ゆったり山登り

北海道で暮らす自然が好きで、山登りやカヌーを楽しんでいるのんびり者です。
日々の自然や人との触合いを書いて行きます。

やっと活躍した蜂スプレー

2011-09-30 16:58:01 | 日記
発掘の各班には熊スプレーと蜂スプレーが誂えています。

熊スプレーに関して熊と遭遇した時に本当にスプレーを使用出来るかどうか疑問に思っていました。

それだけの落ち着きがあれば大丈夫だと思うしきちんと熊に向ける余裕などはないと思っています。

私自身はもし、遭遇してもただ唖然と見ているだけだと思うので心配はしていません。

勿論、今のところ熊スプレーのお世話になる事態にはなっていません。



一昨来、急に蚊が大量発生して私などは腕に十数カ所刺されました。

昨年は同じ頃にもこんな事はなく初めてでした。

女性の方は腰に蚊取り線香をぶら下げて仕事をしていましたが果たして効果がったのかどうか。

兎に角、今年は気候的に不自然な気がしました。

自然の中で仕事をしていると何故か気象の変化を感じることが出来ます。



今日、私の班が一番端にいたせいか最初に蜂がやって来ました。五人いる人の間を飛んでいたと思ったら隣の班に行きまたその先

の班に向かいました。

そんなことが三回ほどあって女の人がスプレーを思い出したのでそれを出してきて必死の戦いの結果退治しました。

彼女の奮闘には敬意を表ししますが果たして蜂に他意があったのでしょうか。

ただ単に人を観察していただけのような気もしましたが黙っていれば去っていったのでしょうけれど。

スプレーがあった為に命を落とす羽目になったのでしょう。

運命とはこんなものでしょうか。

エロチシズム

2011-09-28 18:54:51 | 日記
今、逢坂剛氏の「斜影はるかな国」を読んでいる途中です。
その中で主人公がフランコ軍に日本人の兵隊がいたことを当時の留学生から聞いてその痕跡を探しに行きます。
そして見たという町サラマンカを歩いていて路上のマンホールの蓋に注目します。
そのマンホールの蓋にはスペイン内戦の始まった年、すなわち日本人を見たという年、1936年の年号が刻まれていました。
そのマンホールをかっての留学生や日本人の兵士が歩いたかもしれないと思いを馳せます。
マンホールをしゃがんでいる見ている所を上から声を掛けられます。
この町まで一緒に来て朝から別行動を取っていた主人公が思いを寄せている彼女でした。
そこでマンホールの蓋にたいする思いを教え彼女がしゃがみ込んでそれを確認します。

その時に、彼女を上から見ていた主人公が心の中で呟きます。
「しゃがむ女と背伸びする女はしばしば男性の気をそそる」これは女性の魅力的な姿態なのだろうかと思いそれならば過去の有名な絵画や浮世絵に描かれているだろうと思いました。
そして、その様な絵を思い浮かべると意外に思い当たりません。
しゃがんでいる所を上から描いても構図として成り立たないからだろうか。確かにそれはあると思います。
しかし、背伸びする姿は別に構図としても問題はないだろう。だが思い当たりません。
私の浅博から分らないにしてもそう多くないのは確かだろう。
それでは先ほどの格言が間違っているかというとそうではないと思う。
確かに感じる何かがあると思うそれがエロチシズムではないかと考えました。
絵画に本当のエロチシズムを描くことはタブーなのではないだろうか。
浮世絵でも表には出せない春画と言うジャンルがあります。
エクスタシーを感じている時の顔の表現は江戸の時代でも正式には販売の出来るものではありませんでした。
ですから世界共通の認識で性に関する表現は芸術と認めてはいないのでしょう。
しゃがみ込む姿がそうだとは言いませんが主人公が感じた思いはその様なものだったのではないかと想像しています。

追記
 アラビアやインドの物語や石像には自由にその様な表現をしていますので芸術として残したかどうかは別にしておおらかな発想から考えれば問題はなかったような気もします。
恐らくキリスト教が色々な制限を設けていったのだと考えます。

何故かもの悲しくなります

2011-09-27 21:54:56 | 日記
先ほど、UHB放送の番組で「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」を見ていました。

番組自体は笑い主体の構成でしたので笑いながら楽しんでいました。

中には真面目に上手な物まねもありそれもそれなりに楽しんでいました。

その中で歌唱力が上手な組み合わせがありました。

そして松居直美さんがテレサテンの歌まねを歌い出しました。

歌が似ているからなのでしょうか、聞いててもの悲しくなりました。

何時も彼女の歌を聴くと悲しくなります。

歌詞の内容なのか歌い方にあるのかそれとも人生そのものに思いを描くからなのでしょうか。

中国を本国に持って台湾に生まれ謎の死を迎えた彼女の人生に思いを馳せるからなのでしょうか。

彼女の裏に色々と聞こえてくる政治的な暗略の話。

大国の思惑の中に一人の女性が巻き込まれてしまう不幸はあまりに理不順であり過ぎます。

それらのことが歌を聴いていると心に影を落とします。

私達にもっともっと伝えたいことがあっただろうと思うと残念です。

確固たる志

2011-09-26 18:56:50 | 感想
衆議院委員、石川知裕他2名に有罪判決が下った。

道内のニュースで無実を語る地元事務所や親の思いを放映していてた。

しかし、関係のない地域で無実を信じる人は殆どいないだろう。

現在のあまりに酷い政治事情に国民は諦めかけていると思う。

政治家のレベルの低さは国民の政治感覚の低さに他ならないだろう。

衆議院委員の選挙で立候補が地元に利益を還元すると言っているような候補を選ぶべきでない。

私は政治家は嘘を言うものだと思っている。私のような普通の勤め人でさえ嘘をつかないで生きてはこれなかった。

ましてや政治の世界で嘘を言わずに済む訳はないのである。

嘘を言いませんの言う政治家を信用するべきでないのである。

しかし、どうしても我々の代表を選ばなければならない仕組みになっている。

それでは何を基準に選ぶかで悩んでしまう。

そこで私は最後に「確固たる志」を持っているかで選ぶしかないと思っている。

その思想に納得して選んだ結果、その為に嘘をつかれたのならば我慢が出来る。

閑中忙無

2011-09-25 07:59:44 | 日記
今年の発掘は雨と休日ばかりで仕事をしている気がしません。

それではそれを趣味に使えば良いのにと思うのですがこれがそうはいかないようです。

今、山は紅葉の真っ盛りで裏大雪もシャトルバスを出している時期でもあります。

それなのに今年は行く気になれません。

忙しく仕事をしていた時の方が少ない暇を見付けては行っていましたのに。

暇があればそれを有効に使えるかというとそうでもないようです。

心の問題なのでしょう、何かをしたいという思いがなければ時間は無為になる様です。

昔、「仕事を頼むなら忙しい人に頼め」とよく言われました。

何時も暇な人は仕事をやる暇も見付けないけれど忙しい人はその中から少ない暇を見付けることが出来るからです。

ですから趣味を充実させたいならば却って仕事をした方が良いのかもしれません。

かなり無茶な考え方ではありますがそれくらい時間があると何かをしていても満足出来ません。

私が貧乏性だからなのでしょうが一日を何もしないでゆったりと過ごすことは出来ません。

どうやらしなければならないことがあって追いかけられて生きてきた人間には安息の日は来ないのかもしれません。

追いかけられていないと落ち着かないという不思議な現象に自分自身が追い込まれています。

明日からは仕事があるので取り敢えずは気も晴れますが終わったらまた暇をどうしようかと考えてしまいます。