ゆったり山登り

北海道で暮らす自然が好きで、山登りやカヌーを楽しんでいるのんびり者です。
日々の自然や人との触合いを書いて行きます。

スキー場

2010-11-19 16:27:26 | 
温泉に行こうと思いました。しかし、それだけではあまりに年寄り臭くないかと考えてピヤシリ山を登ってからにすることにしました。行って見ると途中で道路損壊のため通行止めとなっていました。仕方がないのでスキー場の方を登ることにしました。
実は高さこそピヤシリ山の方が高いのですが山頂近く迄車で行けるのであまり登りがありません。ところが画像を見た通りスキー場の方はいきなり登り初めるのでかなり大変です。

小雨が降っていたので長靴はいて傘持って登り始めました。ゲレンデの左側に登山道があります。小径に入るといきなり鹿の糞が散らばっており避けながらの登りとなりました。
間違いなく人間より鹿の方が歩いているだろう足跡だらけの道でした。
10分も歩くと汗はかくし、足が張ってくるし普段散歩で何時間、歩いてもこんなにはなりません。改めて登山の運動量の多さを感じてしまいました。
明日から散歩をどうしようかと悩んでしまいました。

読書感想

2010-11-18 18:31:35 | 感想
合田一道氏著「裂けた岬」(ひかりごけ事件の真相)

「ひかりごけ事件」として話題を呼んだ著作があります。これは日本人が国内で起した食人を扱った事件を刊行したものです。

本書はジャーナリストである著者が事件の本人から直に聞いた話を小説にしたものです。

時代は太平洋戦争のまっただ中の昭和19年12月4日徴用船「第五精進丸」=七人乗組員=が知床沖合で大シケに逢い消息を絶った。そして2ヶ月後、羅臼に一人の男が現れる。それがこの船の船長であった。そして「不死身の神兵」として話題になった。しかし、遭難後に生き残った人が他にも一人いて尚かつ遺体から食べられた後が確認されるに至って、俄に違った様相を呈してきた。
そして、裁判の判決は「死体損壊罪」で懲役1年の判決。緊急避難とされた結果である。

この判決に対する感想を本人は作品の中でこう述べている「裁判官にそう言われて、全身の力が抜けていくような気がした。そんな馬鹿な事ってあるかって心の中で叫んださ。だってわし、あんな悪魔も目を剥くようなことやっといて、それで懲役一年だなんておかしい。この裁判、どこか間違っている!

感想は沢山出てくるのですが事があまりに重大なので容易に発言できるものではありません。おそらく、私自身がこういう状況になり得ないと思うからです。しかし、自分の命を引換にする立場に立たされたらと考えたことはあります。まして、私は山登りを趣味にしています。可能性が決してない訳ではありません。しかし、結論は出ていません。こうすべきという答はあります。実際にその通りのことを出来るかと言えば答を出すことが出来ません。
何時までも結論の出せない問題と言うより他にありません。


街路樹

2010-11-17 17:02:26 | 日記
これは確かに街路樹なんです。他の木はみんな真っ直ぐなんです。
役所としてこんなのありなんですか。私的には気入っているんですけど。
まるで盆栽ですよね。これ造った時、雪で潰されて上の方が折れてしまい下だけ残したのだろうけど。上手く造ったものです。
山に登った時、変った形の木を見つけて画像を撮ろうとするのですが面倒で止めてしまします。以前に、見ていたHPでそんなのばかりを載せている方がいて面白かったです。その中で天塩岳の新道を行くとロッジの手前に胸の高さくらいの枯れ木があります。それをHPの方がきりんに見えると載せてあったので、私も憶えていたので納得しました。

読書感想

2010-11-13 11:06:18 | 感想
服部真澄氏作「エクサバイト」を読んで。

この作品は近未来小説です。エクサバイトとはICの単位で1エクサバイトは10億ギガバイトになります。カルフォルニア大学の研究によれば有史以来2000年迄の情報を全部入れても12エクサバイトにしかならないそうです。
情報科学が進んでこの単位が500円硬貨ほどの大きさに納まる様になった時代の話です。それを額にいれ画像として一生分を撮り続け本人の遺産として残す事が当たり前の時代です。
そこで主人公で時代の先端行くドキュメンタリーのプロデューサーであるナカジが母親の遺産としてICを受け取ることになり、彼を取り巻く状況が変り始め今迄見えていなかった仕組みや暗略が見えてきます。

有名な記者であった彼の母親の過去の覗いて出版することが彼の仕事となります。そのことで幾つかの疑問が出てきます。はたして全部見られることを人は望むだろうかと。隠したいこともあるはず、事実、母親は会見で主人公の知っている過去とは違う事を言っています。

私は人類の本質は種族本能で在ると考えています。ですから大きい単位では国々が小さい単位では個人の諍いが絶えないと考えています。
ですから自分自身が存在して種族を存続させたという理由で記録を残したくなる気持ちになるのだと思います。作者はそれだけが本当のことなのだろうか。との疑問を作品で投げかけています。
過去の歴史は勝者の歴史であり、真実ではない。個人も都合の悪いことは知られたくないだろうし、いずれにしてもそれが人類の歴史であることには違いはありません。

私がこうして載せているブログも何処かに存在を知って貰いたいと思うからであって尚かつ真実のみを書いているとは限りません。ウソは無いにしても都合の悪いことを書かなければ同じ事になるケースは多々あるのです。それが自分自身の都合だったり、相手を傷つけない配慮だったりします。ですから人類という不完全な生物の行いですからいくら機械が発達してところで解決できないことだと思っています。


カヌー基地

2010-11-12 16:33:10 | 日記
本当は白鳥を見に行ったのですが時期が少し遅かったようでまったくいませんでした。
そこで帰りにカヌー基地を見に寄ったのですが、こんなりっぱな看板ができていたので川岸がどう変っているか期待しました。
ところが依然と何も変らないのでがっかりしました。堰堤のところでなにやら工事していたので変化があるかもしれません。
基地と言っても管理棟が在る訳でもないのですが競技人口も少ないので仕方がないのでしょう。カナダの一部の川では所々に管理棟があってカヌーの運搬などもしているようですが。
私は今は山ばかりなので偉そうなことは言えませんが。