ワンダーフェスティバル2022冬まであと1か月少々。
今回もNゲージジオラマも出品予定です。
以前、北海道の仮乗降場風のジオラマを制作したことがあり、謎多き仮乗降場の沼にはまり始めています。
年々、仮乗降場由来の駅は姿を消しており、この数年はそのペースも加速していますが、
まだまだ往時の雰囲気を残す仮乗降場由来の駅も現存しており、いつかは訪れてみたいものです。
さて、仮乗降場といえば、全国版の時刻表には掲載されず、北海道内版の時刻表にのみ掲載されていることで知られていました。
しかし、その中には扱いが不思議なものも多数あったようで、
特に交通公社(現在のJTB)版「北海道時刻表」と弘済出版(現在の交通新聞社)版「道内時刻表」とで違う扱いを受けていた仮乗降場もいくつかあることで知られました。
今回はそういった仮乗降場について掘り下げてみたいと思います。
正直、掘り下げるほど謎が深まり、手元の情報不足が露呈してしまいました…。
まず、交通公社版(以下、北海道時刻表)には掲載がなく、弘済出版社版(以下、道内時刻表)にのみ掲載がある仮乗降場として有名だったのが、標津線「多和」仮乗降場。
標津線は平成元年廃線のため、昭和62年の民営化後はJRの路線となりました。
仮乗降場はJR化時に全て正式な駅または臨時駅となったため、多和もごく短い間ですが駅として存在しました。
駅昇格後はもちろん正式な駅として全国版の時刻表に掲載されていましたが、それまでは「道内時刻表」にのみ掲載されている仮乗降場として
異色の存在でした。
というのが今までの私の「知識」でしたが、先日入手した昭和38(1963)年7月号の「北海道時刻表」を見たところ、
なんと、後年の「北海道時刻表」では非掲載となっていた多和仮乗降場が掲載されていたのです。
そして、元々所持していた昭和47(1972)年交通公社版の標津線の項には多和は掲載されていませんでした。
これには私の認識が根底から覆されました。
そして、多和仮乗降場がどこかのタイミングでなぜか廃止もされていないのに北海道時刻表から削除されてしまったという謎の事態が発生していたことになります。
このことには非常に興味をそそられますが、如何せん情報に乏しく、今もって未解決の疑問となっています。
なお、昭和38年7月の改正は標津線にとっては大きな改正であったようで、上春別駅の新規開業があった改正です。
この改正を控えての発刊であったこの号の北海道時刻表ですが、もう一つの謎が、この改正から上春別駅が入るべき箇所に、「大成」という仮乗降場が掲載されていたという点です。
いくら調べても、「大成」という仮乗降場は標津線に存在したという記載は他の書物では見ることができませんでした。
また、上春別駅は「大成」という地区に開設されたとのことで、もしかすると「大成」は「上春別駅」の開業前の仮称であったのではないかと推測できます。
ただしこれを裏付ける証拠もまた見つけることができていません。
なお、後年、根室本線に大成臨時乗降場が開設され、JR化時に駅に昇格していますが、これは昭和61(1986)年に新設されたもので、昭和38年版の時刻表には当然掲載されていません。
また、昭和38年の標津線には多和の他に光進、開栄、平糸の3箇所がありましたが、光進、平糸は昭和42(1967)年に駅に昇格、開栄は多和と同様、JR化時に駅に昇格しています。
しかし、開栄は多和と異なり、最後まで北海道時刻表に掲載され続けていました。
多和は新駅の開業、仮乗降場の正駅化といった流れの中で図らずも歴史の彼方に埋もれていってしまったのかも知れませんね。
昭和38年当時、私が調べた限り、北海道だけで少なくとも136箇所存在していた仮乗降場。
その一つ一つに物語があり、それぞれに謎めいた背景がある。
調べれば調べるほど、不可解な点が見つかり、その奥深さには魅せられていく、それが仮乗降場なのです。