仕事終わりに実家からメール。「栗ご飯作ったから取りに来る?」とのこと。
エッ! 栗って、今まだ真夏じゃん!!
・・・昼間の暑さで錯乱してたけどもうすぐ10月でした・・・
そうかーもう栗ご飯の季節かー。四季のうつろいにしみじみしながら、栗ご飯は明日取りに行くことにした。楽しみ~!
それはそうと、栗ご飯といえばこの漫画思い出した。
「きのう何食べた?」
仕事終わりに実家からメール。「栗ご飯作ったから取りに来る?」とのこと。
エッ! 栗って、今まだ真夏じゃん!!
・・・昼間の暑さで錯乱してたけどもうすぐ10月でした・・・
そうかーもう栗ご飯の季節かー。四季のうつろいにしみじみしながら、栗ご飯は明日取りに行くことにした。楽しみ~!
それはそうと、栗ご飯といえばこの漫画思い出した。
「きのう何食べた?」
昼過ぎに仕事終わって帰宅からの冷凍パスタランチ。いいんだ、冷凍パスタ好きだし。
風が気持ちよかったので部屋中の窓を全開にしてみた。秋だなあ~と思いつつ飯食ってると、外から犬の鳴き声がした。
そういやうちのマンションはペット可なんだが、偶然廊下で隣人に出会うまで犬飼ってると気づかんかったくらい静かなんだよね。みんなマナーいいなあ。
で、思い出した漫画。
「プラネテス」
これアニメにもなってるんだが、多分漫画派とアニメ派に分かれると思う。総合点はどっちもかなりの高得点なんだけどね。
人類が宇宙進出を果たした時代に、宇宙ゴミ(デブリ)の回収を生業としている若者が主人公。アニメの方が当然尺が長いので、オリジナルストーリーが入ったりオリジナルキャラが出てきたりする。
その部分の良し悪しもあるだろうが、漫画とアニメの一番大きな違いは、テーマを盛り込む匙加減だ。
この漫画の主題は「利己主義」と「愛」だと思っている。
漫画は「利己主義」を多めに、「愛」を少な目に書いているが、アニメは逆。「利己主義」を深く書くとストーリーが難解になるし人を選ぶので、アニメではそうしたのかなーと勝手に想像している。実際、この作者の別作品「ヴィンラントサガ」は「利己主義」をゴリゴリに前面に押し出している。まあプラネテスの頃より漫画を描くのが上手くなったからそんなに気にならんけどね。自身との対話という表現方法に上手く落とし込んで説明しているのがすごい。プラネテスでも同様の演出だったが、格段によい。
対して「愛」はもっとストレート。漫画の方の「愛」は「博愛」がより近いか?「愛」の象徴として出てくるのが主人公の同僚の田名部 愛という女性なのだが、漫画の彼女は「愛」を「無意識下の愛、自己の土台になっている根源的な愛」と表現しようと意識しすぎて少し消化不良なところがある。そこが不思議ちゃん的魅力にもなってるんだけどね。アニメの彼女はもっとシンプルな「愛」。少しでも自分がかかわった人には幸せでいて欲しいという、時には我儘にも思える程の「愛」を振りまく。「利己主義」を貫こうとする主人公とそこで対立する訳なんだが、アニメの場合は彼女が主人公に恋している事を前提として描かれているから共感しやすいかな。
つらつらと書いてきたけど、結局どっちも相当レベルの高い作品である。だが、あえてアニメの方を押したい。
理由は2つある。
1つは何といっても最終話のプロポーズのシーンだ。漫画にも同様のシーンはあるわけだが、音楽ってこんなに影響力あんの!? とびっくりするくらいドラマチックに仕上がっている。勿論声優さんの力も相当大きい。あと、間合い。漫画のコマ割りとはまた違う、ふざけ合っていた二人の間に流れる空気がピンっと変わる瞬間がはっきり判る。すげえな、映像って。そしてその時に流れる曲がもう・・・もう・・・!(語彙力のなさよ
そんなわけで、「プラネテス」最高! なのだ。
え~、もう一つの理由はですね、冒頭の犬につながります。アニメ化していない漫画だけのエピソード。これを映像化しなかったのは当然か。良い悪いではなく「人を選ぶ」。