Room of 'Pon Chape'

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「東西南北、新、上中下」の親子駅

2020-03-16 16:19:35 | ジオラマ

「仙台」駅があって「北仙台」駅がある。

「大宮」駅があって「東大宮」駅がある。

「大久保」駅があって「新大久保」駅がある。

「今市」駅があって「下今市」「上今市」駅がある。

「東西南北」や「新」「上中下」が付く駅名は、大抵、それらが付かない「親」の駅名が先にあって、後からできた「子」となる駅に「東西南北」「新」が付くものです。

しかし「東西南北」や「新」「上中下」が付く駅名を見つけても、それらが付かない「親」の駅名が見当たらない場合もあります。

そういうケースが生じた背景を少し紐解いてみたいと思います。

 

Case1. 北広島駅(北海道、JR千歳線)

 市名にもなっていて、認知度の高い地名ですが、由来も明快で、広島出身の開拓者が拓いた地であることから命名されています。山陽の「広島」に対して、北海道という北にある地であるため、「北広島」。

 

Case2. 北永野田駅(鹿児島県、JR日豊本線)

 「永野田」は「川沿いに長く続いている湿地の意」(JR・第三セクター全駅名ルーツ事典、村石利夫著、東京堂出版)だそうです。

 北を付けた理由は、同じ鹿児島県内に「永野田」という駅が既に大隅線あったためで、そちらが路線廃止とともに廃駅となり、「北」だけが残ったのです。

 永野田と北永野田は全く別の場所にあるので、普通なら旧国名などを付して区別するところですが、どちらも同じ大隅国内にあるためにそれもできず、北としたのでしょう。

 

Case3. 東鹿越駅(北海道、JR根室本線)

 こちらも本家「鹿越」が廃止となり、「東」だけが取り残された例です。

 ここではダム建設に伴い線路が付け替えられたため、鹿越駅周辺が廃線となり、新線へは信号場兼仮乗降場として残されましたが、線路移転で集落から離れてしまったために旅客の利用も見込めるものではなかったようです。

 

Case4. 新長後駅(現・長後駅)(神奈川県、小田急江ノ島線)

 これについては「不明」とされています。

 「長郷」が転訛して「長後」になったとされているため、地名は「長後」です。

 しかし昭和33(1958)年に「長後」に改称される前に「新」の付かない「長後」という駅があったわけではなく、同じ小田急に似たような駅名があって区別の必要があったわけでもなく、なぜ「新長後」駅になったのかは分からないそうです。

 ただ、長後の地名は渋谷村にある一方、駅は隣の六会村に置かれたため、何らかの配慮から「新」を付けたのではないかとも推測されます。

 

Case5. 東長原駅(福島県、JR磐越西線)

 現地の駅名標でも一部にローマ字表記で「Higashi-Nagahara」となっているものがあるために混乱しますが、正確には「東」「長」「原」と分解されるもので、「東高野」「長谷地」「原田」の3つの地名が合わさった合成地名です。駅名標のローマ字表記は誤りと言えます。

 

Case6. 南福岡駅(福岡県、JR鹿児島本線)

 福岡市の南の端に近いところにあるので、「南福岡」で疑問を挟む余地はないのですが、JRには「福岡」という駅はありません。(JR福岡駅は北陸本線にあります。)

 西鉄福岡(天神)があるのに対し、JRの福岡市の代表駅はご存知「博多」駅です。

 平成2(1990)年には新幹線の回送線を活用して「博多南」駅ができましたが、博多南は福岡市ではなく春日市にあります。(那珂川市との市境に近い。)

 また、南福岡駅はかつて「雑餉隈」(ざっしょのくま)駅を名乗っていましたが、雑餉隈は福岡市と大野城市に跨がる地名で、今でも西鉄には同名の駅があります(西鉄の駅も福岡市博多区に位置)。

 なんだかややこしいですね。

 

Case7. 西新井駅(東京都、東武伊勢崎線)

 Case5の「東長原」とは対照的に、ここはローマ字表記も「Nishiarai」とハイフン無しで表記されています。

 「西新井」で一つの地名で、西新井大師の存在で有名です。

 その西に新しく水の湧く井戸が見つかり、西新井となった、と伝承されています。

 

Case8. 新長田駅(兵庫県、JR山陽本線)

 地名は長田ですが、開駅が昭和29(1954)年と新しく、国鉄の方が後発であるため「新」が付きます。鉄道省時代には先にある私鉄の駅を改称させて国鉄駅が本家の駅名を名乗るようにするケースも多々ありましたが、公共事業体の日本国有鉄道となってからは素直に「新」を付けて後塵を拝する命名になっていきました。

 

Case9. 東神奈川駅(神奈川県、JR東海道本線・横浜線)

 本家「神奈川駅」はやはり廃止となって「東」だけが残っています。しかしここの場合、並走する京浜急行電鉄に「神奈川駅」が現存するため、国鉄が後塵を拝しているかのようにも見えますね。

 

Case10. 新馬場駅(東京都、京急本線)

 馬場という地名の南北に「北馬場」「南馬場」の2駅があったものを、一つの駅に統合したので、新しい「馬場」、「新馬場駅」となったのです。

 同じようなケースに「京急逗子」「逗子海岸」の2駅を統合して「新逗子駅」とした例があります。

 ただし新逗子駅は令和2(2020)年3月14日から「逗子・葉山駅」に変更されています。

 

Case12. 新山内駅、新江口駅(新潟県、旧国鉄赤谷線)

 どちらも地名には「新」は付きません。既存の駅との区別のためと思われますが、旧国名にせず、「新」にしたのはあまり国鉄らしくありません。昭和38(1963)年開業と新しめなので、このころから駅名の付け方も堅いイメージの旧国名を避け、現代的になってきていたのかもしれません。

 

Case13. 下兵庫駅(和歌山県、JR和歌山線)

 かつては兵庫村だったものが、上兵庫、下兵庫の2村に分かれ、そのうち下兵庫村に置かれた駅だったためにこの名が付いています。

 村名そのままの駅名で、神戸市にある山陽本線の兵庫駅に配慮したわけではないのですが、何となくそういう誤解が生まれそうに思うのは私だけでしょうか。

 

 

おまけ。一風変わった接頭語の「子」駅。

・大佐倉駅(京成本線)…「佐倉」駅に対して「大」が接頭語として付く。

・海芝浦駅(JR鶴見線)…「東京芝浦電機」(東芝)の敷地内の駅で、隣は「新芝浦」駅。「浜」が付く駅名は多いが、「海」が付く駅名は珍しい。


古い写真フォルダから

2020-03-08 09:00:00 | その他

15年前の今頃、3月4日に撮影した写真です。

今冬の東京は雪が積もりませんでしたが、15年前の3月には雪が積もった日があって、

撮影に出かけたようです。

撮影から15年という歳月が流れましたが、写真の10030系50番台は改造なども受けておらず、

今でもほとんど同じ写真が撮れます。

違いと言えば、今では昼間でもヘッドライトを点灯するようになったことくらいでしょうか。

今では「区間急行」といって朝晩にしか設定されていない種別も、当時は「準急」といって

日中にも頻繁に走っていましたし、長大な伊勢崎線の浅草~伊勢崎駅間全線を走破する運用も

多数ありました。

当時、半蔵門線直通開始からまだ2年しか経っておらず、列車種別は今とはだいぶ違います。