奈良県の「騒音おばさん」を覚えているでしょうか。
言われれば直ぐにあの布団を叩きながら騒ぐおばさんを思い出すでしょう。
裁判も終わり、一年ちょとの有罪と決まりました。
しかし、今、ネット上でマスコミが伝えていた内容と異なる事実が出て来ました。
あくまでも、ネットの上でのことですから正しい情報とは限らないことを前提にして書いてみます。
まず、問題の一つはテレビ局が流した映像ですがこれは被害者と言われる方が写したものであるという点にあります。
報道の中立性を考えるならば対立する一方が映した映像を載せるは立場上問題があると思います。
それでは、これは事実ですがおばさんの夫は遺伝性の重い病に罹っていて、息子さんも同じ病気で入院中でした。それにその下の子供も病に罹っていて自宅で療養していました。
そんな状態の中に事件の二年前に隣に被害者と言われる夫婦が転居してきました。それまではおばさんは近所でも愛想の良く近所付き合いもする、普通に頑張っている人だったようです。いえ、病気の身内を抱えて頑張っていたのですから普通以上でしょう。
ところが、病気の子供が咳をしたりするのを五月蠅いと隣の夫婦は怒鳴り込んできたそうです。そして窓にライトを当てたりして嫌がらせを続けたそうです。ある日、20人位の人間がおばさんの家に押しかけて嫌がらせをしたそうです。
何故、そうなったのか。被害者夫婦は認めていないそうですが、近くに創価学会の本部があり押し寄せてきた連中は学会の人間であったようだったと話しているそうです。その事を考えると最初に入会を勧めて断られた被害者夫婦が嫌がらせをした可能性が強くなります。
これはあくまでもネット上の事ですから事実とは限りません。
しかし、裁判でおばさんが被害者は私の方だと訴えています。それを弁護士はどちらの味方か分からない対応をしています。おばさんに今後、訴訟を起さないと約束するように迫っています。それにおばさんは分からないと答えています。恐らく、弁護士は国選でしょうがとても、被告人側に立っているとは思えない質問を沢山しています。
マスコミはその後の経緯を報道していません。事件としてはそれ程大きくありませんのでやむを得ないと思いますが本当にそれだけでしょうが。後で、事実に気付いて黙りを決め込んだ可能性も考えられます。
一人のおばさんの名誉等は社会の公器がわざわざ気にする必要もないと考えているかも知れません。ですから何時、私達、平民は社会の公器の餌食にされるか分からない現状にあることを自覚すべきでしょう。
言われれば直ぐにあの布団を叩きながら騒ぐおばさんを思い出すでしょう。
裁判も終わり、一年ちょとの有罪と決まりました。
しかし、今、ネット上でマスコミが伝えていた内容と異なる事実が出て来ました。
あくまでも、ネットの上でのことですから正しい情報とは限らないことを前提にして書いてみます。
まず、問題の一つはテレビ局が流した映像ですがこれは被害者と言われる方が写したものであるという点にあります。
報道の中立性を考えるならば対立する一方が映した映像を載せるは立場上問題があると思います。
それでは、これは事実ですがおばさんの夫は遺伝性の重い病に罹っていて、息子さんも同じ病気で入院中でした。それにその下の子供も病に罹っていて自宅で療養していました。
そんな状態の中に事件の二年前に隣に被害者と言われる夫婦が転居してきました。それまではおばさんは近所でも愛想の良く近所付き合いもする、普通に頑張っている人だったようです。いえ、病気の身内を抱えて頑張っていたのですから普通以上でしょう。
ところが、病気の子供が咳をしたりするのを五月蠅いと隣の夫婦は怒鳴り込んできたそうです。そして窓にライトを当てたりして嫌がらせを続けたそうです。ある日、20人位の人間がおばさんの家に押しかけて嫌がらせをしたそうです。
何故、そうなったのか。被害者夫婦は認めていないそうですが、近くに創価学会の本部があり押し寄せてきた連中は学会の人間であったようだったと話しているそうです。その事を考えると最初に入会を勧めて断られた被害者夫婦が嫌がらせをした可能性が強くなります。
これはあくまでもネット上の事ですから事実とは限りません。
しかし、裁判でおばさんが被害者は私の方だと訴えています。それを弁護士はどちらの味方か分からない対応をしています。おばさんに今後、訴訟を起さないと約束するように迫っています。それにおばさんは分からないと答えています。恐らく、弁護士は国選でしょうがとても、被告人側に立っているとは思えない質問を沢山しています。
マスコミはその後の経緯を報道していません。事件としてはそれ程大きくありませんのでやむを得ないと思いますが本当にそれだけでしょうが。後で、事実に気付いて黙りを決め込んだ可能性も考えられます。
一人のおばさんの名誉等は社会の公器がわざわざ気にする必要もないと考えているかも知れません。ですから何時、私達、平民は社会の公器の餌食にされるか分からない現状にあることを自覚すべきでしょう。
もともと、被害者は反省する気は無いでしょうから。ですからおばさんが訴訟を起した方がすっきりするのではないでしょうか。弁護士は最初は心神喪失で刑を軽くする作戦だったようです。ところがおばさんはそれをしたくなかったようですね。支援者へのお礼の文章を見ましたがしっかりした文字と内容でした。