ゆったり山登り

北海道で暮らす自然が好きで、山登りやカヌーを楽しんでいるのんびり者です。
日々の自然や人との触合いを書いて行きます。

北風磯吉の墓

2010-11-27 09:54:33 | 日記
不思議なものですね~。

何時も遊びに行く年配のお友達がいます。(と言うより人生の先輩に意見を聞きに行くようなものですけれど)
昨日も、何時もの通りに行ってなにげに昨日の北風磯吉氏の話をしてコピーしてきた民話を見せたのですが、そこに一緒にコピーした作者の欄を見て、言いました。
「この方知っていますよ。この近くに土地を持っていてそこに鳥居があって毎年、お参りに大勢の人が来ています。」と言うではありませんか。あまりの偶然に驚きました。
それにしてもなんで鳥居なんだろうと。何を拝んでいたのだろうと思いましたが、とにかくカメラを持っていましたので、写真だけでも撮ろうと思い直ぐに場所を聞いて行って見ました。
見てまた驚きでした。なんと北風氏のお墓ではありませんか。画像のような木が3本っていました。その内の一本だけに名前と裏に創設の年月日と名前が彫ってありました。以前にはその木に横木が渡してあったそうです。ですから知人は鳥居と思っていたようでした。
それにも逸話がありまして、近所に少し頭がおかしくなった老婆がおり、夜中にその木をノコギリで切ってしまったそうです。何を考えて切ったのかは解りませんがその老婆今も元気だそうです。
著者の佐藤氏は今は函館に住んでおり今年のお参りにはこなかったそうです。ですが、このことで佐藤氏は北風氏にはかなりの思いがあったことが解りました。

鷲ノ木遺跡

2010-11-26 09:13:24 | 日記
この遺跡が見たくてこの夏、森町に行ったんです。町の教育委員会の方の話ではまだ発掘の途中なので見せられませんとのこと。虚しく帰って来た次第です。直径40M位と言っていましたのでスケール大きさが解ります。

昨日、地元の博物館に行った時にこの本「北の縄文世界」を見つけて分けて頂いたものです。何を目的に此処え行ったかと言うと。私は最近、アイヌ民族の民話に興味を持ったからです。それは日本民族の原点がそこにあると考えたからでした。そして、民話とはその土地その土地で昔話を子供達に伝えるためにあるのですから、当然、この地のアイヌにもあったと考えてその記録があるかを調べに行った訳です。

民話としては残っていませんでしたが、当地出身の方で北風磯吉というアイヌの方がいて色々な業績を残していました。その方の人生と習慣を佐藤幸夫氏が「北風磯吉 資料集」として一冊の本に残していました。その中の(28)説話に少しではありますが残してありました。

色々と面白い話がありましたが、その中に「問寒別の山男」と「雨竜の山男」と言う二つの話が載っていました。その男達は大変アイヌ達に恐れられており蝦夷松林の中に住んでおり、時々、アイヌを掠っていったとあります。
これを読んでいると昔はアイヌ人の他に違った部族がいた事になります。またまた私の興味が湧いてきて調べることが増えました。

なんて馬鹿なんだろう

2010-11-25 06:33:37 | 日記
年賀状用に不足気味のインクジェットを買ってきました。ところが色違いでしたので、ま、いいかどうせ無くなるのだからとまた買いに行って来ました。ところが、ところが今、機械に入れたら赤ランプがつきます。え、何故?とよく見ると他のとはサイズが違います。
間違って買ってきたようです。毎年、買っているのに何で間違えたのかと思うと悔しくて悔しくて。

これから散歩がてら姪っ子のところに行って彼女のプリンターに合うようならあげてきます。何時も、教えて貰っているので良い機会かもしれないし。

この季節

2010-11-24 08:56:49 | 日記
朝、雀に餌をやって見ていてふと思ったのですが。こんなに沢山雀がいるのに死ぬ時は何処で死んでいるのだろうと。いままで見た記憶がないのですよね。
確かに、昔の飼い猫、飼い犬は死期が近づくと自然と何処かに行って静かに死んでいったのを思い出しました。自然というのはそうゆうものなのですね、きっと。

毎年、この季節になると心が萎えてしまうからろくでもないことばかり考えてしまいまう。冬になるなと思い覚悟するのに暖かくなったりして気持ちが折れてしまいます。それでいて確実に寒くなっているので行動は狭められていきます。行動パターンが決められないのです。これは落ち着きません。
昨日は天気が良かったので諦めていた畑興しをしました。それも途中で日が暮れてしまい止めてしまいました。着るものもその日によって変えないと暑かったり、寒かったりでなんともめんどくさいのです。やはり、人は中途半端には弱いものなのですね。

春の変わり目は何ともないのに冬の変わり目は不安になる、やはりその後にひかえている気候に影響されるのですね。世の中も先が明るいと我慢も出来ますが、先が見えないと何事も暗いことしか考えられなくなるものなのでしょうね。ですから、私は今、なるべくニュースを見ないようにいています。そうすれば不安を少しでも抑えることが出来るかと考えています。それでは後ろ向き考えでは駄目だと言われそうですがこれも一つの選択でしょう。
でも直ぐに明るい方向に変りますので安心下さい。

太陽の道

2010-11-20 18:57:18 | 感想
最近読んだ本で日本にも太陽の道と呼ばれるレイライン(遺跡が何らかの理由で一列並んでいる状態。フランス、イギリスなどに見られる。)の考えがあることを知りました。

それは北緯34度32分の線上に東から伊勢の神島~斎宮跡~三輪山~箸墓古墳~淡路島の石上神社で終わる東西線のこと言うようです。その他にも線の直ぐ近くには沢山の遺跡があります。もともとこの辺りは歴史のある処ですから線を引けば何れかの遺跡当たると思いますが。そのせいか学説としては扱われていないようです。
写真家の小川光三氏がたまたま箸墓古墳で三輪山の山頂から朝日が昇るの見て考えついたそうです。

私は以前、茨城の霞ヶ浦にある浮島という地で発掘に参加したことがあります。当時は陸続きでしたが昔は島だったようです。東に霞ヶ浦がありそこに突き出るようにして島がありました。
その当時「謎の師楽式土器」と言われた製塩土器がその地で出土していました。発掘はその土器と東に位置するところに台地があってその上にあった古墳との関係を調査するというものでした。そして、二手に分かれることになって私は土器の方を発掘することになりました。
農家の土地を借りての発掘でした。村の人達が時々見に来たりしてお茶を誘われたりして楽しいものでした。師楽式土器を少しは勉強して参加したのですが、掘っている内に貝塚に当たり、尚かつその下からは祭祀遺跡が出てきました。初めて見るものばかりで戸惑いましたが、小さな石で出来た三種の神器の模造品は良く判りました。その他に底を欠いた土師器などが出土しました。
幾日か目の夕方、古墳の方を見に行くことになりました。林の中にありましたので景色がよく見えるように木に登ってみました。すると夕日が沈みかけていく方向にあの祭祀遺跡があることに気がつきました。古代に祭祀遺跡からは古墳の上から朝日が昇ってくるのが見えたのでしょう。そこに遺跡のあった理由が分った気がしました。

やはり、日本の神道は朝日を崇拝していたのでしょう。ですから日本中にそう言う遺跡が沢山あって当たり前のことと思います。