まずは昨日のワールドカップ決勝戦。
見ようと思ってサッカーの試合を観るのは二度目でしたが
始まったとたん、おおっ、アメリカの動きがすご~~い
サッカーはまるで分らない私も、日本は勝てないんじゃない?と思いつつ
ゆっくり観戦しようと、観戦体勢を整えているうちに、ムムッ!
あっという間に2点、み、観てなかった~!
続けて3点目を奪われました。
そうこういっている間に4点目が入り、こりゃあかんと思っているうち
日本も2点返しましたが及ばず、残念でしたね。
勝負は文字通り勝つか負けるか。
もちろんそこに行くまでの努力は半端ないと思います。
なでしこの皆様、監督様関係各位。
応援の皆様もお疲れ様でした
私が言う事でもないっすね。
さて、今日は七夕ですね
こう見えてもつる姫、虫ばかり見ている訳ではありませぬ。
大好きな宇宙に思いを馳せる事もあるんです。
138億年前、宇宙は何もないところから生まれたと言いますが
何もない、という事はこのちっぽけな脳みそでは想像もつきません。
ビッグバンは一つだけではなく、至る所で同時に起こったらしいです。
10億分の1の速さで膨らんだ、巨大な泡のようなものだそうです。
いまだに膨張を続ける宇宙。
私たちはどこにいても常にその中心にいる、という事らしいですよ。
銀河は5000個もあり、そのうち私たちの太陽系では、5000万年かけて太陽が出来ました。
45億年前、ぶつかり合っていたチリのかたまりたちが、惑星の原型を作り始め
その後、互いの重力によって動きが止まり
数100万年かけて、地球が今の大きさになったらしいです。
どれもこれも、気が遠くなるほどの時間ですね。
すべてが奇跡であり、どれ一つがかけても今の私は存在しないという事です。
私たちがため息をついて見上げる美しい星空は
途轍もない奇跡の輝きなのです。
さて、たかが数十年前ですが
追憶の彼方の七夕の思い出を書きます。
私の実家は何度も申しますが、広島県北の山の中。
自宅のすぐ裏には小さな川が流れていました。(高光川)
カワニナがいっぱいいて、夏は蛍が飛びます。
おっと、これは私じゃあありません。10年ほど前の息子とロッキーです。
梅雨真っ只中の七夕の日は、必ずと言ってよいほど雨か曇り空でした。
幼稚園や学校で作った、願い事を書いた短冊の付いた七夕飾りを
雨で増水し、茶色く濁った川に流す時の光景を今でも覚えています。
幼い私は短冊に、どんな願い事を書いたのでしょう。
全く記憶にありません。
その願いは流れ流れて、やがて天に上り
銀漢に流れ着いたでしょうか。
そんな事は今日の今まで考えたこともありませんでしたが
今度銀河を見上げるとき、そこに幼い私の願いが鏤められているかと想像すると
私にとっての銀河は、今までと違った輝きに満ち溢れる事でしょう。
晴れた夜には、山に囲まれた小さな空で
漆黒から接がれてこぼれ堕ちんばかりの星が輝いていました。
三十路を過ぎた頃、ロッキー山脈の麓で、人生最高の星空を見たと感じましたが
最高に美しいのは、幼い頃見たあの星々だったと、たった今確信しました。
そんな今、たとえ雲一つなく晴れていても
東京の空にあのような星々を見る事はできません。
しかし、街の灯りを闇色の絵の具で塗りつぶした時
天上で漆黒の板に嵌められた無数の星が
粛々と輝いているのをイメージすることは出来ます。
私の中の星々の記憶は、それほどに鮮明です
追憶の彼方にある、いや・・・
自分の胸の中にある、あの星たちの輝きを思い出し
あの頃の夢は叶ったのかなと、自分に問いかけてみる。
そして、今の夢や願いは何ですか?と聞かれたとき
はっきりと答えられる自分をとりもどしたい。
先ほどのテレビによりますと
願いというのはもともと、ねぎらう、労うという言葉が元だそうで
神様に対しての労い、つまり感謝を意味する言葉だそうですよ。
神様=宇宙だと思います。
想像も及ばない宇宙だけれど、私たちも含め、すべてのものが
その宇宙を構成する一分子なんです。
ううむ、今日のつる姫は詩人ですな。
星には特別な想いがあるつる姫の七夕の朝でした。
何かとタナボタを期待する姑息なオバサンのタナバタの朝の独り言。
7時7分7秒に投稿してます
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
素敵な一日をお過ごしください。
ありがとう
つる姫