家で仕事をしている最中に起きた、その時はまだ名もなき地震。
びっくりしつつも、今PC壊れたら仕事がパーだ!とPCとモニタを抑えている余裕がありました。
正直なところ、東京はこんなもんだったのです。
人生で初めての大きな揺れでしたけど、家の中で落下したものといえばテレビ台の上のちっちゃな観葉植物。
その水で数日テレビの音声にノイズが入りましたが、完全に乾いたのか元に戻りました。
仕事先は西日本だったので電話で大丈夫?などとやりとりしながら納品。
すぐにテレビをつけたら仙台の駅がえらいことになっていたけれど、大事故にはなってなかったようで仕事を再開。
週末なこともあり、説破つまっていてテレビつけずに仕事していたので、次に惨事を知ったのは夕食前にリビングに降りてきた時。
「津波が大変だよ」
と、キッチンにいる母親がテレビを見ながら言うので、テレビ画面に目をやれば何が起きてるのか全く理解できない状態。
阪神大震災の時も、私はその日は学校が休みで、遅く起きてきて、父親が見ているテレビには横倒しになった高速道路。
映画か特撮かと思っていれば日本のどこかで起きている事実。
3・11は東京も揺れました。
でも、揺れた以上のことはほとんどありませんでした。
だから現地の方の気落ちを察しろ、と言われても「察する」こと以上はできないのです。
できることを探しても、お金を送るしかできない。
でも時間が進むにつれてそのお金も有効に使う術がわからない状態だと知る。
被災動物のことを知り、動物病院に預かりや引き受けなども登録だけはしましたが、遠方かつ車がなく迎えにいけないことで声がかかることはありませんでした。
本当に無力だな、と思いました。
ただ一つ心がけたのは、財布の紐を緩めること。
遠くに安全に住む他人ができるのは、経済を回すこと。
経済を回して、お金を循環させて、遠回りにでもそれが被災地へ届くようにすること。
これだけだと思いました。
あれから3年が経ち、薄れていくあの日の記憶。
ひとつ決めたことがありました。
「被災地でレスキューされた猫を引きとろう」
当時は正直に言うと9ヶ月前に20年飼った愛猫を亡くしたこともあり、積極的に猫を飼おうとは思わなかったのです。
でも時間も経ち、今できることはそれだけだ、と思ったのです。
引き取った子は子猫で、地震にあった猫ではないけれど、母猫は首輪もしていた被災猫。
福島からやってきた、うちの猫。
この子がいる限り忘れないだろうし、この子を幸せにすることで何かしたことになるかも知れない。
自己満足で、実際には何の役にも立たないのかも知れないけれど、個人のできることなんて自己満足程度しかできないのだから、私はこの子を幸せにしようと思います。
あとは普通に社会生活を送り、時々東北に旅行も行って、経済を停滞させないこと。
被害にあってないのだから悲嘆しない。
それがせめてたかが個人にできることだと、つくづく思い知りました。
びっくりしつつも、今PC壊れたら仕事がパーだ!とPCとモニタを抑えている余裕がありました。
正直なところ、東京はこんなもんだったのです。
人生で初めての大きな揺れでしたけど、家の中で落下したものといえばテレビ台の上のちっちゃな観葉植物。
その水で数日テレビの音声にノイズが入りましたが、完全に乾いたのか元に戻りました。
仕事先は西日本だったので電話で大丈夫?などとやりとりしながら納品。
すぐにテレビをつけたら仙台の駅がえらいことになっていたけれど、大事故にはなってなかったようで仕事を再開。
週末なこともあり、説破つまっていてテレビつけずに仕事していたので、次に惨事を知ったのは夕食前にリビングに降りてきた時。
「津波が大変だよ」
と、キッチンにいる母親がテレビを見ながら言うので、テレビ画面に目をやれば何が起きてるのか全く理解できない状態。
阪神大震災の時も、私はその日は学校が休みで、遅く起きてきて、父親が見ているテレビには横倒しになった高速道路。
映画か特撮かと思っていれば日本のどこかで起きている事実。
3・11は東京も揺れました。
でも、揺れた以上のことはほとんどありませんでした。
だから現地の方の気落ちを察しろ、と言われても「察する」こと以上はできないのです。
できることを探しても、お金を送るしかできない。
でも時間が進むにつれてそのお金も有効に使う術がわからない状態だと知る。
被災動物のことを知り、動物病院に預かりや引き受けなども登録だけはしましたが、遠方かつ車がなく迎えにいけないことで声がかかることはありませんでした。
本当に無力だな、と思いました。
ただ一つ心がけたのは、財布の紐を緩めること。
遠くに安全に住む他人ができるのは、経済を回すこと。
経済を回して、お金を循環させて、遠回りにでもそれが被災地へ届くようにすること。
これだけだと思いました。
あれから3年が経ち、薄れていくあの日の記憶。
ひとつ決めたことがありました。
「被災地でレスキューされた猫を引きとろう」
当時は正直に言うと9ヶ月前に20年飼った愛猫を亡くしたこともあり、積極的に猫を飼おうとは思わなかったのです。
でも時間も経ち、今できることはそれだけだ、と思ったのです。
引き取った子は子猫で、地震にあった猫ではないけれど、母猫は首輪もしていた被災猫。
福島からやってきた、うちの猫。
この子がいる限り忘れないだろうし、この子を幸せにすることで何かしたことになるかも知れない。
自己満足で、実際には何の役にも立たないのかも知れないけれど、個人のできることなんて自己満足程度しかできないのだから、私はこの子を幸せにしようと思います。
あとは普通に社会生活を送り、時々東北に旅行も行って、経済を停滞させないこと。
被害にあってないのだから悲嘆しない。
それがせめてたかが個人にできることだと、つくづく思い知りました。