まだ涙が止まらない私です。
今年の2月6日。
同じ誕生日の彼の13回目のバースデーには、私は入院していて
一緒にお祝いしてあげられませんでした。
家族も留守がちだったので、一人ぼっちでハウスの中にいたのです。
次の誕生日に彼がいないと思うと辛いです。
楽しい思い出もありますが、今は、してあげられなかったことばかりが悔やまれます。
特に9月の初めに10日も私が留守にして、最後の頃の時間を一緒に過ごしてあげられなかったこと。
私が帰宅してしばらくしてから体調が急変したのも、その間のストレスがあったのかも知れないと。
淋しかっただろうなって。
今日書く事は支離滅裂になってしまいますが許してください。
どうあらわしてよいのか全く分かりません。
今は思うのです。
形として生きているすべての命は「生きているうち」がすべてなのだな、と。
自分が日々を悔いなく生きる事ばかり考えていたように思えます。
毎日毎日、愛する者に何らかの形で愛を伝えておかなければ
死んでしまってからでは遅いって思うんです。
生きている事って、素晴らしい事であり
また、反面とても辛い事でもあるのだなって。
最期、ご飯はおろか、水さえ自分で飲めなかったロッキーは辛かっただろうね。
息が止まった時、とても安らかな顔になったのは、身体という物体から離れて
楽になったのだなと感じます。
彼にもらった沢山の宝物の意味を考えて、涙が乾くのは今少し先になりそうです。
ロッキーの身体から命が抜け出した翌朝。
空にはホワイトカーペットが広がって、南から北へ流れ
ロッキーの行く道を作ってくれていました。
亡くなる数日前、彼はどんな光を見ていたのでしょう。
お日様の光に照らされたロッキーは気持ちよさそうに目を細めていました。
ロッキーとして永遠の眠りについた身体は、翌朝になっても暖かく
本当に死んでしまったのかと、何度も心臓に手を当ててみました。
お花の匂いを嗅いでくしゃみをして目を覚ましそうでした。
なくなった後の写真はどうかなと思いましたが、安らかだったので載せます。
本当は私の好きなコスモスで満たしてあげたかったのですが
数件回ったお花屋さんには、コスモスの鉢植えさえありませんでした。
ありがとう、バイバイ、ロッキー。
10月11日、ワンワンの日(笑)
(イイ日)の旅立ちでした。
今は小さな骨壺の中に入っています。
最初は共同墓地に埋葬してもらおうという話になったのですが
どうしてももうしばらくそばにいたいと思い直しました。
今まで、死んで灰になってしまったモノには何の意味もないから
海にまいてくれ、と豪語していた私の、周りの人に対する思いやりのなさを感じました。
この辺りの意識も多少なりと変わったかも知れません。
写真は写真館をやっている広島の実家に行った時
弟がスタジオで撮ってくれたものです。
遊び心は私と同じ弟が、
WAN!OF THE YEAR 2002 と書いてくれています。
2002年8月ですから、生後半年の子犬の時です。
緊張したのか、この後おしっこを漏らしたのを今でも覚えています。
この頃に初めて足をあげておしっこをし始めたことも。
それにしても、涙というのは涸れる事はないのでしょうか。
ロッキーの話はしばらく出てしまうと思いますが
次に記事にする時は、楽しい事を書きます。
ありがとう
つる姫