事になるということです。


ただ悲しんでいるより、そのほうが死んだ人に対しての姿勢としても良い気がします。


まあ、いろんな考えがぶつかり合うような論題ですが、僕はそう思ったというだけです。



とにかく、生きているときにも多くのことを教わった先輩に、死んだ後からも多くを学ばせてもらいました。



僕もそうやって、自分が滅びれど心で生き続ける言葉を残し続けます。生きているうちに、早いうちに。



人間はいつ死ぬかわかりません。


死んだときにやり残したことがないように、今を大切に生きていきます。


永遠に残る 言葉 というツールを使いつつ。それを、残しつつ。





先輩、どうもありがとう。ゆっくり眠って、天国でも明るく元気で過ごしてください。


学んだことを活かして、これから生きていきます。


見ててくださいよ!!!




重い内容でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これを書いたのは21歳の大学生です。

なんて純粋なのだろうと、胸が熱くなりました。

人の死に直面して、悲しみを希望や目的に代えて行く。

 

私は、人はみんな表現者だと思うのです。

生きている生き様自体が自分を表現している。

周りには色んな人がいて、学ぶ事が沢山あります。

それを自分の価値観などの網目を通して

自分の中に落とし込むかどうか。

 

若い時の熱い想い。

経験を重ね日々を生きて行く間に、失ったり変わったりしてしまうかも知れない。

私自身の20代は波乱万丈でした。

正確には10代後半からの自分を振り返ると、悩み多き日々でした(笑)

感謝するということを全く知らなかったからです。

今にして思えば私は幸運だったと思いますが

本当に大切な事に気づくことなく、世間体や他人の価値観に振り回されて生きていたように思います。

そういう意味でも、この20代前半の若者には自分に自信を持って

何も大きなことはしなくていいから、その生きざまを見る人に

夢や希望を見出してもらったり、笑顔になって貰えるような生き方をしてほしいです。

 

<<人は、死んだときにその命の価値が示されると思います

彼はそう表現していますが、命の価値はみんな平等なのです。

どのように生きてきたか、がわかるのだと思うんです。

 


<<僕もそうやって、自分が滅びれど心で生き続ける言葉を残し続けます。生きているうちに、早いうちに。

言葉は大切な手段ですが、それがすべてではないと私は思います。

しかし、言霊というように言葉には不思議な力が宿っていますから

汚い言葉を使わないように気を付けなければ、と改めて思います。

そして、<<早いうちに、

と焦ることなく日々を積み重ねて欲しいのです。

一日先には、また新しい言葉が生まれるかも知れないから。

 

 

お若くて逝かれてしまった先輩の親御さんの心中は、想像するだけでも胸が押しつぶされそうです。

出来れば「順番」を守ってもらいたいと思いますが、本当にこればかりは誰にもわかりません。

私もこの若者から、「今を生きる」「命を生きさせていただいている」事を学んで

悔いなき一日を過ごしたいと思います。

こんな反面教師にしかなれない人間ですが、今日一日の命をつなげられたら

感謝です。

 

そして、

この拙いブログで発信している内容に疑問を持ち始めていたところでしたので

大いに考えさせられる記事でした(大汗)

毎日ご訪問してくださっている皆さんに申し訳ありません。

人を笑顔に、が一番の目的でしたが

まだまだ修行が足りませんな

 

今日は確か、午後から仕事なような気がしますが

確認します。

 

 

 

仕事でした

 

長くなりました。

今日も一日笑顔で過ごせますように。

感謝をこめて

 

つる姫

 

 


 

 

 

 

 

 

 


私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。

コメント一覧

つる姫
テバネさん
はい、わかってます。
生きていれば付き合い的なものは絡みます。
いやというほど(爆)

そう、生きているうちに人が集まるのが一番です。
家には、滅多に人が来ませんが(自爆)

孫の顔見てから死にたい、という意味が
なんとなくわかった来たこの頃。
自分の命をつなげたい見届けたい、という事なのかも知れないですね。

人間は何かと複雑じゃの~
テバネ
祝い事と葬式は極論と言えばそうなんですが、
生きていれば何かと付き合い的なものが絡むので
こんな書き方しました。

やはり、人としては人の集まる家庭を築きたいですね。

孫の顔・・・・・・・・・もうすぐですよ。
そう、直ぐに婆さんに・・・なるよ(激爆)
つる姫
テバネさん
私の考えはちょっと違うんですよ。
お祝いも葬式も
来る人や泣いてくれる人の数ではないと思ってます。
もちろん何百人もの人に死を惜しまれるほどの
人で生きてきた、ってことは素晴らしい事だと思いますよ。

生きている間、自分自身が本当に幸せだったか。

今もし死んだとしても
悔いは残らないな。
思い残すことはあるけど(笑)

孫の顔が見たい(爆)

テバネ
表現の違いだと思いますが、当然いかなる者の命も
平等ですね。
ただ、私の考えは、自分のお祝いにどれだけの方が
来てくれるかではなく、自分の葬儀の時にどれだけの
方が来て、悲しんでくれるかが重要と思っています

それと悔いの無い人生を送るって事ですかね~
今より昔が良かったとは言いたくない。
昔は大変だつたね~と言いたいですね。

しか~し・・・・・毎日悔いがのこってますがね(自爆)
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