昨日も暑かったですが、一昨日に比べて雲は多め、暑いには変わりませんが、少しだけましだなあと思っていた夕方。
都心も、ものすごい雷雨。どこかでは、雹も降ったみたいです。
うっかり開けていた小さな窓から雨が吹き込んで、階段に滴り落ちている始末。
稲光も雷鳴もすごかったですが、なるべく平静を装っていたので、こたろうも、騒ぐことはなかったです。
レジ袋が風でカサカサする音にビビるくせに、こういう時には肝が据わったわんこです。
飼い主に似て。
雷鳴も遠くなり、雨がやんだ後は、空気がクールダウンして、クーラーなしでしばらく過ごせました。
もう少し早い時間なら、虹が見れたかもしれません。
一昨日の夜はほどんど眠れなかったのですが、昨夜はまあまあよく眠れて、今朝は割とすっきり起きれました。
割と、というのは、私にはスッキリ快調!って日が、もはやどんな日なのかわからないからです。
わからないというか、ないに等しいのかも?
結婚して子育てして・・心臓病がわかる前から疲れやすい方でした。
自分はそういう体質なのだと受け入れていますが、そうは言ってもずっこけで過酷な旅も出来ていたので、どちらかというと精神的なものが身体に出やすいのだと思います。
私は、つながれた風船のようなものなのかなあ、と今ふと思いました。ちょっと意味わかりませんが、そんな気がします。
子育ての頃は、疲れて疲れて、身体も心もですが、自分は怠けているだけだろう、と思っていました。
しかし、子育てが終わった頃になって、心臓が悪かったと知って、怠けたかったわけではなかったのだと、合点がいった次第です。
今ではだるくてもしんどくても、心臓がバクバクしなくて、何処も痛くなければめでたしな一日です。
普通の体調、というのはひとそれぞれなんでしょう。
話がころりと変わり、長くなりますが、昨日何かの機会に、環世界という言葉を思い出しました。
すべての生物は自分自身が持つ知覚によってのみ世界を理解しているので、すべての生物にとって世界は客観的な環境ではなく、生物各々が主体的に構築する独自の世界である。
というような、理解の難しいものですが、そういえばかなり前、この概念の事にとても興味を持ったことがありました。
例えばですが、今はなくてはならなくなったスマホから得る情報の事を例えてみると
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好きなものだけにかこまれて、気分を害するニュースや投稿を避けられることは心地よいもの。
カープが負けた時には、その詳細は見ないし。
笑
情報環世界にい続けたくなる気持ちも分かるが、ただそうなると、”他者と知覚しているものが違う”、というシンプルな事実を認識することが1番難しくなる。
小さな部屋に偏った情報だけが反響する“エコーチェンバー”は過激な思想の温床ともなり、社会の分断を時に促進する。
陰謀論なんかもその一つ。
街をすれ違う人のスマホの数だけ、独自の情報世界があって、世間も皆自分と同じものを見ているはずだと盲信する人は、
その甘美で危険な渦に巻き取られてゆきます。
情報環世界は、世界情勢に対する世論にも、極端に大きな影響や、冷徹な無関心を引き起こすことができます。
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というようなことが書かれていますが、要するにみんなそれぞれ、自分が実際に見た物からではなく、自分に都合の良いものだけ見て、不快だと感じるものはみないようにできるのです。
私は、基本的に自分の経験したことしか信じないような傾向もありますが、そうは言ってもやはり入ってくる情報を信じてしまう事も多々あります。
それは仕方ないことですが、嘘や偽の情報まで、あたかも真実のごとく広まっていく恐ろしい人間の社会。
お金稼ぎのための、迷惑ユーチューバーもおられます。
環世界について、掘り下げればきりがないし、私の書くことは、にわかな薄い知識ですのでご了承ください。
気になる方はじっくり調べてね。
このような言葉があるそうです。
「私は、私と私の環境である」
自己中心的な世界ではなく、「私」と「環境」の相互作用の結果が「私」である世界、を表す言葉である。
私とは、環境から五感で感受する経験全てに影響を受けた常に変化し続けるものであり、他者との関わり合いの中で構築し
続けられてゆく。
私を私たらしめるものは私の身体の中だけにあるのではなく、共生する生物、行った場所、見てきたもの、出会った人々、
環世界を越境し、私はどこにでも在る。
環世界を知るということは自分を知るということでもあり、環世界を救うことは、自分を救うことに他ならない。
人間は地球上の生物で唯一、想像や研究によって他者の環世界へ越境できる力を持っている。だからこそ、我々にしかできないことが沢山ある。
だそうです。
私の書くこの手の記事は、おおむねいつも中途半端で、主観が入り、道が逸れる事が多いです。
だからこそ、重ねて言いますが、興味を持たれた方は、ご自分で調べて掘り下げてみてください。
環世界という言葉の本来の意味とは離れるでしょうが、周りにある世界は自分の写し鏡、という言葉もありますね。
私は私、と思いますが、私が私たるには、私だけではありえないという事なのでしょうか。
は?
さて、今日は都知事選挙です。
消去法にしてもまだ迷う自分がおり、情報を操作するのがうまい人がおられるようですが、惑わされないようにとは思いつつ、でも、本人を実際に知ることは無理ですから、発信された情報から判断するしかないですね。
なんやかやゆうても、ものすごく大変なお仕事だとは思います。
冗談にしても立候補などする気にはなりません。
何を考えてなれもしないのに候補者におなりになられるのか、目立ってそれでお金になるような世の中だからかもしれませんね。
当選された方には、都民としてみんなが全員しあわせに、は無理難題でしょうが、頑張ってほしいとは思います。
誰かがやらにゃいかんのですし。
ほんと、人間はややこしくて大変な生き物ですね。
長くなりました。しかも、意味不明。毎度のことですが。
すべて私の見解で書かれたことです。
化粧して選挙行ってくる。
ついでに、図書館に予約していた本が入ったと連絡があったので取りに行ってきます!
このブログのきっかけとなった東日本大震災の、ちょうど4ヶ月後の7月11日、松島での一枚。
新幹線で向かう途中にも、福島で震度四の地震が起こっていました。新幹線止まらなかったですが。
このブログも、7月末でまる13年経ちます。
今後とも、生暖かい眼で見守ってください。
一度、読み返しましたが、意味不明ですね。
すいません。改めて出直します。
ご訪問いただきありがとうございます。
感謝をこめて
つる姫